第91話 北海の不安(1)
【1】
北海での海賊船騒ぎはいったん収まった。
あれ以来海賊船の出没は止まっただが、だからと言って海賊船が捕縛されたわけでも撃沈されたわけでもない。
不穏な空気を残したままシャピ、ガレ王国、ハスラー聖公国結ぶ航路は賑わいを見せていた。
北海西部の海域はシャピを中心にした貿易経済圏が形成されつつあったが、北海東部はギリア王国、ハッスル神聖国、アジアーゴを結ぶ別の経済圏が出来始めていた。
この経済圏は、ギリア王国とラスカル王国の断行の為、ハッスル神聖国をハブにした歪な状態となっている。
ギリアとアジアーゴとの直接取引が出来ないため、輸送コストが上がり利益はハッスル神聖国に吸い上げられる。
初期の頃は北海東部の航路にも船を出していたハスラー聖公国の商人たちは、早くに見切りをつけて北海西部の航路に集中し始めている。
帆船協会の海賊事件前は中継地として活況を呈しつつあったギリアの港も、海賊船の出没の為ガレ船籍の商船から嫌厭されてしまった。
さらにアヌラ王国やダプラ王国からの産出品も南端のギリアに運ぶより、取引量も多く距離も近い連合王国中央部のガレに送られるようになった。
北海東部航路はゆっくりと沈みつつあった。
その北海東部に寝耳に水の事件が起こったのだ。
今度は北海東部に海賊が出た。
いや、正確にはそう言う情報がハスラー商人を通してシャピにもたらされて来たと言うべきだろう。
そして少し遅れてガレの商船からも同じ情報がもたらされた。
ハッスル神聖国からギリア王国に向かう商船の一団が海賊船の襲撃を受けたそうだ。
北海東部の洋上で四隻の商船団に例の二隻の海賊船が襲い掛かったが、撃退されてそのまま北東に向かって逃走したと言うのだ。
そして逃げた海賊船の船影はギリア沖でガレ王国の商船を襲った船と酷似していたと報告された。
以上よりハッスル神聖国とギリア王国はその海賊船は春先にガレ王国の商船を襲った船と同一と断定した。
【2】
「これで帆船協会の隠れ場所は割れましたね。意外な事にノース王国の東部だったのですね」
カロリーヌが少しほっとした表情でそう言った。
「良かったのだわ。これでカロリーヌも西部航路の開拓に専念できると言うものなのだわ。西部航路で良い品物が入ったらロックフォール侯爵家にも一枚噛ますのだわ」
「春に西部から来た磁器がもうそろそろオークションにかかるかしら。できれば先に実物を見たいかしら」
今日はいつもの上級貴族寮でのAクラス派閥のお茶会である。
昨年よりも人数も増えた。
エヴェレット王女殿下とカロリーヌ・ポワトー
さすがに実家が教皇派閥の重鎮であるメアリー・エポワス伯爵令嬢は呼ぶことは出来ないが。
そのカロリーヌから海賊事件の報告がなされたのだ。
「それって、全部ハッスル神聖国とギリア王国が言っている報告だけでわよね。なんとなく胡散臭いのだけれど」
エマ姉がポツリと言った。
「エマ、それはどういう事なのかしら?」
「ウーン、なんて言うか。見た人の証言じゃないから鵜呑みに出来ないと言うか。ほら、ハッスル神聖国の発表と言うだけでも嘘くさいと思うのですわ」
「エマさんのおっしゃる事に同感です。ハッスル神聖国の言葉には羽ほどの重さも感じられません」
「ジャンヌ様はそう仰いますが、ギリア王国もその見解を支持しているのですから誤報とも言えないのでは」
…ああそう言う事か。オズマの言う事も一理あるけれど安直に全てを信用できないと言うジャンヌやエマ姉の意見に私の同意だ。
「そうだよね。その報告がどれだけ信憑性があるか検証してみるのはどうかしら」
「そうよですね。アジアーゴのペスカトーレ侯爵家とその親玉のハッスル神聖国教皇は絶対信用でないですわよね。適当な事を言ってギリア王国を丸め込んだに違いないですわ」
ジョバンニ・ペスカトーレが大嫌いなレーネ・サレール子爵令嬢は頭から信用する気が無いようだ。
「感情的には判るし私もそう思うけれど今は事実だけを重ねて行きましょう。ジャンヌさんの言う通りこれはハッスル神聖国の発表だけに準拠しているんだよね。言い換えればそれ以外の目撃情報が有るかどうかわからないんだよね」
「それでも、ハスラー聖公国やガレ王国の商船がアジアーゴで被害に遭ったと言う船員から話を聞いたとの者から詳細を聞いたと、シャピの港湾事務所から報告が上がっていますが…」
カロリーヌの返答に頭を抱えてしまった。それってまた聞きのまた聞きじゃねえか。
「直接被害に遭った商船の乗組員から話を聞いたと言う船員はいなかったのかしら」
「少なくともシャピに入港する船員にそういう者は居なかったようですね。事件が起こってからでも半月も経っていませんからね」
これまでの海賊事件は皆シャピの商船が関わっていたから時間差なしに事件の詳細が知れたが、本来は事件の真実が伝わるにはかなり時間を要する。
あやふやな風聞混じりの話から真実を推測する必要があるようだ。
「そもそもジャンヌさんやエマ姉が信用できないと言う根拠は何なのかな。二人の事だから感情論だけでそんなこと言わないと思うし」
「セイラちゃんはそう言うけれど、私の場合は感情論がかなり入ってるわよ。でも四隻もの船団をたった二隻で襲撃するなんて、成功するヴィジョンが全然見えないわ」
エマ姉の言う通りだ。
外洋に向かう商船が武装していないわけが無い。何より四隻もの船団を組んでいるのは海賊対策の為だろう。
そこに半分以下の戦力で襲い掛かるなど愚の骨頂だと私も思う。
「今までの海賊のやり方とかなり違いますよね。これまでは一隻を二隻の海賊船が襲うと言う方法をとってきましたから。今年に入ってからの二件もギリア港から単独で入港するか出航した船が狙われているのに、今回に限ってギリアに向かう船団に直接襲い掛かっているなんて変だと思いますね」
ジャンヌの話は説得力が有る。彼女の言葉にみんな頷いている。
「そう言えば海賊船は北東に逃げたと言う事ですが、どこに逃げたのでしょう。北東ならばダプラ王国でしょうか?」
「方角的にはそうなるのだけれど少し考え難いのよね。アヌラ王国もダプラ王国も最近シャピの外洋船が入港するようになったばかりで、そこまで大きな港は無いわ。特に二隻の大型帆船が拠点にする為の整備ができる施設が無いので難しい。その上毎回戦闘になっているから被弾したり体当たりで損傷したりしているはずからドックも無い港を拠点にするなんて考えられないわ」
そうなのだ。
海賊行為は襲われた方も反撃する。一方的に蹂躙されるがままでいるわけが無いから、それなりに損傷するのだ。
沿岸を回る小型船や漁船程度しか入港する事が無かった漁村に大型帆船を補修出来る施設は無いだろう。
「無理が有るかしら。やはりハッスル神聖国の発表は疑わしいかしら」
「ならこの海賊事件の発表は何なのでしょう? 事件は有ったのでしょうか? 全て虚言なのでしょうか?」
ヨアンナはそう言うが、カロリーヌはハッスル神聖国の目的が判らず困惑している。
「単純に帆船協会の後ろ盾と言う嫌疑を隠すためと言う事が一番大きいのだわ。全てでっち上げの可能性も有るのだわ」
「ハッスル神聖国は正式発表しているので全て虚言とは言い難いですね。被害に遭った商船の船名も発表されているので船員名も判るでしょう。四隻の商船団なら乗組員もかなりの人数になる上、アジアーゴやハッスル神聖国でハスラー聖公国の商船とに関わりも出てくる。全員の口裏を合わせるのは難しいでしょう」
ファナの言う通りその可能性はあるが、私は実際に事を起こしていると思う。もちろんシナリオ有りの出来レースであるが。
「セイラ・カンボゾーラ、貴女は発表は事実だと言うのかしら」
「正式発表ですから、シナリオ有りの小芝居でしょうが事件は起こっていると思います。船長や水先人が口裏を合わせて被害が出ない程度の模擬戦でもやってお茶を濁したのでしょう。水夫たちは知らないから口裏合わせもいらないでしょうから」
「それでも割に合わない話だわ。たかだか帆船協会の所在を隠すためだけにお金がかかり過ぎるわ」
「それは商人の理屈なのかしら。身内の商会なら考えられない事のも無いかしら」
…ヨアンナなら身内を守るためならそれくらいするかもしれないが、あのペスカトーレ侯爵家やその長である教皇がそこまでするだろうか。
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