第59話 王都大聖堂の大司祭(3)
【5】
喧騒が収まるのを満足げに見ていたジョバンニはにやりと笑って更に口を開いた。
『そしてさらにこの場を借りて申し述べたいことがある。わが父であるダミアーノ・ペスカトーレ枢機卿猊下についての事だ』
そう言って辺りの聴衆を見渡すと、くるりと背を向けた。
メガホンが新たに王都大聖堂に向かって一本取り付けられて位置調整がなされた。
『ダミアーノ・ペスカトーレ枢機卿猊下に申し上げたい。今すぐに教皇猊下の御威光を賜った前聖女ジョアンナ・ボードレール伯爵令嬢に対して名誉の回復を! 教皇庁の不明瞭な発言であたかも前聖女ジョアンナの治癒治療に効果が無いような誤解を生んだ事への謝罪をお願い致したい』
会場からは拍手が溢れる。
「何が誤解だ! 教皇の威光があったから何だっていうの! それになぜボードレール伯爵令嬢などと今になって呼ぶの!」
地団駄を踏む私の横でパブロが感慨深げに言う。
「こういう言い回しはお嬢のお得意だもんなあ。あいつらも散々やられて学習したんだろうなあ」
「しかし厄介ですねぇ。これでは表立って攻撃しにくくなりますからぁ」
「そこまで解っているなら二人とも手を緩めてよ。痛いんだから」
「だから放せねえんだろうぜ。地団駄踏んでるやつの手を離せば何するか判んないだろうからな」
「パブロも良く分かって来たようですね。拘束の対象にはあなたも入っていたのですが…」
『間違いは正さねばなりません。ダミアーノ・ペスカトーレ枢機卿猊下よ、教皇猊下の御勘気が有ればこのジョバンニ・ペスカトーレが一身に受けましょう。しかし教皇猊下の誤謬を正す事はその使徒としての使命の一つでは御座いませんでしょうか。教義において誤謬が有ったと申しておるのではございません。教皇猊下の教義の解釈に異議を唱える事は聖教会の秩序を乱す事。ひいては創造主の摂理に反する事だとは心得ております。教皇猊下には、ただ一つ前聖女ジョアンナ・ボードレール伯爵令嬢様の功績をお認めになりその名誉を回復することだけを切に望み、ダミアーノ・ペスカトーレ枢機卿猊下にはその進言を通していただけることを求める次第で御座います』
そう言うとジョバンニ・ペスカトーレは
『どうかダミアーノ・ペスカトーレ枢機卿猊下よ。卑しきこの司祭のお願いをお汲み取りくださいますよう切に申し上げます』
「「「「そうだ!」」」」
「「「「その通り! 枢機卿猊下! お願い致します」」」」
「「「「ジョバンニ・ペスカトーレ司祭様万歳!」」」」
会場は熱狂に沸いている。
「忌々しい! 名誉回復だけを切に望む? それって何一つ変えるつもりは無いという事じゃない。教義において教皇庁に誤謬が無い? ふざけるな! ジャンヌさんの異議申し立ては全て間違いだと断ち切るつもりなの! そもそも名誉回復って何? ジョアンナ様の名誉は揺るぎもしない! 何を回復させるの!」
私は怒りで血管が切れそうになる。
「私どもがジャンヌ様を通してやろうとしていた事を逆手に取られましたね。これではジャンヌ様の実績迄霞んでしまいます」
「お嬢、何か直ぐに打つ手はねえか?」
「今は仕方が無いわ。静観しつつ、群衆がジョバンニを当てにして過激な抗議行動を始めないように監視して行きましょう」
「ジョバンニ様を当てに? その可能性はあるのでしょうか」
「私なら…私なら教導派への口利きの窓口を装うわ。ジャンヌさんが静観している間に焦れた民衆を煽って暴発させた上でその罪を清貧派に問うのよ。アントワネット・シェブリならやるでしょうね」
「ジョバンニじゃ無くアントワネットかよ?」
「多分今日の演出もアントワネットよ」
「ならばぁ。それを見越したぁ対策が必要ですねぇ」
「判りました。ナデテ、パブロ、ジョバンニの全ては信用するなとだけ伝えて、後はF-8を継続で」
グリンダの指示にパブロの口が笛又響き渡った。
【6】
その後演壇を降りたジョバンニ・ペスカトーレは聴衆の歓声に迎えられ、高々と
「信用できるかどうかは。あの司祭様がどれだけやるのか次第だな」
「まあ教導派司祭が言う事だから私たちにどれだけ恩恵があるかは別な話ね」
興奮冷めやらぬ群衆の中で私の仕込みの商会員たちが懐疑的な言葉で毒を蒔いている。
「ジョアンナ様の名誉回復って僕らもご飯を食べられるのかな」
「あの司祭様は私たちに住む場所をくれるのかしら?」
「きっとジョン王太子様や聖女ジャンヌ様のように炊き出しもしてくれるわ」
「おっとうが言ってた。聖教会の税金を下げてくれるだろうって」
「これで治癒贖罪符も安くなるぞ!」
「治癒治療の喜捨も値が下がるかなあ。診療所基準になるのかなあ」
ナデテの率いている子供たちがあちこちでジョバンニに対する期待値を上げてハードルを高くして廻っている。
「ナデテ…、結局F-8って何だったの」
「それは、子供たちに出す指示の符丁ですぅ」
「だからその符丁の意味を聞いているのよ。解ってて言ってるわよね」
「それはぁ…秘密ですぅ」
「たいした指示じゃありません。Fは聴衆の噂話や動向の観察と記録。8は暴れたり喧嘩を売ったりする子爵令嬢とその付き人の拘束です」
「ひでえ、俺も入っているのかよう」
「当然でしょう。誰より先に手を出しそうな愚かものですから」
「その前に何で子爵令嬢と付き人限定なの!」
「それはぁ、ジャンヌ様にぃくれぐれも問題を起こさない様にとぉお願されましたからぁ」
ああ、うちのメイド達もジャンヌ(冬海)の手に落ちてしまっていた。
【7】
ナデテやグリンダの工作で街は以前よりずっと落ち着きを取り戻した。
さすがに王立学校の清貧派の派閥貴族にはジャバンニの言葉を信じる者はいないが、平民寮の新入生の中には期待感を示す者もチラホラと居る。
私たちはまとめたジョバンニの演説を精査して、論点のすり替えやミスリードを誘う語り口などを洗い出し、ジャンヌの意見書に対して何一つ答えておらず、教皇庁の声明を追随する内容である事を明確にした。
主に教導派との討論の場合に反論に使う手引き代わりとして平民寮に配布している。ここならばほぼ教皇派が居ないので冊子の内容が漏れる心配は少ない。
さすがにここ迄あからさまな冊子は又教皇派との軋轢の再燃につながりかねない。
私としては卒業式の大舞踏会迄、出来ればヨアンナの婚姻迄無用な騒動は願い下げなのだ。
街ではナデテの率いる少年少女たちが、あたかもジョバンニが教導派の腐敗や搾取を辞めさせるような期待に満ちた話題を振りまいている。
当面あの癇癪持ちのサイコパス野郎に対するネガティブキャンペーンは無しだ。
王立学校でも色々と当て擦りや嫌味は言って来るが、概ね奴の機嫌は良い。
王都大聖堂でも市民の期待を追い風にして発言力を付けている様なのだ。
そして三月に入り三年の中期が終了がまじかに迫る時期、ペスカトーレ枢機卿から声明が発せられた。
”ラスカル王国教導派聖教会は前聖女ジョアンナ・ボードレールに対して生前多くの貴賓を治癒した偉業を称え名誉聖女の称号を贈る”
”そしてその偉業の顕彰に寄与したジョバンニ・ペスカトーレ司祭を四月一日を持って大司祭とし、王都大聖堂の大司祭に任命する”
ふざけるな! ペスカトーレ一族!
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