第58話 王都大聖堂の大司祭(2)
【4】
その日はなんと王都大聖堂前の広場に大きな演台が設えられていた。
大聖堂のホールは殆んどが聖職者で占められて、一般市民はおろか貴族も一部の上級貴族以外はホールに入っていなかった。
広場を囲むようにぐるりと遠巻きにして馬車が幾台も並んでいる。
あれは全て貴族の馬車だろう。
大きく家紋を掲げた教導派貴族の馬車もあるが、家紋を隠した馬車もチラホラと見受けられる。
多分中間派の貴族達だろう。
当然ゴルゴンゾーラ公爵家やロックフォール侯爵家は無視を決め込んでいるが、かなりの密偵を紛れ込ませている様だ。
サレール子爵家やマリボー男爵家といった南部清貧派の急先鋒の貴族はこれ見よがしに馬車を降りて表に立って市民に混じって聴講の準備を始めている。
そして私はと言えば商家の娘の格好で首元から口の周り迄を襟巻で覆い深めのボンネットを目元迄かぶってグリンダとナデタに手を引かれてパウロと共に立っている。
これならば未成年の大店の娘が成人した兄と一緒にメイドに連れられて聞きに来ているようにしか見えないだろう。
「変装も何も、お嬢は元々商家の町娘じゃねえか」
「まあそうだねエ。私もこの格好の方がしっくりくる気がする。でもこのコルセットはヤッパリきついや」
「けれどぉ、教導派に紛れるならばコルセットは付けた方が宜しいでしょうねぇ。それからちゃんと手は繋いでいてくださいましぃ」
「さすがに迷子になるような子供じゃないわよ」
「いえ、暴れ出した時に直ぐに確保できるようにで御座います」
「ちょっとグリンダ! 失礼ね! そんな事しないわよ!」
「まあお嬢なら、グリンダに手を繋がれてても違和感がねえから良いんじゃねえか」
「あんた、私の背の事を言ってるんなら後で覚えてなさいよ!」
「シッ! セイラ様ぁ、奴らが出てきたようでございますぅ」
周りには多くの市民が詰めかけている。
孫とは言えハッスル神聖国の教皇の直系の司祭が演壇に上がるのだ。市民の興味も大きい。
演壇にはラッパ型の大きなメガホンが据え付けられている。
さすがにロックフォール侯爵家の聖堂で使用したジャンヌのスピーカーは真似できなかったようだが、音響メガホンの原理は気付いた様だ。
そして大聖堂の中から振り香炉を持つ聖導師を先頭に左右に燭台を掲げる聖導師が二人、その後ろから司祭服の聖職者が教導騎士団に囲まれて表に出てきた。
ジョバンニ・ペスカトーレだ。
「大層な格式ばった登場だね。権威主義丸出しで反吐が出そうよ」
「セイラ様、お静かに!」
「大人しくして下さいぃ」
グリンダとナデテに両手を握りつぶされそうだ。
【5】
演壇に上がった聖導師がひとしきり振り香炉を振って辺り一面に乳香の香りをまき散らした後に、演台の上に燭台が置かれる。
少し離れた位置に立つ私たちのところにまで乳香の強烈な香りが漂ってくる。
演壇脇に控える修道士たちが節をつけて唱える聖句の響きの中、静かにジョバンニ・ペスカトーレ司祭が演壇に登り始めた。
演壇に上がると修道士が二人メガホンの位置を調整しそのまま左右に控えた。多分風魔法で拡声効果を高めるつもりなのだろう。
『正しき道を求める敬虔なる信徒たちよ。よくぞ集ってくれた』
ジョバンニの第一声が広場に響いた。
思った以上に大きな音がした。
驚いた反応を示しているのはロックフォール侯爵家の聖堂に居なかった教導派信徒たちだろう。
特に驚いた風も無く聞いているのはジャンヌのスピーカーを知っている清貧派信徒で、それもかなりの数がここに来ているようだ。
「思ったよりあのメガホンの性能は良さそうね。構造も単純だしうちでも取り入れてもいいわね」
「港湾の荷積みや起重機の作業に良いんじゃねえか? 港や船上は風が強くて聞こえにくいからなあ」
パウロとそんな話をしているとまたジョバンニの声が響き出した。
『先ず初めにジャンヌ募金により北部の困窮した村落に燕麦の喜捨を行った王立学校の学生たちに創造主の加護が有る事を祈りたい』
ジョバンニから始めに発せられた言葉に広場の聴衆全体からどよめきが起こった。
当然である。清貧派の象徴であるジャンヌの名を関した募金に対して、ペスカトーレ侯爵家の人間が謝辞を述べたのだから。
「ずっ…ずいぶんと上から目線の謝辞ね。腹の中では何を考えているのだか」
「セイラ様、そうかもしれませんが謝辞を述べたという影響は大きいですわよ」
私の罵倒交じりの言葉にグリンダが冷静に返しを入れて来る。
あのジョバンニだから初めからケンカを売ってくると思っていたのだが、少々肩透かしを食らった感じである。
『宗派の教義に対して異論はあるが飢えに苦しむ信徒に慈悲を垂れる事に貴賎の差はなくあまねく祝福がなされるのは当然の事であろう。ならば我らはこの度のジャンヌとその賛同者の燕麦の喜捨と言う行いにも同様に祝福を望むものである』
周辺の聴衆からは歓迎の声が上がるが、私にはその中に悪意も感じ取れる。
「さっきから燕麦を強調したり貴賎の差とか一々癇に障る言い方ね」
「褒めながら貶めてるんだろうな。お嬢が良くやるやり方じゃねえか」
「グッ…」
『わたしは今この場でジャンヌ・スティルトンに申し告げたいことがある。教義において相容れぬ事は大きいが、汝の母聖女ジョアンナの偉業は何人も傷つける事は出来ん。かつて我が祖父であるペスカトーレ・クラウディウス一世教皇猊下がこれ迄なされた事に瑕疵があるとは申したくないが、この度は晩節を穢されたと感じている。聖女ジョアンナはペスカトーレ・クラウディウス一世教皇猊下のご指示の下治癒を施した以上は、教皇猊下の祝福を賜った事と同威儀であったと私は思っているのだ。そもそも教皇庁の権威の元に与えられた聖女の称号は、他の治癒術士の行いと同じような軽いものであってはいけない。故にわたしは一介の司祭であるが個人として聖女ジョアンナに謝罪致す』
最期の言葉に会場中が一斉に沸き立った。
清貧派の市民はこの話に歓喜している。
「勝利だ!」
「教皇の孫である司祭が謝罪したぞ!」
「我々の勝利だ!」
教導派の市民や貴族にしても聖女ジョアンナに対しては尊崇の気持ちが大きいため好意的に受け止めている。
「身内であっても、非は認め謝罪する。出来た司祭様ではないか」
「これからの教導派をしょって立つ器だ」
私の動員したメイドやサーヴァントですら彼の話に歓びを露わにしている者が多い。
「これは詭弁よ! あいつの言葉の罠じゃないの」
「ああ、そうだな。血筋がどうあれ一介の駆け出し司祭の謝罪など聖教会内じゃあ大した意味もねえだろうな」
「それにぃ殊更教皇の権威を強調してジョアンナ様の偉業をぉ貶めにかかっているのはぁ火を見るより明らかなのですがぁ…」
「なら二人ともどうして私の手を握るその手に力が入ってるの? 痛いんですけれど」
「それは当然で御座います。手の力を緩めれば…」
「お嬢はその襟巻を振り捨てて正体を晒して演壇に踊り込むからじゃねえか」
「グッ…。でもこんな詭弁許せないのよ」
「ならばセイラ様、ナデテ!」
「はい! グリンダメイド長」
ナデテが答えて口笛を吹く。
あっと言う間に辺り一帯から獣人属や人属の汚れた服装の子供たちが集まって来た。
「「「「お嬢さま…お恵みを」」」」
服装の割に髪も梳かされ身ぎれいで清潔そうだ。
「パブロ、セイラ様をしっかり拘束しておいて」
「グリンダ! 拘束ってあなた!」
「みんなぁ、フォーメーションFー8ですぅ。二人一組で伝令をぉ!」
そのナデテの一言であんなに集まっていた子供たちが一斉に散って行く。
「なっ…何なのあの子たち」
「ライトスミス商会王都支部の精鋭予備軍です。仕込みの商会員たちに伝令に向かいました」
「だからフォーメーションF-8って一体…」
「シッ! お嬢、続きが始まるぜ」
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