第82話 セイラカフェ(パルメザン3)

【4】

 前回の商談から三日後、再度リコッタ伯爵との商談が持たれた。


 やはりリコッタ伯爵は、マルゲリータさんとの婚姻を反故にして借金の返済を要求してきた。

 クルクワ男爵家はこの申し入れを蹴った。当然一方的な言い分を飲めるわけは無く、何より婚約を反故にされればマルゲリータさんに傷がつく。

 その傷に対して何一つ保証がされない以上は呑めるわけが無いと。


 話し合いの結果、金貨十四枚は婚姻の為の支度金と言う事でリコッタ伯爵家が建設中の工場の家屋を担保に貸し付ける事となった。

 貸し付けたその金は、来年の春にペコリーノ氏の婿入りの折に持参金として現金で持って行く事になった。


 そしてその現金が今私の目の前でやり取りされている。

 セイラカフェが開店してから二回目のライトスミス商会貸し切り商談だ。

(貸し切り料金も、本当はリコッタ伯爵家に請求したいのだけれど、仕方ないか)

 クルクワ男爵の出した十四枚の金貨がセイラカフェのテーブルの上に並べられ、その上に一枚伯爵が金貨を乗せる。


「これで其の方が申した金貨十五枚は支払った。トットと契約を遵守せよ」

「ルイス。このお金を為替に変えて急いでゴッダードに戻って部品の調達と製造の発注をお願い。為替の差額はライトスミス商会で持つように」

 ルイスは一礼すると金貨を革袋に詰め店を出て行った。


 私は契約書にサインをすると書類の写しを伯爵に渡し、原本をリオニーに渡して文箱に片付けさせて鍵をかける。

「以上で仮契約を調印を終了致します。契約通り旧型の中古品二台は五月中には納品・設置・試運転まで終了させて直ぐにでも稼働できる状態に致しましょう」

「七月にはあと二台の納品もじゃ。金は払ったのだからな」

「お間違えの無いようお願い致します。今日の契約は先行品二台分の手付金です。あとの二台は手付金として金貨三十枚が入金され次第作業に移ります。入金から納品までの納期はほぼ二カ月。遅くても六月中には、出来れば五月中旬にご入金いただけると収穫の時期に間に合うかと存じ上げます」


「どこまでも小賢しい娘じゃ。タイラー六月までに出資者会議を開く準備をせい。株式組合を立ち上げるからな」

「その折は是非私どもライトスミス商会にもお声をおかけ頂ければお手伝いいたします。組合立ち上げや経営施策に関してならノウハウも御座いますのでご助言も出来ると思います」

「其の方らは口を挟むな。小賢しい説教はいらんわ。出資者会議には呼んでやるからしっかり契約の準備だけしてまいれ。これで契約は終わりじゃ、さっさと出て行け」


 このオヤジは何を言っているんだ?

 ここは私の店だぞ。

「クルクワ男爵。貴公に話がある少し残っておれ」

 爵位は上でも同じ貴族だろうに命令口調は如何なものか。男爵もムッとしている。


「それでは私どもはこれで」

 一礼して立ち上がると、入れ替わりにマルゲリータが入って来る。

「なっ、何じゃ其の方は。何故ここにいる」

「私たちの組合事務所はここの二階と三階です。なによりこの地所はパルミジャーノ紡績組合の持ち物です。居て不思議は無いでしょう」


「今はライトスミス商会との契約で貸し切りであろう。紡績組合の者には関係ない事だ。わしはクルクワ男爵と話がある。其の方には関係ない」

 なんともこの伯爵はダメだ。主張も支離滅裂じゃあないか。

「私はクルクワ男爵家の跡継ぎですわ。それに婚約者の実家の領地経営に関わる事の上、未来の舅様のお話とあっては席を外すことなど考えられません」


 ペコリーノ氏はうなだれて俯いている。リコッタ伯爵は又激高して真っ赤な顔で口をパクパクさせている。

 呆れ顔でクルクワ男爵の隣の席に座るマルゲリータを横目で見ながら、私はカフェを出ると二階の事務所に戻った。

 何通りかの想定を考えて打ち合わせのシュミレーションは済ませてある。

 後はマルゲリータの手腕に期待して大人しく待つだけだ。


【5】

「ハッキリ申そう。借金の残りの金貨五十一枚についてじゃ」

 リコッタ伯爵がまず口火を切る。

「それは今話さねばならぬ事なのだろうかな」

「どういう事なのでしょうペコリーノ様。私との婚約を反故にしたいと仰るのでしょうか」

 クルクワ男爵の反論に、マルゲリータが話をペコリーノに振った。


「いや、わたしはそのような事は考えてはおらぬ。約束通りクルクワ家の婿に入る心算で居りますぞ」

「それならば私の味方になって頂けますわよね。ペコリーノ様は伯爵さまの理不尽な申し出に組みなさらないでしょうね」

「そっそれは…」

 口籠るペコリーノにマルゲリータが畳みかける。

「伯爵さまの無茶なお話で、婚約が反古になるくらいなら、今すぐに我が家に婿にいらしてくださいまし。身支度や供回りなど何も必要御座いません。身一つでいらして頂ければそれ以上は望みませんわ」


「当主のわしを差し置いてそのような身勝手が通るものか! 婚姻は家同士の取り決めでなされるもの。その方らの勝手は通らぬぞ」

「ならば、公証人を立てて行った婚姻の取り決めに則って話を進めれば良いではござらんか。これ以上あれこれ話すことなど有りますまい」

 クルクワ男爵は突き放した一言をリコッタ伯爵に投げた。


「婚姻と借金は別の話しじゃ」

 リコッタ伯爵はまたわからない理屈を持ち出そうとしている。

「伯爵様、今は婚姻も借金も関係ありませんわ。公証人を立てて迄取り交わした婚約の証書の内容が履行されるのなら何一つ問題話ありません」

 マルゲリータの言葉にリコッタ伯爵言いよどむ。


 リコッタ伯爵にしても別に婚姻を反故にしたい訳では無いのだ。今は伯爵が領主として振舞っているが、弟のペコリーノを支持する者が領内はもとより家人の中にも多いのだ。

 伯爵としては邪魔な弟を他家に出して後の憂いを払いたいという事もある。婚約は二年前だった。


 クルクワ家は、国王が代替わりしてから近衛騎士団では閑職に回された。領地には中隊の駐留を命じられ、その為の兵舎と練兵場の上に軍用道路の整備まで命じられた。

 資材は供給されたが作業は領民を使役しなければならない。領民に過剰な負担をかける事が出来ず税を減らして労役を課した。

 その為領地の収益は減ったが歯をくいしばって耐えた。


 それが五年前に領内の村の聖教会で野盗の襲撃が起こり、村の老婆と数名の修道士が斬殺された。この三十年あまり野盗はおろか小規模な盗賊すら出たことが無いこの領内でだ。老婆の孫娘はその村の聖教会の聖導師に救助されて他領に逃げ延びたのだがこの事件が問題視された。


 聖教会は清貧派で、死んだ修道士は他領の教導派の者であった。更に男爵が調査を開始すると近衛中隊の兵舎の駐屯員の配置に不自然な移動が有った事が判った。

 さらに調査を進めようとした男爵家に近衛騎士団より圧力がかかった。クルクワ領内に不審な動きが有り野盗に関与しているという根も葉もない言いがかりだ。


 王都に上がった男爵は駐留していた近衛中隊と死んだ修道士の繋がりを示し、調査結果と野盗と言われる者どもと彼らの行動の一致や、目撃情報をまとめた報告書を叩きつけて長年勤めた近衛騎士団を後にした。


 近衛騎士団は言い掛かりは引っ込めたが、領地内の兵舎と練兵場の買取を迫られた。かくしてクルクワ男爵家には無人の兵舎と使わない練兵場と軍用道路、そして金貨五十枚の負債が残った。


 そこに現れたのがリコッタ伯爵である。彼は元本と利息も含めた借金の肩代わりをして、その見返りに自分の弟とマルゲリータの婚姻を迫ったのだ。

 条件は借金を持参金代わりとして弟のペコリーノを身一つでクルクワ家の入り婿として迎える事。

 ストロガノフ近衛騎士団長の立ち合いの下、公証人まで仕立てて婚約の協定が結ばれた。

 愚か者のリコッタ伯爵が思いつく事ではないが、この事件を契機に隊長から団長に成りあがった脳筋のストロガノフ近衛騎士団長も似たり寄ったりだ。多分裏で絵図を引いている者が居るのだろうがそれに乗せられた自分をクルクワ男爵は責めた。


 しかし今そのはかりごとがリコッタ伯爵の首を絞めている。それも娘のマルゲリータの手によってだ。クルクワ男爵は思った。これほど痛快な事は無いと。


 そのリコッタ伯爵の口から忌々しげに言葉が漏れた。

「来月の半ばに我が家で出資者会議を行う。リコッタ株式組合を立ち上げるから其の方ら出資せよ」

 クルクワ男爵はリコッタ伯爵では無く執事のタイラーを見て声を掛ける。

「良いのか? タイラー、それで」

「はい、ペコリーノ様も了承なさっておられます」

「ペコリーノは関係ない! わしが決めたのだ! その方らは黙って出資すればよいのだ!」

 そう怒鳴り散らすと店を出て帰って行った。

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