セイラ 15歳 ゴルゴンゾーラ卿

第146話 雪解け

【1】

 冬の間ライオル領から冒険者崩れの無頼者が何人かやってきたが、州兵に捕縛されてクオーネの法務局へ送られた。


 春が来て行きで閉ざされていた関所が開いたが、ライオル領へ向かう四つの関所は向こうで閉められてしまった。

 数度ライオル伯爵家に抗議を入れたが無視された。

 同じリール州のモルビエ子爵領へ向かう関所も規制が厳しくなり、商人や官吏は実質通れなくなってしまった。

 多分関所の閉鎖で通商が滞ると思っているのだろうが、おかげで船便は大盛況である。

 冬場に織り上げた毛織物は市価より安い価格でクオーネに出荷されて、染色加工されている。

 紡績加工された毛糸の一部も染色の為にクオーネに運ばれる。入れ替わりにクオーネから日用品やコーヒー、砂糖、香辛料も運ばれてくる。

 月に二回の入港日は船着き場の村はチョットしたお祭りのようになる。

 カマンベール男爵領のチーズとベーコンはサロン・ド・ヨアンナでも評判になって良い収入になっている。


 ライオル伯爵家はカマンベール男爵家が困窮していると思っている様だが北部との取引以上に州内での経済活動は活発になってきている。

 このひと冬の間にカマンベール男爵領は劇的に変わったのだ。

 ポテンシャルは有ったのだろうが、二年前に領内の農地の改革を始めたそうで、一昨年からその成果が出始めていると言う。

 昨年はさらに収穫が上がったそうで、村人は冬の盗賊騒動が無ければ今年は羊の生産もさらに伸びていたのにと悔しがっている。


 お陰で早急に動いて事件を解決した領主家一族やいち早く州軍を派遣したゴルゴンゾーラ家への信頼は高まっている。

 もちろんライトスミス商会に対しても冒険者の派遣や猟犬使いの捕縛の話が大きく喧伝されてちょっとした英雄扱いだ。

 酒場で自慢話を吹聴する居残り冒険者たちに混じって、リオニー達が尾ひれをつけて派手に誇張した冒険譚をまき散らしているのだ。

 兼ねてより煮え湯を飲まされてきたライオル伯爵家とオーブラック商会が関わっているのだから、この勧善懲悪譚は領民の留飲を下げるのに持って来いの話題だ。

 閉じ籠りがちの冬場に降って湧いたこの話は、村々で大道芸人が好き勝手な誇張をして唄い歩いたことで瞬く間に州内に広がった。


 どうもクオーネのセイラカフェでは吟遊詩人を雇って、州内各領の領主館やサロン・ド・ヨアンナで唄わせているらしく、細かい実名や領地名は隠している物の世情を知る物なら直ぐに気付く暗喩でリール州をはじめとする北部貴族や商人に対する反感を煽っている様だ。


「ワハハハハ、それでリオニーを罵ったせいでパブロがロアルドたちにメイドを一切近づけなかったと言う事か。そいつは大正解だ!」

「それでその時のロアルド様の顔と言ったら…ウフフ。今思い出しても可笑しくて」 「ルーシー殿もお気を付けなさい。ライオル家の女癖の悪さは有名だからな。ロアルドに見られただけでルーシー殿も若いメイドも穢されてしまうぞ」

 吟遊詩人の一件はほぼ間違いなく、今広場でルーシーさんやリオニーを侍らせて、村人を集めて調子よく酒を喰らっているこのチョイ悪オヤジの仕業に違いない。


 セイラカフェで聴いた吟遊詩人の唄は細部まで正確で尚且つ個人を特定する部分は貴族や有識者でしか判別できないような暗喩に隠されている。

 そんな事が出来るのは余程状況に精通した貴族しか居ない。

 それに該当するのは船が着くたびにこの村にやってきて騒いで帰るフィリップ・ゴルゴンゾーラ卿しか考えられないのだ。


「ゴルゴンゾーラ卿。少し気になる事が有るのです。昨年出回った安価な毛織物がまたアヴァロン州に流れ始めているのです。さすがに昨年の様に質の低いものではないようです。その分価格も若干高めではありますが、」

「それが? ライオル領から出ているのではないかと言うのか? それでお前の毛織物は負けそうだと?」

「バカバカしい! カマンベール領で織られた毛織物とは品質も価格も雲泥の差が有りますよ」


「それでその毛織物の事をどう見る?」

「たぶん、リコッタ伯爵領に納めた紡績機の技術を盗まれたのだと…」

「それでこの先大丈夫なのか?」

「ええ、リコッタ伯爵領に納めたのは旧式のリネン用の紡績機です。細い糸しか撚れません。カマンベール領の新型は太い糸も細い糸もどちらも撚れます」


「それならば今後の特許権の管理を厳格に行えばどうにかなりそうだな」

「ただそれだけでは無い様な気がするのです。出回っている織物の量が多すぎるのですよ」

「その理由は?」

「以前ライオル領のハスラー製の廃棄用織機をレッジャーノ伯爵が購入した事が有りました」

「それでライオル伯爵がハスラーから大量に織機を買い付けたと」

「もしそうなら思い切った策に出ていると言う事だな。出費も嵩んでいるから後には引けまい。春になれば更に何か仕掛けてくると言う事か」

「それで無くともシュトレーゼ伯爵やフラミンゴ伯爵に大量の織機を売っているのですから、あの二人がリネンから羊毛に切り替える可能性は大きい思うのですよ」


「チョット待て。確かその話去年聞いたな。旧式を在庫処分したと」

「ええ、ですからリネンの時期が終われば機械を遊ばせるのは勿体ないと思うので羊毛に‥‥」

「お前らしくも無いな。その織機ライオル家に流れているんじゃないか?」

「あっ! そう言えば両家とも多ければいくらでも買うと…」

「特許は模倣品の製作販売についてで、転売なら対象外だ。おまけに旧式の織機はハスラー製品のコピーだから特許には引っかからない。やられたなぁ」


「それが有るから羊毛を搔き集めようと必死になっていたんでしょうね。羊毛が無ければ織機は動かせませんからね」

「それで対策はどうするんだ?」

「別にカマンベール領で織った毛織物が負ける事は有りませんから放っておいても構わないのですが…。ここ迄虚仮にされてそれじゃあ腹の虫がおさまりませんよね」

「ああ、全然弱いね。弱い弱い」

「それじゃあ一気に打って出ますか」

「少々強引だが州内で織物工場の設置を推し進めるぞ。紡績機もいれるが、西部の紡績工場にも亜麻の収穫期までの期間に羊毛の紡績を依頼しよう。少しくらい金が嵩んでもハウザーでも紡績依頼を出すぜ。余剰な羊毛はアヴァロン商事組合が全力で抑えて、羊毛はライオル領へは一切流さねせえ」


「糸を抑えられれば織機の稼働率は下がるのでライオル伯爵家は痛手でしょう」

「大型の新型織機はどれくらい導入出来る? 工場は大型主体で進めたい」

「今納品できるのは七機。夏の収穫期までにはあと十二機は生産できると思うんですが…」

「ヨシ! その七機は州内各領に一か所ずつ設置させよう。状況を見て後の十二機を順次追加設置して行くぞ。土地と建物の投資資金は領主とアヴァロン商事組合が賄うから設備投資はライトスミス商会がやれ。設備代金は全て株式に転換して経営権はお前の商会に任せる」

「待って! 待ってください。早急すぎる」

「待てねえ。早々に土地の選定だ! 雪解けには着工できるように目途をつけるぞ」

 このオヤジ、思っていた以上に強かでフットワークも軽い。


「土地の選定には条件が有ります。河沿いで船が付けられる事と水車が設置できる事。いまカマンベール領で実験中ですが水車で織機を動かせるよう設備改造中です。目途がつけば設置した大型織機は全て水力式に改造します。そうなれば、お判りでしょう?」

「もちろん綿布もだよなあ。お前のフライングシャトルが盗まれても市場を占有しちまえば太刀打ちできねえな」

 ゴルゴンゾーラ卿は極悪な笑顔で微笑んだ。

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