第54話 王都大聖堂(1)

【1】

 群衆の盛り上がりと興奮は予想以上のものがあった。

 ジャンヌの呼びかけが無ければこのまま王都大聖堂への殴り込みや暴動に発展してもおかしくない程に。


「叔父上様、少し煽り過ぎましたね」

「ああ、わしもジョアンナの事もジャンヌの事も有るので興奮してしまった。特にゴッダードでのあの事件の事を思い出すと今でも腸が煮えかえりそうでな」

 そう言いながらボードレール枢機卿は私に親しげに笑いかけた。

 私もこうして会って話をするのは数年ぶりだ。


「セイラさん! そもそもあの状態で何を言おうとしてたんですか!」

「いや、だからジャンヌさんと同じで…」

「嘘ばっかり! 目が泳いでるよ! あの演説の内容は知ってるんだからね」

「いえ、はい、ゴメンナサイ」

「セイラ殿とは打ち合わせておったがあの原稿はなかなかよく出来た原稿であったぞ」


「叔父上様もセイラさんもそうやって王都大聖堂にプレッシャーをかける気だったのでしょうけれど、暴動に発展する可能性もあったでしょう」

「そこはわしもヨハネス卿にも話しを通してコントロールできるように手は…」

「そう言ってすべてが思い通りに行くとは限りません。不測の事態も起こるという事を頭においてください。セイラさん! 昔よく言ってましたよね。失敗する可能性の有るものは何でしたっけ?」

「はい、失敗する可能性の有るものは失敗する…です」

「そうね。なら何故それが判っててあんな事をしようとしたの?」

「たっ多分大丈夫だと思いました…」


「それで何度失敗したのかしら?」

「十一の時にゴッダードの商工会や枢機卿様や両親に迷惑を掛けました。十五の時に両親を泣かせるような事をしてしまいました」

「それだけ?」

「その前にも…その前にも…ゴメン、勘弁してくれ」

「これでまた危険な目にあう様な事になったなら本当に許さないからね」

「はい…」

「叔父上もですよ!」

「相分かった。これからは慎むから勘弁しておくれ」


 ジャンヌ(冬海)の目に涙が見えた。

 年が明けてからジャンヌ(冬海)に叱られる事ばかりだ。


【2】

 あのジャンヌの演説会以来王都には不穏な空気が立ち込めている。

 王都大聖堂の前でジャンヌのあの聖霊歌を集団で歌うものが後を絶たないのだ。

 聖霊歌”青空”は今や王都中で口ずさまれている。


 強権を発動して鎮静化したいのだろうが、その指令を出す大司祭が空席で思い切った動きが出来ない。

 私達もそのタイミングを狙ったのだが、予想していた以上に王都大聖堂の動きは遅かった。

 王都大聖堂や王宮聖堂の動きは清貧派枢機卿たちとは没交渉なので詳細は伝わってこない。

 ボードレール枢機卿が言うには司祭同士が責任の擦り合いをしているのだろうと言うことだ。


 それからしばらくして王都大聖堂前の広場に集まる群衆に対して教導騎士団を動員して排除に出たのだ。

 そして大聖堂前に集団が集まる事を禁止し常時教導騎士による見回りと巡回が開始された。

 私の意見書に対しては無視を決め込んでいた王都大聖堂もジャンヌの言葉で動き出したようだ。


「ここは王都大聖堂の敷地である。速やかに解散しここに集う事を禁ずる」

 教導騎士の宣言に集まっていた市民たちが声を上げる。

「それでジョアンナ様の行いはどうなんだ」

「聖女ジョアンナ様の治癒で地獄に落ちるというのか」

「そうだ答えてくれ。教導騎士様!」


「黙れ! 静まれ! ここは聖域だ! 勝手に喋る事は許されん!」

「聖域で聖霊歌を唄って何が悪い!」

「そうだ! 創造主に捧げる聖霊歌こそこの地に相応しいだろう」

「黙れ! 黙れ! その歌はジャンヌ聖霊歌だ。背徳の聖霊歌だ!」

 詰め寄る市民に教導騎士は樫の木の撮棒を振り回した。


「ジャンヌ様の歌が背徳だと!」

「どう言う事だ、ジョアンナ様だけでなく娘のジャンヌ様も貶める気か!」

「許せない! ジャンヌ様の聖霊歌まで!」

 いきり立つ市民にうっかりと口を滑らせた教導騎士は顔色は無くした。


「口を利くな! とくこの場より去れ!」

 教導騎士は慌てて詰め寄る群衆を撮棒構えて臨戦態勢をとる。

 その様子を見て更に群衆がヒートアップしかけたがそこに澄んだ声が響き渡った。


「♪君に母の祝福がありますように、私の命の喜びである君に♬」

 その場の全員が一斉にその声のする方に目を向けると、そこに立って唄っているのは意外にも精悍な青年だった。

 ただただその声だけが美しくあたりに響き渡った。


「♪父が私のために君を守り、私たちすべてをお守りくださいますように♪」

 市民たちも聞いた事のあるジャンヌ聖霊歌の一つだ。

 ただ唄っているのは革鎧を付け腰にショートソードを吊るした冒険者然とした青年なのである。

「ああ、ジャンヌ様の歌だ」

「聖女様の聖霊歌だ」


「皆さん聞いて下さい。ここで血を流したり皆さんがケガをしたり罪に問われる事をジャンヌ様が望まれるでしょうか」

 その青年の後ろから現れたのは修道士服を着て首から駒鳥のメダルを下げた清貧派の聖職者の青年だった。


「そうだぞみんな。あの説法の場でジャンヌ様の言われた事を思い出せ。ジャンヌ様の希望は何だ? あんた達が暴れて王都大聖堂に乱入する事か? 違うだろう。教皇猊下や枢機卿様にジョアンナ様の成されてきた事を認めて頂く事、ジャンヌ様の想いを伝える事だろう」

 先程の聖職者の護衛なのだろうか。一緒に並び立った聖堂騎士の青年が群衆に呼びかける。


「今の聖霊歌を聞いて気付きませんか? ジャンヌ様は私たちとは比べるべくも無い辛い思いを乗り越えていらした。生まれてすぐに両親を亡くし、幼くして慈しみ育ててくれたお婆様を目の前で殺された。それでも復讐に囚われる事無く慈悲を説いて教導派を正そうとしている」

「その通りだ! ジャンヌ様はご両親もお婆様も教導騎士に殺されたんだ」

「教導騎士団の恥知らずめ」

「さらにこの上ジョンアンナ様を貶めたいか!」


「だからこそ聞きな! そのお辛いジャンヌ様の想いに気づかないのか? 奴らが権力と暴力で攻めてくるなら俺たちは慈悲と慈愛を持ってそれに答えるんだろうが!」

 また聖堂騎士が言うがそれでも群衆の怒りは収まらない。



「俺の両親は二人とも冒険者だったんだ。でも俺は父ちゃんの顔を知らねえ。ジャンヌ様を守って死だんだと。母ちゃんもジャンヌ様を守るためにずっと護衛に就いてた。その母ちゃんが言ってた。父ちゃんを誇りに思うのは討ち死にしたからじゃねえ。敵をだれ一人殺さなかったからだって。ジョアンナ様が人の命を救ってるのにその護衛が人殺じゃあ意味がねえってな。だからジャンヌ様もその慈悲に縋る人は皆救ってくれる。人は悔い改める事が出来るってな。ジャンヌ様がポワトー枢機卿を救った事でポワトー女伯爵カウンテスは弟君を清貧派の修道士としてグレンフォードで授戒させたんだ。なあ、解るだろう。俺たちがどうすべきか}


「そうだな。冒険者の兄ちゃんの言う通りだ」

「こんな事でジャンヌ様のお心を乱すのは間違ってるな」

「おい教導騎士さんよう! あんたらが権力で来るなら俺たちはジャンヌ様と共に慈愛で戦う」

「なあ教導騎士様。あの聖堂騎士様や冒険者さんとあんたらとどちらが正しい事を言っているか考えてくれ」


「俺はあの日ロックフォール侯爵家の聖堂前にいたが、あの修道女様を殺そうとした教導騎士を助けたのは誰だったかよく考える事だな」

「俺たちの唄っていたジャンヌ様の聖霊歌を思い出してくれ。俺はジャンヌ様の馬車に乗る。なあ、あんたも一緒に乗るなら歓迎するぜ」

 緊張で硬直していた教導騎士達は急激に殺気が退いて行く大聖堂前の広場で、三々五々帰路につく市民たちを見ながら、彼らに言われた事を頭の中で反芻し始めていた。


 大聖堂の司祭や教導騎士団の幹部に顎で使われる末端騎士たちの中にジャンヌの聖霊歌が滲み込んで行った。

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