閑話20 福音派神学校(4)

 ☆☆☆☆☆☆☆彡

 癇癪を起した伯爵の声が響き渡る。

 他の四人はトリアージを済ませて診療代に連れていかれているのに伯爵は入り口から一歩も動けないでいるのだ。

 その声で怯えた生徒たちをケインとマルケルが背で庇い、伯爵の前に立ちはだかった。


「何だ貴様らは!」

「畏れながら、福音派の教義には身分の貴賤は有りません。ここは聖教会です。教義を守ってお待ちいただきたい」

「福音騎士団か? 聖職者の身分でも無いのに戯れ言を申すな。福音派の教義に人の貴賤は無いと書かれておるが、農奴は人では無い! その教義は人にのみ当て嵌まるものだ」


「おやおや、聖職者でも無いお方が何を御高説を…。皆様、もしや重篤な症状が有るかも知れませんからトリアージをお願いします。その代わり後はその結果に従って頂きます。司祭として命じます。この修道院のルールですから」

 おっとりとしたこの修道院の女司祭が伯爵にキッパリとそう告げた。


 トリアージタッグを持った神学生が一班駆け寄って伯爵に質問をしながら問診をすると緑のタッグを押し付けて離れて行った。

「何だこれは? それで治療は?」

「お貴族の旦那、それは診察は後回しの印だ」

「大した事の無い患者は緑札で後回しなんだよ」

 礼拝堂に集まってきている市民たちが囃し立てるように騒いだ。


 激怒して真っ赤になった伯爵は手を伸ばして司祭に掴みかかろうとする。

 ケインがすぐに間に割り込んでその手を払った。

「伯爵様、先ほど申し上げた通り修道院の決まりで御座います。守って下さいませ」

「貴様、人属ならば子爵家以下の出であろうが! 伯爵相手に良くそんな口が利けたものだな」


「貴女達、そのトリアージタッグは間違えていますわ。その方はとても重篤な状態ですわよ」

 いきなり農奴の母親の治癒を担当していたオーバーホルト公爵令嬢が、トリアージを担当した神学生向かって言った。


「何を仰っているの? この伯爵様はピンピンしているわ」

 オーバーホルト公爵令嬢と一緒に治療を手伝ているテンプルトン子爵令嬢の怒気の籠った声が上がる。

「あらテンプルトン子爵令嬢様、お判りになりませんの? この方は頭を強くお打ちになられた様で、言動も支離滅裂ですもの。きっと重篤なのでしょう。誰か白札をお渡しして頂戴」

 その言葉に集まっている市民から失笑が漏れた。

「ちげえねえ。もう回復出来ねえ頭の病だ」

「そうだな。頭を打ち過ぎてもう助からねえ」

「伯爵様、白札だ。助からねえから諦めな」


 伯爵は市民の揶揄を聞いて意味を理解したようで、ケインを押しのけて前に出て行こうとする。

「小娘が! たかだか神学生の分際でよくぞぬかしおったな。我が伯爵家の力をもってすれば貴様の家など潰す事も造作は無いのだぞ」


 オーバーホルト公爵令嬢は舌打ちをするとポツリと言った。

「チッ、治療の邪魔ね。テンプルトン子爵令嬢様少しお任せしますわ。あの愚か者に引導を渡してまいります」

 そう言って伯爵のもとに歩いて行く。


「何処の伯爵様か存じませんが、潰せるものなら潰して御覧なさいませ。このオーバーホルト公爵家が受けて立ちましょう。私はこれでも継承順位は二位、兄にもしもの事が有ればその爵位を継ぐ事も出来る身。身分の差を認めないこの聖教会において身分をひけらかす以上はその覚悟を持っての事と思って宜しいのでしょう」

「小娘の分際で、不快だ!」

 伯爵はその言葉を吐き出すと、苦々しそうに盛大に顔を歪め、踵を返して大股で礼拝書を出て行った。


 ☆☆☆☆☆☆☆☆彡

「女の子! 気道確保! 呼吸戻りました」

「気を抜かないで、呼吸補助を。意識は?」

 いきなりな小さな鳴き声が響き渡った!

「女の子、意識戻りました。大丈夫だからね。お姉さんが助けてあげるから」

「痛い! 痛い! 痛い!」

 幼女の鳴き声が響く。

「心拍もシッカリしています。足に骨折が有ります。肩や腕に打撲。トリアージ赤と判定しますが、どなたかご確認願います」


「男の子の意識がまだ戻りません。心拍弱まっています」

「地属性、心臓マッサージを! 練習を思い出して、落ち着いてやれば大丈夫」

「男の子、トリアージ黒タッグを! シモネッタ、手伝ってちょうだい。治療にかかります」

「はい、ルクレッツア様」


「わたしは…ガボ、ダンとディナを…ゲボ、子どもを…グフッ」

「ダメ! もう喋らないで。アバラが折れて…肺に刺さっているわ。内臓にも…、出血も多すぎる。白札を…」

 一番の重傷と思われる母親を受け持って、魔力を体内に流したテレーズはそう判断した。


「違います! 黒札を! 黒札を頂戴。お名前も聞けました! お話もしました! 死にません! 死なせません!」

 補助で一緒に症状を見ていたエレノア王女が狂ったように主張する。

「エレノア王女様。お気持ちは解りますが、冷静になって下さい。解りましたここは私が担当します。トリアージは黒です!」

 この状態ではまず助からないだろう。内臓の損傷が大きすぎる。折れた骨も戻さねばならない。

 ただまだ幼い少女たちに死に行く者への処置は辛すぎるだろう。全てはテレーズが背負う事にする。


「エレノア王女様、二人の子供たちの治癒について下さい。お子様が大丈夫だと判れば、お母様の生命力が戻る事も有ります。子供たちも治療もお母様を助ける一助になるのです。王女殿下は指揮を執って留学生四人で子供たちの治癒に専念してください」


 テレーズの指示を聞いて、エレノアは立ち上がり意識の戻らない男の子の下へ行く。

「ルクレッツア、地魔法で女の子の骨折の治療を。アマトリーチェは内出血を冷やしてちょうだい」

 的確に指示を出すとエレノア王女はシモネッタと二人で意識不明の男の子の治療に向かった。


「誰か地魔法を使える方で手が空いている人はいませんか?」

「私が入ります。テレーズ先生、女の子の骨折は繋げました。後は添え木を当てて固定するだけです。地魔法ならこの中で私が一番ベテランですし、私は冷静でいられます」

「判りました。あともう一人ルクレッツア様の補助についてくれませんか」

「やりましょう。私で良ければ、同じ枢機卿の娘としてお手伝いいたします」

 テンプルトン子爵令嬢が名乗りを上げる。


「私は火と水の属性なので、風属性の方一人が呼吸補助で入って下さい。それでは私と一緒に魔力を患者の体に流して下さい」

 神学校の生徒が一人呼吸補助に入り、治療が始まった。

「ルクレッツア様はゆっくりと刺さった骨を引き抜いて下さい。テンプルトン様はそれを元の位置に戻して、そうゆっくりと…」

 まず肺に刺さった骨を抜き、患部をテレーズが火魔法で焼いて止血する。

 途端に患者が咳き込み吐血する。


「大丈夫です。患部が塞がって余分な血が吐き出されただけです。呼吸補助を続けて」

 テレーズの言う通り患者の呼吸が安定し始めた。

「次です!」

「「はい」」

 次は胃に刺さった二本を抜いて、同じように火魔法で患部を炙る。


「誰か、患者さんに声をかけてあげて。安心させるように、頑張れるように」

 オーバーホルト公爵令嬢が駆け寄ってくると、その母親の前に座り話し始めた。

「さあ、悪い伯爵は追い払ったわ。次はあなたが頑張る番よ」

「あっ…」

「喋らなくて良いのよ。あなたは頑張るのが仕事」


「テレーズ先生、後一本ですね」

 それにテレーズは頷いたが、思いは違っていた。

 その最後の一本は肝臓に刺さっていた。抜いて治癒することで少しは延命できるかもしれないが、もう肝臓は元に戻らない。

 彼女の命がもうじき尽きる事は運命付けられている。


「さあ、ここは慎重に。ゆっくりと抜いてゆきなさい。少しずつ…」

 テレーズは肝臓から抜けてゆく骨を感じながら、傷を少しずつ塞いでゆくが、その内部は処置ができない。

「先生! 終わりました!」

 安堵する地魔法使いの二人に対して、厳しい顔で次の指示を出す。


「これは応急処置です。後は患者の気力と自然治癒力を高める以外に方法がありません。二人は交代で患者さんに魔力を流して治癒力を高めてあげて下さい。特に肝臓は重要な臓器ですからそこを重点に。オーバーホルト公爵令嬢様、あなたも風属性でしたね。交代で呼吸の補助を…。できる限りのことはいたしました。はっきり申し上げますが、この方は白札に近い状態です」


 生徒たちが頷いて作業にかかる中、四人に一言忠告をする。

 辛いがこれは治癒術士の師としての勤めでもある

「何かあってもあなた方の罪ではありません。その時は私の治癒技術が至らなかったのです。それを理解して作業を続けて下さい」

 四人は驚いたように顔を上げたが、すぐに眦を決して頷くと静かに治癒作業にかかり始めた。

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