第92話 北海の不安(2)

「ヨアンナ様。教導派の、何より自己保身のために部下の騎士団長の首を差し出す様なペスカトーレ侯爵家の人間がそこまでするとも思えないのですよ」

 ペスカトーレ侯爵家はゴルゴンゾーラ公爵家とは違う。

 そもそも教導派の理論で動く彼らにとって平民の船乗りなど金をかけて守る意味も無いだろう。


「でもその騎士団長の首は帆船協会を守る為だったかしら。古参の騎士団長より他領から逃げてきた船主を優先させた理屈が判らないかしら」


「商人の理屈で言うなら、そちらの方が利益が大きいからだわ。去年の海賊船の乗組員はあっさり殺されているのだから、帆船協会だって必要が無ければきっと審問会の時に切っていると思うの」

 ヨアンナの疑問にエマ姉が自論を述べる。


「セイラ・カンボゾーラの言う通りなら、余計にこんな海賊事件を起こす理由が判らないのだわ」

 ファナの言う通りで私も意味が解らない。

 そしてその場に更に混乱する一方がもたらされた。


【3】

 カロリーヌ付きのメイドがお茶会室に入って来ると持っていた書簡をカロリーヌに手渡した。

「~。シャピから早馬が来ました~♪」


 カロリーヌは受け取った書簡の送り主を見て少し顔を顰めてメイドに問いかける。

「その使いは何か言っていたの?」

「は~い、緊急伝なので~急いで女伯爵カウンテス様にお知らせして欲しい~♬って言われました~」

 メイドは少し緊張した面持ちでそう告げた。


 カロリーヌは急いで書簡を開くと目を通して眉根に皺を寄せ言った。

「また海賊船が出たそうです。ギリアに向かうハッスル神聖国の商船団と戦闘になりダプラ王国に向かって逃走したと…」

「ダプラ王国? それで襲われた商船団は追跡したの?」


「そこについては何も。ただこの事に対してギリア王国が正式にダプラ王国への非難声明を発し、宣戦を布告したと」

 それを聞いて室内は騒然となった。


「バカな! それが事実ならばノース連合王国は内戦状態に入るのだわ」

「盟主国のガレ王国は? 宣戦布告を受けたダプラ王国は非難声明に対して反論はしていないの?」

「この書簡ではこれ以上の事は書かれていませんわ。続報を待たなければ」

 カロリーヌも困惑気味である。


「それよりもこの一報はここ以外にどこに知らされているのかしら? この一報を持って来たのは誰なのかしら?」

「ギリア港に立ち寄っていたガレの商船の様ですね。ギリアの街に布告が出たので荷揚げを切り上げて大急ぎで出港したと書いています。ギリアで配布された布告紙も同封されています。日付は四日前ですね」


「それならば布告が出てから間が無いかしら。ラスカル王都内で知っている人間はまだ少ないかしら。取り敢えず今聞いた者はしばらく他言無用よ。それから書簡と布告紙は今すぐ王妃殿下に届けるかしら」

 どうも事実確認に右往左往している私達を尻目に、夜アンナの視点はそれと違うようだ。


「多分ギリア王国と国交のあるハッスル神聖国には事前に情報は入っているかしら。国王陛下にはそのルートを通してアジアーゴから情報が流れる可能性が大きいかしら。公文書として王家や国務卿に布告が入るのは正式使節が到着してから。後三日は先かしら。その間に国王陛下や教皇派一味に先を越されないように直ぐに王妃殿下と宰相閣下に情報を伝えておくのが吉かしら」


 さすがはヨアンナだ。宮廷政治の中枢で戦ってきたゴルゴンゾーラ公爵家の長女だけのことはある。

 書簡の原本は王妃殿下宛に、写しを二枚作り一枚はフラミンゴ宰相閣下宛に、もう一枚はカロリーヌが保管する。

「先に宰相閣下に移しを渡して武官と事務官を付けて貰うかしら。フォアちゃんは一緒に行って王妃殿下に所管を手渡しするかしら。アドルフィーネはフォアちゃんについて行って欲しいかしら」


「待って下さいヨアンナ様。あの王妃殿下がフォアから書簡を受け取ると思われません。すぐに会えるとも思えません」

「だから武官と事務官を融通してもらうのかしら。無理にでも拝謁してもらうかしら。そして王妃殿下が大嫌いな獣人族のフォアちゃんの主人が、大嫌いな私だということもすぐに気付くかしら」

 こういう事についてはヨアンナは私より一枚も二枚も上手を行く。

 自分と王妃殿下の仲の悪さを逆手に取って書簡の正当性を証明するということだ。


「宰相閣下ならこの時間は内務省におられると思います。場合によっては次官か内務卿にご同行願うかもしれません」

「それはあなたの判断に任せるのかしら。急いでお行きなさい」

 私のメイドをさも当然のように使っているのは少々腹立たしいが、アドルフィーネが有能なので仕方ない。


 二人が書簡を携えて退出すると、室内の空気が一気に緩んだ。

「後は政治家たちに任せておけば良いかしら。これで少しでも教皇派閥に先んじられれば良いけれど」

 ヨアンナも少しホッとしたように呟いた。


「これからノース連合王国は内乱になるのでしょうか?」

「すぐには争乱は起こらないのだわ。正式に宣戦布告の声明を出したという事は奇襲を掛けたわけではないのだわ。そんな事をすればガレ王国はギリア王国の敵に回るのだわ」

「と言うことは盟主国であるガレ王国が調停に入ることを目論んでのことかしら」


 ダプラ王国は多神教の獣人族が大半を占める国で王族も獣人属の血が混じっている。そして更に北方のアヌラ王国も多神教と清貧派が混在し王家は人属であるが、国民の半数近くが獣人属だ。

 ギリア王国とダプラ王国が内戦になれば、アヌラ王国はダプラ王国につくだろう。


 一番困っているのは三国全てと国境を接するガレ王国だろう。

 王家は清貧派であるが、これまでハッスル神聖国、ハスラー聖公国、ラスカル王国と教導派の国に囲まれていたため大陸諸国への発言力は弱い。

 それに反してギリア王国は教導派で大陸諸国への窓口港でもあった。


 ギリアは大陸貿易で利益を上げて国力を高めてきた。

 それがシャピとガレの航路が出来たため利益が削られて、更にはアヌラやダプラのこれまでギリアが買い叩いてきた特産品をシャピの商人が直接買い上げるため、力を落としつつあった。


 ギリアとしては大陸との中継港としての優位性を示し、シャピとガレに譲歩を迫るため国交断絶などという極端な手に打って出たのだろう。

 しかしそれは裏目に出てしまったようだ。

 その結果今回の宣戦布告で、ガレ王国に圧力をかける腹づもりなのだろう。

 交易の窓口を又ギリアに一元化させてガレに手を引けと言いたいのかもしれない。


「そんな単純な事で収まるとは思えないのだけれど…。ここまでするならば、盟主国の地位もガレから奪うつもりかもしれないわよ。そもそも海賊に襲われているのは全部他国の船なのになぜギリアが宣戦布告する必要があるの?」

 今まで静かに聞いていたエマ姉が爆弾を落としてきた。


 その通りだ。昨年も今年に入っても襲われたのはガレ船籍の商船。そして今回と前回はハッスル神聖国の商船団だ。

 あの海域ではギリア王国の商船も多数行き来しているのに。エマ姉の言うとおりそんな単純な話ではない気がする。

 なにかモヤモヤするこの違和感は何だろう。

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