第81話 セイラカフェ(パルメザン 2)

【3】

「わしを差し置いてお前は何を言っておる」

 リコッタ伯爵怒りに震えながら立ち上がった。

「兄上、ここはロマーノ領だ。ここで問題を起こせば只ですまぬ」

「ロマーノなど子爵ではないか、我が家は伯爵家だぞ。近衛にも宮廷貴族にも顔の利くわしが子爵家ごときになぜ頭を垂れねばならん」


「旦那様、お静まり下さい。セイラ様今日はこのお話持ち帰らせて頂きます。後日正式にお返事いたしますので本日はこれで引き揚げさせていただきます」

 ペコリーノ氏とタイラー氏が伯爵を店から引きずり出して、馬車に押し込めると続けて二人も乗り込んだ。随員たちも馬車の周りを囲む。

 去り際にペコリーノ氏が私に向かい頭を下げた。

「セイラ殿、契約書の準備をお願い致します。今日のご提案内容で初めの手付金が用意できれば連絡いたしますのでしばらくパルメザンにご滞在下され」


 私は去って行く馬車を見送りながら、ルイスに目配せする。

 ルイスは頷くと裏口に回り、二階のパルミジャーノ紡績組合の事務所に駆け上がって行った。

 店内に戻るとリオニーの指示で、乱闘の後はきれいに片付けられていた。

 私は用意してあった書箱から便箋を一枚取り出し用件を書き付けると三つ折りにして折り目に封蝋を垂らし商会印を刻印する。

「ナデタ。これをロマーノ子爵に届けて頂戴。あまり目立たないように、門衛に言づけるだけで良いわ」


 そうこうする内に二階から紡績組合の面々が降りてきた。

「ジョゼッペ様。勝手ですが、御父上の子爵様宛に使いを出しました」

「ああ、すまない。あの音はやはり、伯爵が暴れたのかい?」

「いえ、剣を抜こうとした随員たちをメイドが取り押さえただけです」

「凄いわねえ、ライトスミスのメイド達は。ねえセイラさん出来ればリオニーを…」

「マルゲリータ様、それはお断りいたします。当面リオニーにはパルメザンの店舗長を任せますので、組合へのご助力は吝かではありませんが引き抜きはご容赦を」

「仕方ないわねえ。でもそのうち余裕が出来れば何人かこちらのメイドを雇いたいものだわ」


「伝声管からすべての話が聞けたわけじゃないが、伯爵はかなり焦っている様だね」

「でも本当にお金が無いみたいだわねえ。出資者会議の時は金貨百枚などと騒いでたくせに」

 私は話の流れを大まかに二人に説明した。伝声管の声を聴いていたので二人も状況は掴めたようだ。


「こいつは、リカルドにも早馬で使いを出して直ぐに呼び寄せた方が良いな」

「ええ、レッジャーノの工場はおじ様にお任せして、すぐ来るように手配して貰いましょう。どなたか郵便馬車に使いを頼めないかしら」

「いや、わしの部下に言って早馬を走らせよう」

 声がしたので振り返るとロマーノ子爵がナデタと共に入り口に立っていた。


「来る途中にこのメイドからおおよその事情は聞いたが、リコッタ伯爵め少しやり過ぎだのう」

「舐められるような風体の者ばかり揃えてしまった私の落ち度です。ここは、穏便に」

「ペコリーノ様も、セイラさんの半分でも良いから気遣いが出来ればこんな事にならなかったのに」

 マルゲリータが愚痴る。婚約者なのだから気になるのは当然だが、何か突き放した感じがする。


「しかし、何故伯爵は支払いを秋に延ばしたがったのでしょう。金が無かったのなら前の出資者会議の発言も附に落ちません」

「そう言えばそうだよな。金貨百二十枚でも即金で払えるような口ぶりだったよな」

「まあでも今はお金が無いと言う事なのよねえ。そもそも私の知る限りでもあの家にそんな余裕は有りません。収入と同じだけ無駄に贅沢をするような人ですよ。お金が有る方がおかしいのですわ」


「いいのか、それで。お前の旦那になるやつの実家だぞ」

「良いのよ別に。婿に来たら四の五の言わせないし。リコッタ伯爵家が借金しようが没落しようが我が家は関わる心算は無いから」

 ペコリーノ氏は尻に敷かれることが確定している様だ。まああの気概では仕方ないだろう。


「それでもペコリーノ様は常識人ではあると思いますが、伯爵様があれではリコッタ家も長くないでしょうね」

「ただリコッタ家が廃嫡になったり、取り潰されては我が州内に影響が大きいであろう。それはそれで困った事じゃ」

 ロマーノ子爵が嘆息する。

「そのペコリーノ様が執事に金貨十五枚を用立てろと言いましたが…、可能なのでしょうか?」

 私の質問に全員の動きが止まった。


「曲がりなりにも伯爵家じゃ。貴金属なり骨董なり売ればどうにかなるであろう」

 始めに口を開いたのはロマーノ子爵であった。

「そっ…そうよね。家財を売ればその程度なら何とかなるでしょうね。それを担保に借りる事も出来るわ」

「間に合うのか? セイラさんはいつまで待てるんだい?」

「長くても四日。それ以上はパルメザンに逗留できませんねえ」


「領地に帰って商人を呼んで査定して売却して金を受け取りパルメザンに戻って来る。…間に合うだろうか?」

「借りるにしても売るにしても、一からやるとなると難しいわねえ。でも御用商人とか馴染みの商会とかあるのではないかしら」

「それならば、今日の商談に連れてきていると思うのですよ。そうで無くても事前に相談くらいはするでしょう。商会が介在しているなら今日の商談はお粗末すぎます」

 私は感じた事を話した。


「相談はしたけれど伯爵が聞き入れなかったとか…」

「ならばその商会からはもう見限られていますね。そもそも商談を始めた当初から経験の有る者が関わってきた様子が有りません。リコッタ伯爵家は出入りの商人達から見限られているのでしょう。もしくはめぼしい資産がもうすべて何かの担保として抑えられているか」


「そうなのかセイラ殿!」

 ロマーノ子爵は驚いたように叫んだ。

「いえ、私どもの調べた限りでは表立って借金は有りません。ただ出入りの商人達からは金払いが悪いと言われていて、評判はすこぶる悪いですね」


「現金は持っていない。家財も直ぐには売れないとなるとどうする? 親父殿、伯爵家はもう手詰まりじゃあないのか」

 ジョゼッペ氏の問いかけにロマーノ子爵は暫く思案していたが急に顔を上げて私たちに叫んだ。


「これはまずいぞ。マルゲリータ嬢、直ぐに領地に早馬を走らせて父上か母上を…クルクワ男爵に来てもらってくれぬか」

「いったい、どういう事なのですおじ様」

「可能性だがな。一番に考えられることは、クルクワ家との婚約を解消して借金の返済を迫る事じゃろう。少なくともクルクワ家に金貨百四十枚の資産が有る事は奴も知っておるでな」


 ウカツだった。あの伯爵の事だからその短絡的な手段を取るであろう事は先ず間違えない。

 もっと早く何か手を打つべきだったが、まだ手遅れじゃあない。

「マルゲリータ様、貴女は婚姻をお望みなのでしょうか?」

「えっ? 急に何を…。そっそうね、あまり考えた事は無かったわね。婚姻は貴族の義務のようなものだわ。それにペコリーノ様は自己主張も無く、悪く言えば気概の無い、よく言えば御しやすいお方ですからリコッタ伯爵家の影響を排除できる都合の良いお方ですよ」

 婚姻に際してここまで割り切って話されると若干引いてしまうが、彼女はクルクワ家と株式組合の利益の為ならペコリーノ氏を躊躇なく切り捨てそうだ。

 なによりも、よく言えばと言いつつ悪口じゃあないか。


「婚姻先の影響が排除できるなら別にペコリーノ様でなくても良いと?」

「そう言う訳では無いわ。同じ州内で隣接した領主でもあるリコッタ伯爵家の経営に関われる可能性が有るから良い条件だとは思うのだけれど、あの伯爵は邪魔ね」

「出来れば婚姻は維持する方向で、クルクワ家に負担が無く、リコッタ伯爵を潰せる方法を相談いたしましょうか」

 女の私の口から出る言葉に対して、(俺)はペコリーノ氏に心の中で詫びる。大人しく実直そうなペコリーノ氏が気の毒で仕方なかった。


「親父殿…。俺の婚姻の時は格式や持参金でなく婚家を立てる優しい娘にしてくれ。俺の嫁に才気はいらないよ」

「ああ、そのように取り計らおう」

 その気持ちもわかるよ(俺)は…。

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