閑話19 福音派神学校(3)

 ☆☆☆☆☆彡

 月に一度の女子し神学生による治癒治療の奉仕活動は、すぐに街の人々の話題になった。

 ハウザー王国の神学校といえば貴族しか入学できない学校だ。

 その少女たちが奉仕活動に来てくれるというだけでも稀有なことなのに、治癒治療だという。


 本来、聖教会での治癒治療となると高額の布施を要求される行為なのだ。

 それを簡単な治癒治療とはいえ奉仕活動で無償で行なわれるのだから話題にもなる。

 貴族からはなぜ下町のそんな聖教会で行うのか。安全な貴族街の聖教会でやるべきだとの声も上がってきた。


 テンプルトン子爵令嬢はよくこんな微妙な聖教会を選んだものだと感心させられたが、下町に近く下層民も多いこの地域の聖教会には、体面を気にする貴族たちは近づかないのだ。

 貴族が平民や貧民の前で無料の治癒治療の奉仕を受けるなどそれこそ恥としか言えないのだから。


 しかし噂を聞いた一般市民たちがかなり押しかけたため、テレーズはジャンヌが提唱しラスカル王国の清貧派で導入しているトリアージ優先割当の手法を、併せて指導することにした。

 時間も人員も限られた状態で尚且つ重篤患者がいないこの状態なら、生徒たちも冷静に対処できるからだ。

 七十人ほどの生徒が昼までの限られた時間で、より有効に治癒活動を行うとても良い実習になった。

 おかげで二回目の奉仕活動も順調に終わった。


 そして南のハウザー王都はそろそろ汗ばむ季節になってきた四月の治癒治療奉仕の時にその事件は起こった。


 ☆☆☆☆☆☆彡

 その日も朝から皆揃って下町の聖教会にやってきていた。

「さあ今日の聖餅は一口サイズのホットケーキにいたしましょう。これならばオーブンがなくても作れますから、時間をかけずに作れます。沢山焼いて準備しておきましょう」

「「「「「はい」」」」」

 シャルロットの掛け声に、集まったメイドたちの返事が聞こえる。


「まあ、今日はホットケーキですって」

「楽しみですわ」

「シモネッタ様が仰っていましたが、小さなホットケーキ二枚でカスタードクリームを挟んで食べるのですって」

「まあそれは美味しそう!」

「シモネッタ様がメイドのウルスラと二人で考えたオリジナルだとおっしゃっていましたよ」

「でもそれは絶対有りですわ。私も帰ったらメイドに作ってもらいましょう」


 まだ幼い神学生たちはもうホットケーキの話題で持ちきりだ。

「みなさん、前回練習したトリアージを今日は本格的に実践してみましょう。今日はトリアージタッグも準備いたしました。緑は軽症、赤は中等症状、黒は重症で最優先です。そして本当の災害現場では白札も発生します。白札は何でしたか?」


「はい、死亡かそれに準ずる状態です」

「そうですね。息があってもこれは助からないと判断された場合は、悲しいけれど治療は後に回されます。治癒術師の使命はより多くの人の命を救うことなのですから」

「「「「「はい」」」」」

 おやつの話題で浮かれていた生徒たちもトリアージの説明で真剣さを取り戻した。

 ブリーフィングが終了して生徒たちが持ち場に分かれて設営にかかる。


 診療台替わりに長椅子を二つ併せてマットを敷いた物が五つ前方に並べられ衝立で囲われた。

 礼拝席は待合席となり、礼拝所の入り口に置かれたテーブルの上にはトリアージタッグが積み上げられ、チョーク箱がいくつか並んでいる。

 ジャンヌが決めたタッグは緑、赤、黒、白の順番で重篤になる。各色に塗られた黒板にチョークで字を書くため見えやすい色を使っているのだ。

 そして何も書けない白は死亡かそれに類する状態。

 今回は練習の為、四色持って来ているが緑と赤の判定で炎症や内出血以上の状態は赤、それより軽い者は緑で判定させる。


 トリアージ判定の担当も治癒治療も生徒たちが順番に持ち回りで行うため、ランダムに五人ずつの班に分かれて礼拝書の前後に待機している。

 テレーズは治癒治療の補助のため前方に待機し、入り口ではトリアージ判定のトラブルを防ぐためケインとマルケル・マリナーラの二人の騎士が待機している。


「ちゃんとトリアージ判定はできるかしら」

「黒札や白札が出たらどうしましょう。そう思うと怖いわ」

「大丈夫よ。ここは事故現場や戦場ではないのだから。それよりも怖い方がやってきたらどういたしましょう」

「それこそ、ケイン様が守ってくださいますわ。ねえ、ケイン様」

「そうですわね。ケイン様、守ってくださいませね」

 トリアージ係の少女たちがケインに熱い視線を向ける。


「なあ、ケイン殿だけではなく俺もいるんだぞ」

 この半年余りで脂肪も落ちて筋肉もついてきたマルケル不貞腐れたように言う。

「まあ、ごめんなさい。マルケル様もよろしくお願いしますわ」

「マルケル様もついでにお願い致します」

「どうせ俺はケイン殿の添え物だよ」

「そう怒らないでくださいまし」

「そうですわ。マルケル様も頼りにしておりますよ」

 そんな会話に室内の空気が和む。冬至祭以来神学校の一年生は、わだかまりも無くなりとても好ましい状態が続いている。

 できればエレノア王女の卒業までこの状態が続いて欲しいとテレーズは思うのだった。


 ☆☆☆☆☆☆☆彡

 大きなトラブルもなく順調に治癒治療は進んだ。

 危惧していたトリアージも集まった市民が協力的で、無理を言うものは市民たちが説明したり説得して納得させた。

 性別や年齢、貴賎を問わず症状に合わせてタッグをつける生徒たちの姿に市民が共感したことが大きいのだろう。

 また、やってきている患者たちも自力で歩いてこれる程度の患者で、生徒たちの技量も優れたものではない事を知っているので、大きなトラブルになるような事もないのも一因だ。


 患者の七割方が片付いた頃にその事件は起こった。

 聖教会の前の通りで馬車の車軸が折れて横転したのだ。

 御者は投げ出され、横転した馬車の傍を歩いていた農奴の親子が巻き込まれて下敷きになった。


 患者は五人、馬車に乗っていた伯爵と馬車の御者、そして巻き込まれた農奴の母親と二人の子供。

 聖教会の中に御者を罵る伯爵と思しき男の怒声が響き渡った。

 礼拝堂の入り口には大股でスタすっと入ってきた伯爵と足を引きずり腕を抑えて額から血を流したの御者が入ってきた。


「ちょうど良かった。腕を捻ったようだ。さっさと治癒してくれ」

 伯爵が怒鳴るように叫ぶ。

 それと同じくして表に幾人かの人の声が響いた。

「おい! 急いで通してくれ! 親子三人だ!」

 礼拝に来ていた信徒たちに助け出された母子が、皆に担がれて入ってきた。


「トリアージを! 急いで!」

 トリアージ係の少女たちが一斉にタッグを持って走る。

「何をしている! 貴族と農奴を同じ部屋に入れる馬鹿者がおるか! さっさと連れ出せ!」

 伯爵の言葉を聞くものは誰もいなかった。


 初めにトリアージにかかった班が御者の様態を確認している。

 それ以外のトリアージ班は三人の農奴の親子に取り掛かっている。

「聞こえますか? お名前は? お母様は意識があるようですわ」

「でも大量に血を吐いているわ!」

「こちらの女の子は息をしていません!」

「早く気道確保を! 風属性の方はいませんか? 呼吸補助を!」

「この坊やも意識がありません! 心拍も弱いです。心臓のマッサージを!」

「三人とも黒札です!」

「白札はありませんね」

「黒札です。絶対に黒札です…。白札は…嫌です!」


「お前たち! 一体何を言っている! さっさと治癒を! ふざけておるのか!」

 少女たちの悲痛な叫び声がこだまする礼拝堂内で、無視された伯爵の怒鳴り声に関心を寄せる者は誰ひとりいなかった。

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