第34話 蜂蜜ジンジャークッキーのレシピ(2)

【3】

「その話詳しく教えていただけないでしょうか」

「修道女様も興味が有るのかい。良いぜあの時は俺が捕縛に立ち会ったんだ」

「私も! 私も知りてえ。あの有名なウィキンズ先輩の話なんだろう」

「おうよ、ウィキンズは俺の従者としてここで十五迄修行してたんだぜ。ヘヘヘ。あれはウィキンズが十一歳、セイラ嬢ちゃんがウィキンズの二つ下だから九か十の時だ」

 ウィキンズ様の二つ下! なら同い年じゃないか。


「売り上げを狙われたウィキンズが、ナイフを持った冒険者崩れに追いかけられている所に出会ったセイラ嬢ちゃんが…」

 これは…柔道の投げ技。

 動機も後先見ない猪突猛進と正義感。そう言う人を良く知っている。


「すげえ…カッコいい! 私はセイラ・ライトスミス様の盃を貰うぜ。でもようなんでそんな危ない奴がいる所にセイラ・ライトスミスは行ったんだ?」

「その理由がけっさくでよう。冬至祭が近いからって生姜を探しに行ったんだと」

 ああ、間違いない。

 これですべてが分かった。


「でも何故生姜を購いに行く事がけっさくなんでしょうか?」

「いや…なに…まあなんだ。生姜は体を温めてだなあ…、いや修道女様には縁のないこったし、若い女性が聞く事じゃあ…ゲフンゲフン」


「私は決めたぜ! これからメリージャに向かってセイラ・ライトスミス様に弟子入りするぜ! 私はやるぜ!」

「おお嬢ちゃん、その意気だ! 俺たちも応援してやるぜ」

 騎士団員や衛士たちが面白がって囃し立てる中、イヴァナは鼻高々で右手を上げて立っている。


「イヴァナ様、メリージャに行かれてもセイラ・ライトスミス様は何処に居るか判りませんからお会いできませんよ」

「そうですよ。お父上のお許しも無くその様な勝手は出来ませんよ」

 マリーとアンヌが慌ててイヴァナを諫めるが聞く耳を持たない。


「イヴァナ様! あなた様が行けばセイラ・ライトスミス様にご迷惑がかかりますし、きっと会えないでしょう。もし聞き分けられぬようなら、セイラ・カンボゾーラ様のお耳に入れて王立学校に戻ったらアドルフィーネたちに叱って貰いますよ」

 イヴァナの側付きメイドがキツイ声で一言窘める。

「分かったよう…。お姉様には内緒にしてくれよぅ」


「イヴァナさん、そう焦らなくても直ぐに会えるかもしれませんよ。もし会えなくてもセイラ・カンボゾーラ様にご指導いただければきっと強くなれますよ」

 ジャンヌの言葉にイヴァナは彼女の顔を見上げる。

「そうなのかジャンヌ様。私は女騎士になれるのかなあ?」

「セイラ・カンボゾーラさんの力が有ればそれも夢では無いかも知れないわよ」


「ジャンヌ様って…あんた聖女様か」

「これは聖女ジャンヌ様、失礼いたしました」

「聖女様に偉そうなこと言っちまってすまねえ」

「お気になさらずに、皆様のお陰で楽しいお話を聞く事が出来ました。有難うございます」

 これで答えに至ったのだから。


【4】

 その午後ライトスミス邸のキッチンでは蜂蜜ジンジャークッキーの講習会が開かれていた。

 イヴァナはレオンを連れてやって来てオスカルと三人でつまみ食いに忙しそうだ。

 ジャンヌはレイラ夫人の横でクッキー生地を捏ねながらレシピの説明を受けている。


 本当は全て…細部まで知っているレシピだ。

 レイラ夫人の耳元でジャンヌがポツリと呟く。

「セイラさんは、セイラ・カンボゾーラさんはセイラ・ライトスミス様だったのですね」

 レイラ夫人が驚いた顔でジャンヌを見た。


 レイラ夫人はしばらくジャンヌの顔を見つめ居ていたが二コリと微笑むとジャンヌに言った。

「後で二人でお茶に致しましょう。クッキーの味見も必要ですものね」


 焼き上がったクッキーとティーポットを持ってレイラ夫人がお茶室へ入ってくる。

 マリーとアンヌは子供たち(イヴァナを含む)の世話をする為に別室でお茶の準備をしている。

 本当に二人だけのお茶会だ。


 レイラ夫人は手早くお茶を注ぐとジャンヌを手招きして向かいの椅子に座らせた。

 焼きたてのクッキーのシナモンの香りに交じって生姜の匂いがほんのりと香る。

「あの子は御存知のようにあなたと同じ聖属性の持ち主でしたの。幸いにも洗礼式の立会いがドミニク司祭様でしたので私たち夫婦の胸のうちに止めて十五の春まで過ごす事が出来ました」

 レイラ夫人の話しでは麻疹の治療のためにカマンベール領に居たセイラとレイラの母娘は、ジャンヌの異端審問事件でカマンベール邸にやって来たアナに指導されて光の治癒施術が使える様にのだ。


「目の前でルーシーが刺されてとっさに聖属性で治癒した為にギボン司祭に捕まってしまって…。教導派聖教会に連れ去られない為にフィリップ子爵様が咄嗟にルーシーと自分の実子としてポワトー枢機卿に祝福を授かったの。あの娘は生まれた時にわたくしとオスカーの娘セイラ・ライトスミスとして祝福を受けている。だから実子としての祝福を二度受けられない。それでね、セイラ・カンボゾーラとセイラ・ライトスミスの二人が存在するの」


「私の…私のせいだ…。私を助ける為に…」

「それは違うわよ! これはあの娘が自分の意志で決めて自分の責任で辿り着いた結果。それをあなたのせいになんてするような娘ではないわ。母の私が言うのですから間違いありません」

「それでもレイラ様と親子の名乗りもままならない事に…」

「ジャンヌさん、早い子なら八歳で親元を離れて働くのですよ。何より貴族でも十二になれば予科に入り親元から離れてしまうのですから。わたくしは十五になる迄あの娘と共にいれたのですもの。我が子が生きていればこの身がどうなってもその行く末を見守り続けられるのですから」


「父さんも母さんもそう思っていたのでしょうか…」

「もちろん聖女ジョアンナ様もスティルトン騎士団長もきっとあなたが健やかで喜んでいらっしゃる事でしょう」

 ジャンヌはもう涙を止める事が出来なかった。

 前世でも今世でも私は両親の命を糧にこうして生きながらえているんだろうか。それを今でも父さんは望むだろうか。


「ジャンヌさん、あなたがどう感じてるか分からないけれどもセイラは誰かを助ける為にあなたが犠牲になるような事は望んでいませんよ。わたくしもセイラも誰かの為に誰かが犠牲になるような事を由とするような事を認める気は一切ございませんわ」

 ジャンヌはレイラ夫人に全て見透かされているように思った。

 この人を母に持ったのならレイラ夫人の言う事は、今レイラ夫人が語った事は父さんの本音なのだろう。


「レイラ様は…セイラさんは私の事をどこまでご存じだったのでしょうか」

「わたくしは聖女ジョアンナ様の三年後輩で面識は御座いませんが、母上はジョアンナ様の成された事に心服しておりましたからその御子の事は気にかけておりました」

 その言葉を聞きながらジャンヌは自分の事と照らし合わせてみる。

 ジャンヌは聖属性の発現と同時に前世の記憶がよみがえった。父さんもそうだったのだろうか?


「セイラさんは洗礼式以降で何か変わられた事などは…?」

「そう仰るジャンヌさんは何かあられたのですか?」

「私は…私は先の事が…人の不幸が分かるように…。ですからそれを防ぐ為にこの様な事を」

 前世の記憶を、ゲームシナリオを思いだしたとは言えない。ヨアンナやファナの不幸を、自分の死を思い出したのだから間違いでも無いだろう。


「セイラはどうだったのでしょうか。何が起こったのか知らないのですが、ずっと誰も死なせない、不幸にさせないって言うのが口癖になったわね。あなたの事を知ってからはそれはもう清貧派に入れ込んでしまって…」

 レイラの話を聞きながら何となくセイラの想いが見えてきた。

 父さんも思い出していたのだろう。何よりラストイベントのハウザー王国との戦争を食い止める為に必死になっている。

 ヨアンナを、ファナを守るために、そしてなによりジャンヌを死なせない為に。

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