第56話 お茶室の密談
【1】
「もうお聞きになっているかもしれませんがマルカム・ライオルが出奔していたそうです」
私はアントワネット・シェブリに告げる。
昼休みの鐘と同時に神学の講義室から出てくるアントワネットをつかまえて報告したのだ。
王立学校の神学科は教導派神学の講義で私には一番縁遠い場所である。教導派貴族の女子生徒たちが私を見つけ眉をひそめて遠巻きに何やら囁きあっている。
アントワネットは私の報告を聞いて少し眉を顰めたのち答えた。
「分かったわ。できればもう少し詳しく知りたいのだけれど」
「また食堂へ行きますか?」
「今日はあなた一人なのね。ならばついていらっしゃい。上級貴族寮のお茶会室へ行きましょう。あそこならばメイドも入れられるから。それに余計なものも排除できますわ」
「わかりました。私もメイドを一人連れて行きましょう」
「仕方がないわね。でも部屋付きメイドにしていただけるかしら。この間のメイドは威圧感があって気が許せないわ。会話に割って入られても不愉快ですし」
込み入った内容になると踏んでの回答なのだろう。アドルフィーネがいると会話の主導権が取りづらいということか。
激高しやすい私のほうが御しやすいと考えたのだろう。安く見られたものだ。
一旦寮に帰ってウルヴァを連れてお茶会室に向かう。
お茶会室は実際は密談室でもある。
もちろん直接の暴力にさらされるわけではないが、威圧や圧迫による言葉の暴力はお目こぼしされる。
それで怯む私ではないが腹を決めてお茶会室のドアをくぐった。
アントワネットはメイドを並べて威圧してくるかと思ったが、部屋付きの筆頭メイド一人であった。
もうすでにお茶の用意はできているようだ。
「そう構えることはなくってよ。私も今は揉めるつもりは無いのでね。少しきっちりと情報の交換をしておかないと。マルカム・ライオルが出奔したという事はあの手紙の脅しが現実味を帯びてきたということだから」
表情も変えずにそう言うアントワネットだがやはり危機感は有るのだろう。
「それでは、お話願いませんかしら。ことの詳細を」
話を促された。こちらから切り出した話だし晒して困る手札でもない。情報源は隠すが事実は晒しておこう。
「昨年の冬至祭の前に行方をくらましたそうで、周辺の者も帰省したと思っていたらしいのですが年が明けても帰ってこなかったそうです」
「でも二月に入って手紙が来た時に近衛騎士団に問い合わせたらマルカム・ライオルは任地に居るといわれたわ」
「いてもいなくてもいい閑職だった事などから気に掛ける人間もおらず三月を前にしても誰も気づかなかったとか」
「呆れたわ。二月半も行方知れずでも放って置かれたとは哀れになって来るわね。そんなに早くから行方知れずになっているとはね。近衛騎士団の怠慢ね」
ここ迄の経緯アントワネットの耳には入っていないようだ。
「ルカ・カマンベール中隊長が調べて分かった様でストロガノフ団長に報告は上がっています。顔を潰されたエポワス副団長は怒り狂っているようですわ」
「貴女いつも一言多いんでは無くて。まあ良いわ、これから近衛騎士団の調査が入ると言う事ね。結果が分かるのは大分先の様ね」
「余り驚かれないのですね」
「ええ、教導騎士団の新人団員が王都の盛り場で似た男を見たと報告が有ったのよ。いえ、確実な情報では無かったので知らせていなかっただけよ。ほら、混乱を招くから」
白々しく言い訳をするけれどこの女その情報を隠していたな。
「でも出奔していたなら、そいつがマルカム・ライオルの可能性は高まっていますね。いつ、どこの酒場で?」
「ブエナ、その話を説明してちょうだい」
アントワネットはメイドに説明を任せてお茶を飲み始めた。
年嵩の部屋付きメイドは無表情に淡々と話し始めた。
アントワネットの指示で手紙が来た翌日から上級貴族寮の部屋付きメイドやフットマンを通して情報を集めたいたという。
そして使用人宿舎のフットマンから教導騎士団の学生が先輩から聞いた情報として彼女の耳に入って来たのが今お話だ。
その教導騎士がマルカム・ライオルの同級生だったことから、メイドのブエナが直接聞きに行ったのだ。
なんでも一月の終わりに王都の下町の酒場で酔ってくだをまくマルカム・ライオルらしき若い騎士を見かけたそうだ。
薄汚れたマントを羽織っていたが下に着ていたのは近衛騎士団の制服に見えたので任期が終わって帰って来たのだろうと思ったがそのまま声も掛けず帰って来たという。
ブエナは見かけた酒場の場所も教えてくれた、そしてその教導騎士の名も。
カール・ポワトー教導騎士団員。ポワトー伯爵家の令息だった。
「本人も出奔して行方知れず。そして同級生で同じ騎士団寮で過ごした騎士が目撃者。着ていたのも近衛騎士団の制服。まず間違いなさそうね。マルカム・ライオルは王都に居るようだわ。近衛騎士団にはシッカリと責任を取ってもらわないとね」
「近衛騎士団に?」
「そうでしょう。管理不行き届きだもの。それで無くても脱走兵でしょう。厳罰ものだわ。必ず捕縛して貰えるように要請しなければいけないわね。貴女がたも警戒を解いて良いのではなくて」
近衛騎士団に下駄を預けるつもりなのだろう。アントワネットがすっきりした顔で宣言する。
「幾つか疑問が有るのですが?」
「なに?」
「手紙は誰が持ってきたのでしょう? マルカム・ライオルが直接来ていない事は確かですよ。顔を知られているし女子寮には入れませんから」
「どこかのメイドでも雇ったのでしょう」
「そうかも知れませんね。そうかもしれませんがそのお金はどうしたんでしょう? 任地を出奔して王都に来る旅費も王都に着いてから潜伏している間の宿代や食費は? マルカム・ライオルは任地で酒代をつけ払いにするほど困窮していました。それなのに気になりませんか?」
「安宿や安酒の額などたかが知れているわ。家宝の一つか二つ売ったんでしょう。そこまで気にする事でも無いわ」
「それにマルカム・ライオルに協力する者はいないんでしょうか? 同期や先輩後輩の人脈は? 婚約者などはいなかったんでしょうか」
「貴女はマルカム・ライオルに直接会ったことが無いから判らないでしょうけれどまずいないわね。下級貴族や平民には聞いて回ったんでしょう。上級貴族で彼に味方する者など居ないわ。ましてや平民落ちなどに価値など無いわね」
価値が無いとは、教導派貴族様はシビアなものだ。
「家臣団でも居ないですかね」
「貴女も解っているのでしょう。あの家臣団に忠義など無いわね。それに聖教会や教導騎士団の関係者はクオーネに引き上げているし」
「まあ目ぼしい有力者は自分たちの利権を守るために汲々としているようですね」
「商人連中がね、我が伯爵家に泣きついてきているのよ。融資を求めてね。どことは言わないけれど北部の有力商会が乗り出す事になれば貴女の領地もただですまないかも知れないわよ」
「そいつらがマルカム・ライオルの後ろ盾になるとは思いませんか」
「どうかしら? それってカマンベール子爵家やカンボゾーラ子爵家のみならずこの私にも手を上げると言う事になるのよ。そこまで腹を括って噛みついてこれるかしら」
フム、マルカム・ライオルは商人連中にとってはある意味毒でもあると言う事か。
一番手っ取り早いのはマルカム本人の身柄を抑える事だな。
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