閑話21 福音派神学校(5)

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆彡

 母親の応急処置を終えるとテレーズは、まだ意識の戻らない男の子に向かった。

「頭を…頭を確認いたします。ここは血管が集まっていますから魔力を流し過ぎるのも危険です。私が精査いたしますから、エレノア殿下は私の腕を掴んで容態を一緒に見て下さい」


「テレーズ修道女様、私はどうすれば良いすっか?」

「シモネッタ様はそのまま呼吸補助を続けて下さい」

「テレーズ修道女様、体の異常は? そちらは良いのですか?」

「体に大きな外傷や骨折の腫れも見受けられません。それなのに意識が無いのは頭部に何かが有るはずです。そしてその場合、身体障碍や死亡の原因になる可能性が高いのです」


 テレーズが慎重に魔力を流して行くと頭蓋骨の中に出血が見られた。

「エレノア殿下、お判りになりますか? 頭蓋骨の内側に血の塊が有る事が」

「はい、テレーズ修道女様。脳自体が腫れているように思いますが」

「ええ、ですから貴女には血液への輸液をお願い致します。以前岩塩を加えた輸液を憶えていますか?」

「はい、それを行うのですか?」

「ええ、脳の腫れ具合を見ながら輸液を行ってください。私は出血の治療をします」


 さすがにテレーズも脳の出血処置を行うのは初めてだった。

 理屈は色々と学んできた。頭蓋骨内の脳圧を下げる為出血箇所を除去する。

 だがこれは脳の損傷を意味する。

 損傷した部分はもう修復できないのだ。それは回復後も障碍が残る事を意味する為、処置範囲は出来るだけ少なく血だけを排出したい。


 理論は聖女ジャンヌたちが色々と検証しているが、輸液治癒と魔力を流す事での自然治癒力の向上で回復を図っている症例が有るだけだ。

 セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢は、出血部分の火魔法による切除は可能では無いかと言っていたが、それも回復の光魔法が使える彼女だからできる事であり、現実には実施された事は無い。

 頭蓋骨を切開して患部を取り去る方法は提案されているが、危険すぎて実行はされていない。


 患部直近に小さな穴を穿って血を抜く方法は可能では無いか? この場所ならば…、それでも一つ間違えば脳の奥までとどく損傷をおこしてしまう。

 ただこのままでは命に係わるかも知れない。助かっても大きな障害が残る事は確実だろう。

 すこしでも障害を軽くするなら早く血を抜いて自然治癒力を高めるなら残る障碍も軽く済む。


「障碍が残る可能性がありますが、命は確実に助けます。だからお母様も頑張って生きて下さい」

 テレーズは血を吐きながらも我が子を思う、その母親の顔を見て決断した。

「患部より血を抜きます」

「でっ…でも、頭の中ですよ!」

 エレノア王女が驚いて声を上げた。

 治療の意味を理解しているのは留学生の四人と神学生の中でも数人くらいだろうが、皆驚愕の表情を浮かべている。


「それでもこれをやらなければ命に係わります。良くても全身に麻痺が残るでしょう。喋る事も出来ず、動く事もままならぬ状態で生きる事になります。なら少しでも可能性にかけて見ます」

「準備を致します、テレーズ修道女様。綿を沢山お願いします! 消毒用のアルコールも」

 エレノア王女の指示で神学校生たちが動き始めて。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆彡

 少年の額をアルコール綿で綺麗に拭き取ると、脳内出血の有る位置の上にチョークで小さな点を入れる。

 少年の頭に左手を当てたエレノア王女が、右手でテレーズの肩を掴む。

 自分が感じている魔力の流れをテレーズと共有する為だ。


 エレノア王女の魔力を感じて、男の子の頭蓋骨の内側の状態を把握しながら火魔法の力を右手の人差指に溜めて行く。

 人差指に溜めた熱を指先に高めて一気に額に穴を穿つのだ。

 麦の粒ほどの長さに熱の塊を溜めて、針の先程の大きさの穴を額から頭蓋骨に開けて行く。


 指先の火魔法の熱が反射して帰って来る。男の子の頭蓋骨と共に自分の人差指の先も焼ける感覚と激痛が走った。

 もう少しで頭蓋骨を抜ける! 火傷を我慢してほんの少し奥まで熱を通す。


 一挙にその穴から血が噴き出した。

 介助で就いていたエレノア王女が額に清浄綿を押し当てた。綿がみるみる血に染まって行くが、それに合わせて男の子の呼吸が整って行く。


「テレーズ先生! 指が!」

 補助の神学校生が悲鳴に近い声を上げた。

 魔力を使い過ぎてぼっとしている頭を振って、テレーズは自分の指先を見る。

 右手の人差指の先が焼けて、爪の四分の一ほどの部分が肉ごと黒い炭になっていた。


 緊張が切れるとともに一気に激痛が襲ってくる。

「冷たいお水を頂戴。指冷やさなければ…。クッ…、悪いけれど急いで」

 激痛で頭がクラクラするが気力で堪える。


「お母ちゃん…お水が欲しい」

 男の子の声が弱々しく響いて、テレーズたちの耳に入って来た。

 生徒たちや集まった市民からは歓声が上がった。

 しかしエレノア王女とシモネッタは泣きそうな顔でテレーズを見ている。


「テレーズ先生の指が焼けちまったっす!」

「大袈裟ですよ。指先が焼けたくらいで死ぬ事など無いのだから治療に専念して下さい。皆さんも未だ何一つ終わったわけでは有りませんよ」

 気力を振り絞ってそう告げたが、正直限界だった。

 シモネッタの叫び声で我に返った神学生たちは、テレーズの姿に釘付けになっている。


 白い修道女服は血で染まり、右手の人差し指の先は真っ黒に焦げて無くなっている。

「お母様、お子様の意識も戻りました。もう大丈夫ですよ。二人とも一命は取り留めました。次は貴女が頑張る番です。エレノア王女殿下、アマトリーチェ様、シモネッタ様、子供たちが落ち着いたなら診療台をお母様の両脇に寄せて、声をかけてあげて下さいまし」


 三人が頷いて、他の神学生と共に子供達を抱き上げて寝台を移動するのが見えた。

 男の子の出血も落ち着いている様だ。

 目の前が暗くなり、よろめいたテレーズをケインが支えると開いているソファーに座らせて口元に水の入ったコップを押し当てられた。


 診療台に寝ている母親はユルユルと両腕を広げて子供たちを両腕で抱えようとする。

 ルクレツッアはその母親の背中を抱いてクッションを当て、起こしてやった。

 アマトリーチェとエレノアが両腕の中に二人の子供を抱えて肩を抱かせた。

「お母ちゃん…大丈夫?」

「お母ちゃん、痛くない? 苦しくない?」


 上手く喋れない母親は、それでも優しい微笑みを浮かべて頷くとその両腕に力を入れて二人の子供を抱き寄せた。

 後ろのソファーでテレーズはその光景をぼんやりと見ていた。何やら三人が薄っすらと光っているように感じる。


「ダメっす! 何してるっす! お母さん、いけない!」

 シモネッタの叫びでテレーズの意識がハッキリとして、その母親の行動に気付いた。

「止めて! そのお母様を止めて!」

 慌てて立ち上がったテレーズは足がもつれてそそのまま前のめりに倒れてしまった。


 エレノアとアマトリーチェは子供を抱えている為手を放す事が出来ない。

 ルクレツッアが母親の手を外そうと躍起になるが、うまく手を払えない。

 シモネッタが駆けつけて、母親の両手を引き剥がした時にはうっすらと光っていた輝きも無くなっていた。

 この母親は自身の残っていた生命力を振り絞って、魔力に変えて子供たちに流してしまったのだ。


「良かった…、お前たちが死なないで。私はもう駄目だったから…」

「私はあなたにこんな事をさせる為に助けた訳じゃあない!」

 ルクレツッアの怒声にも似た叫びが響いた。

「私は申し上げましたよね、生きろと!」

「それなのになぜこんな事を!」

 テンプルトン子爵令嬢もオーバーホルト公爵令嬢も苦悶の表情でそ言う叫んでいる。


 テレーズはケインに支えられながら母親の側に辿り着いた。

 診療台の上で満足げな微笑みを浮かべて目を閉じている母親は既に事切れていた。

 二人の子供がその母に縋って泣いている。


「貴女はバカです。こんな事をさせる為に貴女を癒した訳じゃない。長くはもたなかったかもしれませんが、子供たちを悲しませない為にもあなたは抗うべきだった」

「お母様がこんな事をする必要は無かったっすよ。この子達は私たちが絶対助けたんだから。もっと信用して欲しかったっす」


「私も納得行きません。死ぬ姿よりも懸命に生きる姿を子供たちに見せるべきだった。あなたはテレーズ修道女様や私やテンプルト様の努力を信じられなかったのですか? 私はもうこれ以上誰も死なせない。あなたの子供たちは私が絶対死なせない。あなたが抗わないのなら、私が抗う姿をこの子たちに示します」

 ルクレツッアはそう言うと、母親に取り縋る二人の子供を両腕で抱き締めて泣いた。

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