第95話 北海東部航路
【1】
シャピの北海周回船団旗艦の大型外洋帆船黒シャチ号は三隻の編成でアヌラ王国から海岸伝いにダプラ王国を目指していた。
ダプラ国境に近い漁村に寄港し漁民からラッコの毛皮を仕入れている時にその情報がもたらされた。
「オーイ、
村に食糧の買い付けに出ていた水夫たちが慌てて帰って来た。
「何だ。それだけじゃあわからねえぞ。落ち着いて話せ」
「ダプラで戦争がおこったそうだ。村長が東部海域はあぶねえから行くなってよう」
「いったいどういうこった。それだけじゃあさっぱりわからねえ」
「村長の家にアヌラの王城から通達が来てた。村長も村の奴ら文字が読めねえから口上を聞いただけだそうだが、ダプラ王国とギリア王国が戦になったそうだ」
村長がとか言っているが、こいつらだって字が読める訳では無い。
水夫長は舌打ちをして夜ガラスの小僧を呼びに行かせた。
夜ガラスの小僧は荷受けの帳簿付けの最中で、鉛筆と帳簿を持ったままのそのそとやって来た。
「おい、夜ガラス。悪いが村長の所に行って王城の通達とやらを読んできてくれ。内容を書き写して後はベラミー水先人…いやベラミー船長に報告しな」
夜ガラスの小僧が頷いて村に駆けだして行った。
その間に水夫長は銀シャチ号の水先人だったベラミー船長を呼びに行かせる。
「船長、ダプラ王国とギリア王国が
「ギリアとダプラ? ガレとギリアじゃねえのか? 意味が解らんな。ノース連合王国で内戦って事か?」
そこに夜ガラスが返って来た。
「船長、通達は書き写してきた。どうする、読み上げた方がいいか?」
この小僧は不愛想だが有能で機転も利く。水夫連中にも情報共有を図るためにそう言っているのだろう。
「ああ、そうしてくれ。お前らも一旦作業を片して集まれ!」
水夫たちや手伝いに来ていた村人もゾロゾロと集まって来た。
「おい、夜ガラス。やってくれ」
「へい、船長。アヌラ王宮内政省より通達、諸神の加護多きアヌラ王国が臣民に対し王名を以て以下の布告を…」
「エーイ、読まなくていい! 何を言っているか訳が分からんから、掻い摘んで説明してくれ」
「アヌラ王の名のもとに国民に伝える…面倒癖えなあ。なんでもダプラ王国がギリア王国で海賊やったってんでギリア王国がダプラ王国に宣戦布告したんだってよう。アヌラ王国はギリア王国の言い掛かりだって思うからダプラ王国の見方をするんだってさ。そんで、戦争になったら騎士団を派遣するからそのつもりでいろってこった」
「ダプラがギリアの船をねエ。漁船で夜襲でもかけたのか?」
「帆船二隻で商船団を襲撃したってよ。ダプラはそんなでけえ帆船なんて持ってねえだろう。アヌラの言う通り言い掛かりだろ」
「しかし解せねえなあ。そんなことして何のメリットがあるんだ? 戦争になんかなったら通商が滞ってしまうぜ」
「それよりも船長、夜ガラスの言う通りならダプラで戦が始まるぜ。この先東部海域に廻るのはヤバくねえか」
「…ウーン。とは云うもののダプラやギリアの情報は欲しい。この海域に居る商船団は俺達だけだろうからな。…戦になっても陸戦が主体だろう。海戦に巻き込まれりゃあその時はその時だ。俺はダプラに廻ろうと思う」
「だとよ、夜ガラス。船団長の決定だ、他の船の船長に伝えてきな。異論があるならベラミー船長に談判に来いって伝えときな。まあ、来ねえだろうけどな」
新たな航路に出て来る船長や船員だからこの程度で躊躇する様な者はいないのだろう。
ということなら、補給と交易が終了すれば予定通り出港だろう。
「補給を急がせろう! 毛皮の買い付けは切り上げろ。補給が済めばすぐに出港だ」
「おい、船長。早急すぎないか? なんでそうすぐに出港しなけりゃいけねえんだ」
「目先の金儲けに惑わされるな。この先の日を追うごとにダプラ海域の状況は変わる。一刻も早く情報を握ってシャピに帰る事が俺たちのすべき事なんだよ。納得いったならさっさと水夫長の仕事をしやがれ」
【2】
船団は毛皮の取引を打ち切って、水と食料を積み込んで翌日には漁村を出港した。
ダプラ王国に入るとやはり様相は一転していた。
ダプラ王国は多神教で獣人属が人口の半数以上を占める国だ。その上王家も人属に近いとは言うものの獣人属の血が多く混じっている。
それが教導派を国教とするギリア王国から宣戦布告されたのだから、危機感は半端ではない。
停泊した漁村の村民も不安を隠しきれないようだ。
「ギリアが攻めて来たなら私たちは皆殺しにされる」
「そうで無くても捕まれば奴隷に売られてしまうのだわ」
特に獣人属の村民は怯え切っていた。
「それでもアヌラ王国はダプラに味方すると宣言していたし、俺たちだってギリアの言っている事が言いがかりだって事は分かってるさ」
「ガレの王家が仲裁の為に間に入ってくれていると役所の連中は言っていたけれど。ガレ王国がギリアの味方をすればどうしよう…」
「大丈夫だって、ガレとギリアは仲が悪い。ダプラやアヌラを見捨ててギリアに付いたりはしねえさ」
「それでもどちらも聖教会の国じゃないか。アヌラだって清貧派聖教会の教徒も多い。いつ手の平を返すか判らないよ」
「安心しな。世の中艘捨てたもんじゃねえ。ダプラは間違っちゃいねえ。ガレもアヌラも見捨てねえって」
商船団の者たちはそうは言ったものの、実際の状況は混沌としている。
国力的にはダプラはギリアの半分ほどしかないのだ。
国土面積や人口は変わらないが北辺の農業国であるダプラは経済力でも技術力でもギリアに大きく水を開けられている。
教導派で対岸の大陸との窓口でもあるギリア王国とダプラ王国は、国境を接していながらその教義や人種の違いから殆んど国交が無かった。
ギリアからすれば同じ北辺でも銅や銀の鉱山を抱えるアヌラと違い、ダプラにはこれと言った目ぼしい者の無い国だった。
それがシャピの商船団の活躍により、皮革製品の取引量が大きく増えた上畜産での乳製品の取引も増えて始めた。
それが有ってなのだろうギリアが食指を伸ばし始めたのは。
二つ目の漁村も一つ目と同じような状況だったが、いち早くガレ王国がギリア王国の主張の正当性を疑う声明を出したとの情報が入った。
シャピの北海西部航路の開拓によって、ガレ王国が新たに中継点として注目を浴び、清貧派であるガレ王国にダプラの商隊が皮革製品を運び込みだした上、アヌラの鉱物も遠いギリアでは無く国境を接するガレに流れ始めたのだ。
その為ガレとギリアの反目が高まったうえ、年明けの一方的なラスカル王国との断交で二国間もかなり緊張状態だったのだ。
「おい夜ガラス。ガレはどっちに着くと思う?」
「まず間違いなくガレはダプラ寄りのスタンスをとってるだろうな。ガレとギリアは国力は拮抗していると言うものの人口比も国土面積もガレの方がギリアより小さい。この上ギリアがダプラに攻め込んで利権を手にすればガレも呑み込まれかねねえぜ」
「そいつもさっき見てきたガレ王国からの通達とか言う書類からの推測か?」
「ああ、ガレの王侯はギリア王国の武力行使に反対すると謳ってたぜ。水夫長も字ぐらい読めねえと船長になれねえぜ」
「よしてくれ。俺はそんな責任は負いたくねえさ。今のままで充分だ」
「ああ、欲のねえこったな」
船団は不穏な空気を感じながら、更にダプラ東岸を南下してギリア王国との国境に近い三つ目の漁村に近づいた時にその事件に遭遇した。
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