第53話 ロックフォール侯爵家聖堂

【1】

 波が来ている。

 ならば乗るほか無いだろう。

 それならばこのまま攻勢に出るべきだろう。


 私はこれまでに三回、王都大聖堂と教皇庁に宛てて治癒贖罪符に対する意見書を提出している。

 聖典の記述を引用し、聖典から外れて聖教会の行為を批判し、清貧を旨とすべき聖職者の贅沢や聖典の説く平等に反する階級制度や種族差別に対する批判、そして何より治癒贖罪符の根拠のなさを徹底的に批判した。

 しかしそれに対して教導派聖教会は一切口を閉ざしたままで反論すらしてこない。

 仕方が無いので意見書の印刷と国中の聖教会への配布を準備しているとジャンヌから提案があった。


 月が替わって直ぐ、まだ底冷えがするこの時期に南部レスター州グレンフォード大聖堂からボードレール枢機卿が王都にやって来た。

 目的はゴルゴンゾーラ公爵家へのヨアンナの婚姻決定の祝福と婚礼式までの打ち合わせという事であるがこれは全て建前である。


 ボードレール枢機卿は清貧派では王都で一番古いロックフォール侯爵家の聖堂に入った。

 かつて聖女ジョアンナが王都来たおりの宿舎としてロックフォール侯爵家が建てた宿泊所が元になっており、未だ司祭だったボードレール枢機卿も度々滞在していたのだ。

 聖女ジョアンナが死亡してからは王都で唯一の清貧派聖教会としてロックフォール侯爵家の庇護の下、南部清貧派貴族の心のよりどころとして続いて来た。


 ここ数年で清貧派の聖堂はいくつかできたが、清貧派聖教会聖堂として象徴的な場所でもある。

 ボードレール枢機卿も兄や親族の暮らすボードレール伯爵家の王都別邸よりこちらの方が馴染みがあるのだろうと清貧派信徒は噂していた。


 そんな二月のある日、ロックフォール侯爵家の清貧派聖堂でボードレール枢機卿の説法があると告知された。

 更にその日は姪の聖女ジャンヌもやって来ると告げられた。


 清貧派教徒のみならず、今の教導派聖教会に不満を持つ市民たちは清貧派では初めて枢機卿になったボードレール枢機卿と共にジャンヌの話も聞けると知って大挙して集まって来た。

 聖堂内は人がいっぱいで、聖堂前の広場もロックフォール侯爵家の大門前の車寄せも解放され全て聴衆で埋まってしまった。


 聖堂の前屋根の上や広場や車寄せに櫓が組まれその上に巨大な太鼓に管がついた様な物が設置されている。

 大量の市民が集まる事を見越した設置された秘密兵器だ。

 伝声管を真似て風属性魔法で音をつたえるスピーカーなのだ。風属性を併せ持つジャンヌ(冬海)が色々と試してどうにか作ったものだ。

 風属性術士が一台に一人づつついて櫓の上で操作する。

 そしてそのスピーカーから流れ出した第一声はジャンヌの声であった。


【2】

『皆さん、聞こえておりますでしょうか。私はジャンヌ・スティルトンと申します』

 広場や車寄せはおろか通りまで響くその声に市民たちは驚きの声を上げた。

「おい、ジャンヌ様だ!」

「聖女様のお声が響いておる!」

「聞こえておりますぞ聖女様!」

 一瞬の間をおいて群衆の歓声が辺りに響き渡った。


『皆様、今日はここにボードレール枢機卿猊下が見えられております。ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、猊下は我が母である前聖女ジョアンナ・スティルトンの兄君になられます。私はこの機会に伯父上であるボードレール枢機卿猊下と共に皆様に申し上げたい事が御座います』

「おおジャンヌ様!」

「ジョアンナ様の事は覚えておりますぞ!」

「王都に来るたびにここで炊き出しをして下さっておった」

 群衆はジャンヌの一言一言に返事を繰り返している。


『皆様、我が母ジョアンナは聖年式で光属性を発現してより没するに至るまで、その命を削って治癒施術に携わってきました。十二で生まれ故郷のグレンフォードを離れそれからは教導派聖教会の命令でこの国のいたる所を回って働き続けたのです』

「おお、そうだ! この王都にも何度も来てくださった!」


『当時の聖教会の枢機卿や大司祭は母に多額の喜捨を得られる大貴族や豪商ばかりを回らせました。そうして私腹を肥やす一方、母ジョアンナの身の回りを世話し守ったのはグレンフォード大聖堂が付けた修道女が数人とグレンフォード大聖堂のわずかな聖堂騎士しかいませんでした。当然その修道女も聖堂騎士もボードレール伯爵家が派遣した者たちでした。警護もままならない状態で市井の冒険者の協力で行く先々の領地で農村や町に隠れて出向き無償で治癒施術を行い続けました』

「その通りだ」

「私の幼い時同じ孤児院居た子たちがジョアンナ様に助けられたわ」

「俺の娘はジョアンナ様のお陰で命を助けて頂いた。今じゃ三人の子持ちだ。これもすべてジョアンナ様のお陰だ」

 先代の聖女と関わりのあった人は王都に多い。


『そうです! 母ジョアンナは貴族の館に赴いて治癒施術を施してきたのです。大聖堂の治癒術師はその立派な部屋から一歩も出ないで来るものだけに治癒施術を行っていたというのに。母を助けたのは父である騎士爵のスティルトン聖堂騎士団長や平民出身の清貧派聖職者、そして市井の冒険者と市民だけでした。私の母である聖女ジョアンナに治癒を命じたその枢機卿や司祭達は御立派に出世され、母は何一つ報われる事無く私を生んで身罷られました』

 その言葉に全ての聴衆から怒りとすすり泣きの声が響き渡った。


『そして今、その聖職者たちは聖教会の聖堂以外で行われた治癒施術では地獄に落ちると言っているのです。我が母ジョアンナは清貧派であったが故に、教導派の受戒を拒んだが故に聖教会にすら入れて貰えず、町や村の心優しき信徒の家に留まり領地の貴族の館で、村で、町で治癒を施してきました。王都大聖堂はその全てを否定しようとしています!』

「そうだ!」

「そんなこと許す訳には行かねえ」

「聖教会のクズどもが!」


『皆聞いて欲しい。わしは枢機卿のボードレールだ。わしはそんなジョアンナを守り切ることが出来なかった。我が姪のジャンヌはかろうじてジャンヌの父であるスティルトン卿が守ったが、その為にかの者も護衛の冒険者であるディエゴ殿も命を落とした。手を下した者は断罪する事が出来たが、命じた者は未だのうのうとどこかで生きておる。それを許した教導派が、今またジョアンナの行いを地に落とそうとしておる。その上魂を救うために金を払えと…汚れた魂を持つ者が施す贖罪符に如何ほどの力が有ると言うのか! ジョアンナだけではない。今ジョアンナの志を継いでいる聖女ジャンヌやそれに従う治癒術師たちも地に落とそうとしておる。このような事見過ごすわけにはゆかん』

 ボードレール枢機卿の吠える様な声が響き渡った。

 怒りの声と怒号に包まれたいた聴衆の中から聖霊歌の声が聞こえ始める。


「♪創造主に賄賂を贈り、天国への免罪を強請るなんて本気なのか♬」

 そのうちにあちこちで聖霊歌の声が聞こえ始める。

 当然仕込みである。

 私が用意した聖霊歌隊の娘たちを群集の中に紛れ込ませていたのだ。


 やがて歌声は次々に広がって行く。

 それに併せて設置されているスピーカーからも同じ聖霊歌が響き出した。

『諸君らが愛した聖女ジョアンナは死んだ…何故だ? 悲しみを怒り…ウグッ…モガッ』

『皆様、聞いて下さい。怒りに身を任せてはいけません。我が母ジョアンナも私も困窮している方々を救うためにこうして治癒施術を行っているのです。求めるのは皆様の安寧です』

「「「「♪生まれた場所や種族の違いで、いったいこの我らの何がわかるというのだろう♪」」」」


『この事さえ知って頂ければ…、身分の貴賎に関わらず私たちと共に歩いて下さるだけで構わないのです』

 ジャンヌの声が更に響く。

「「「「♪迷える民のもとに行く馬車に私達も乗せててくれないか♪ 行き先なら

 どこでもいい♪」」」」


『皆様がこの事実を、私たちの思いを受け入れて下さり、ともに祈って下されば今にこの王都を覆う黒い雲も打ち払われる事でしょう。軽率な行動は慎み私たちの言葉に耳を傾けて下さるように隣人に説いてまいりましょう』

「「「「♪歴史が私達を問いつめる、創造主が照らす青い空の 真下で♪」」」」


 講話が終わっても帰るものはいなかった。それどころか次々と人が詰めかけて聖霊歌がこだまし続けた。

 ロックフォール侯爵家の聖堂の周りでは日暮れまで群衆の歌声が響き続けた。

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