第22話 聖導女(3)

【4】

 荷馬車の件はあっさりと知れた。

 ミゲルの話では必ず水曜日の夕方にやって来るという事だ。

 そしてその馬車は子供たちが街のあちこちで見ていた。

 どうやら聖教会の馬車で、普段は砕石を積んできたり街の外から岩を運んで来たりしているらしい。

 そして水曜日には旧市街からやって来て旧市街に帰って行く。

 ウィキンズが集めた情報では、砕石は救貧院から聖教会や工事現場へ、岩は街門で荷積みし救貧院へ、水曜日は救貧院を出て救貧院へ帰ってきているのだ。


 偽物売りの五人は朝からうちにやって来た。

 午前と午後の授業を受けさせて、後はチョーク作りをさせて設けた銅貨はミシェルに持たせて先に家に帰らせた。

 ミゲルとマイケルとルイスには偽マヨネーズを持ち帰らせて、マヨネーズ売りが昨日売って偽物を冒険者ギルドで食べ比べさせていたので売れなかったと報告させた。

 そして明日は場所を練兵場付近に変えるとも言わせた。

 少しずつ場所を変えることで何日か時間を稼げるだろう。


 夜にはシスタードミニクがまたやってきた。

 私が今日分かったことを報告するとシスターは沈痛な面持ちでやっぱりと呟いた。

「聖教会の恥になる事ですがお話いたします。まず間違いなくバルザック商会と救貧院は繋がっています。二年前に突然救貧院に出入りする食品業者との契約が打ち切られたのです。そしてそれまで繋がりの無かった商会を聖教会の司祭様がごり押しなされたようで。」

「それが、バルザック商会ですかい。」

「ええ、そして一年ほど前から救貧院の食事がとても悪くなりました。食中しょくあたりや衰弱による死亡が増えているのです。救貧院で一日に出す食事の金額と量は法により決められています。バルザック商会は廃棄物で嵩増ししてお金を浮かせているのでしょう。そして救貧院の管理聖導師か司祭様が多分関わっておられます」

「もし、わたくしが帳簿を調べることができれば何かお役に立てることもあると思うのですが」

「さすがに救貧院の帳簿は持ちだす事は出来ません」

「ミゲルのお母さんは帳簿をつけていたって言っていたよね。彼女に聞けば保管場所も分かるだろうしミゲル達なら持ち出しも出来るかもしれない」

「それはダメだ! お前たち子どもにそんな危険なことはさせられない。一つ間違えれば罪に問われるんだぞ!」

「でも父ちゃん! あのブラドの為に救貧院で人が死んでるんだぞ! 今止めなけれなけりゃまだまだ人が死ぬんだ。そんなこと許せない」


 シスタードミニクはそれを聞いて唇を噛みこぶしを握り締めて涙を流しながら言った。

「セイラ様。恥を忍んでお願い申し上げます。聖職者としてこれ以上弱者が死んで行くのを看過できないのです。ご主人にも奥様にもお願い申し上げます。帳簿を手に入れて頂けないでしょうか。なにかあればわたくしがすべての責任を負います」

 そう言い終わるとテーブルに両手をついて深々と頭を下げた。


「頭をお上げください。どうにか考えてみます。ただセイラ、無茶はさせるな。計画は俺を交えて考えること、それからグレッグとダンカンもつける」

「明日の朝、ミシェルちゃんのお母様に会いに行きましょう。そしてわたくしとお父様とで相談した結果をセイラにお伝えします。それまでは誰にもこの話はしてはいけません」

「ありがとうございます皆様。何もお返しが出来ない非力なわたくしをお許しくださいませ」

 シスタードミニクをそう言って金貨を一枚取り出した。

「これを使って少しずつ偽マヨネーズを買い取って時間を稼いでくださいませ。どうかお願い致します」

「分かりましたが、ブラドをどうにかすれば当面はミシェルの洗礼式までは時間は稼げるでしょう。母親の病気と就職についてはもう少し時間をかけて考えたいですぜ」

 そしてその夜の打ち合わせは終了した。


【5】

 その夜私(俺)は寝床で状況の整理を行った。

 実は救貧院の名前は以前から知っていたのだ。

 いつからと言えば前世から。

 そう『ラスカル王国のプリンセス』のイベントで出てきたのだ。

 簡単に説明すると枢機卿の息子のジョバンニ・ペスカトーレと宰相の息子のイアン・フラミンゴのルートで出てくるイベントとしてだ。


 聖教会の貧民を収容し救済する施設である救貧院を聖教会の教皇と対立する悪役令嬢の一人『闇の聖女ジャンヌ・スティルトン』が廃止しようとするのを攻略対象と主人公が阻止するというイベントだ。

 シナリオ中盤の重要イベントで、その結果はエンディングにも大きな影響がある。

 私(俺)は結構どっぷりとシナリオに浸かってしまっているのではないかと不安になる。

 もしかすると闇の聖女のルートで出てくるモブキャラに入っているのかもしれない。


 この辺りで手を引くべきか。

 両親はドミニクに世話になっていると言っていた。

 多分、私(俺)の洗礼式で何かあったのだろう事は容易に想像がつく。

 聖教会に召し上げられかけたのを阻止してくれたのかもしれない。

 ここで手を引いても両親に降りかかる火の粉は払えないかもしれない。


 なにより正義は聖女ジャンヌにあると今なら言える。

 よく考えれば枢機卿の息子って、チェーザレ・ボルジアかよ。

 それだけで腐敗と利権の塊じゃあないか。

 枢機卿と宰相の利権を守るために活躍するなんて真っ平だ。

 それなら今できることで少しでも未来の憂いを削っておきたい。


 腹が決まったら爆睡してしまったようで、翌朝は寝過ごしてしまった。

 急いでチョーク工房へ行くとお母様はミシェルを伴って彼女の母親に会いに行った後だった。

 私は子供たちを集めて午前の授業を始める。

 ルイスは二桁の足し算引き算ができるレベルだが、読み書きは出来ない。

 ミゲルとマイケルは四桁の加減算と掛け算も出来きて簡単な読み書きもできる。

 この二人は早い段階でマヨネーズ販売に参加可能だろう。

 三人に九九の表を渡して暗記を指示する。


 最近は子供たちの人数も増えて授業も手一杯だ。

 年長の子供たちがマヨネーズ売りに回ったため教師役が足りない。

 その年長の子供たちに帳簿付けを教える教師もいない。

 複式簿記が解るエマ姉やエドはチョーク工房の帳簿付けで忙しい。

 グリンダはメイドとしての仕事が有るし、私の勝手で仕事を増やすのは憚られる。

 単式簿記ができるウィキンズ達は教師役を手伝いながらエマ姉に複式簿記を学んでいるが自分たちの仕事もある。


 おまけにチョークの需要も増えて、工房の人手も足りなくなってきている。

 貝灰の粉砕は外注に切り替えているが、卵の殻の粉砕も外注するかロータリーカーン等を導入して効率化を図る必要があるだろう。

 混練の作業も粉塵の問題がある。

 乾燥も天日干しの為スペースに限りがある上天候に左右される。

 もうこの空き地では手狭になってきている。

 そろそろこのチョーク工房のビジネススタイルを見直す頃合いだろう。

 販売をライトスミス木工所で行い、製造部門を外部委託すると教育の場が失われてしまう。

 今は寡占状態だから非常に利益率は高く、子供の教育の場と言う事で人件費も抑えられている。

 本来チョークなど薄利多売の商品である。

 製法が知れれば一気に値崩れするのは目に見えている。

 そうなると早期の設備投資による効率化と量産体制の構築が急務になる。

 子供の教育の場としての形態が維持できなくなる。


 私(俺)としては働きながら学べる職業訓練学校的な形態を模索したい。

 あまり良い方法では無いが法的規制による専売で、価格と業務形態の維持を図りたい。

 そうなると子供の領分では無くなる。

 今回の事件に併せて父ちゃんやお母様に相談して方法を考えよう。


【6】

 朝セイラから出された指示は、マヨネーズ販売で偽物との味比べをさせることだった。

 ジャックも偽物の壺を持って冒険者ギルドの酒場にやって来た。

 昨日、味見をさせての販売はことのほかうまくいったので今日は皿代わりの葉っぱも多めに用意してきた。

「オイもう少し多めに盛れよ」

「バカ言うな、ただで味見させてるんだぜ。気に入ったんなら金出しな」

「ガハハ、ちげえねえ。冒険者の癖にさもしいぜ」

「チッ、わーったよ。銅貨十枚分だ。その代わりサービスしろよ」

「毎度あり」


 ジャックはここの雰囲気が好きだった。

 幼いころ母に連れられてこの酒場でよく食事をしていたことを思い出す。

 そのころ母はソロの冒険者で、薬草採取や低ランクの日帰り依頼をこなして細々と彼を育てていた。

 知り合いのパーティーにも誘われていたようだがどれも断っていた。

 それでも実力はあったようで、時折AランクやBランクの依頼に助っ人で入って報奨金を貰うとここに連れてきてくれたのだ。


 その日暮らしの荒くれ者が多い場所だが、安くてたくさん食べられた。

 それに家族を残してきた流れ者も多く、幼いジャックには皆とても優しかった。

 それが二年前に母がいきなりジャックの手を引いて、新市街の伯父の家に連れて行かれて、何も言わずにそのまま帰ってこなかった。

 翌日、旧市街の住んでいた部屋に行くとほとんど無かった家財も引き払われて空き部屋になっていた。

 伯父に聞いても当分ここで暮らせと言うだけで何も教えてくれなかった。

 そしてジャックは母に捨てられたのだと悟った。


「おい、ガキ。ジャックって言ったかな。お前ジャクリーンの息子なんだってな」

「違う! あんな奴母親じゃねえ。人違いだ」

「拗らせてやがるな。ジャクリーンの行き先は知っているのか?」

「知るわきゃねえだろう」

「そんな訳ねえだろう。連絡くらいは有るだろう?」

 このギルドでは初めて見る男が絡んできた。


「ねえって言ってんだろうが、糞が!」

「はー!? クソガキ今なんつった!」

 男の顔色が変わる。

「おい、それまでにしときな」

 酒場の店主が割って入った。

「おまえも冒険者なら人のプライベートを詮索するって言うのがどういう事かわかってるだろ」

「物売りのガキに身の上を聞いただけだろうがよう」

「それなら尚更、よそ者が堅気の子供の身の上を詮索するなんぞご法度だ。さっさと失せな」

「ちっ…」

 男は悪態をつきながら出て行った。


「なあオヤジ。さっきの野郎、見ないツラだったが知ってるのか」

 ジャックの常連の冒険者フランクが声をかける。

「いや、初めて見る奴だ」

 店主はそう言うとカウンターに戻って行った。

「おう、ジャック。銅貨十枚分乗せてくれ」

 フランクは黒パンを差し出す。

 ジャックはその上にマヨネーズを匙ですくって乗せた。


 フランクはそこにキャベツとハムを乗せながら言う。

「おまえもその突っ慳貪な性格を直せよ。せめて聞きたけりゃあマヨネーズ一壺買え位言え無けりゃあ商人になれないぜ」

「うるせえなあ。別に商人なんて…」

「おや? 母ちゃんみたいな冒険者にはならないんじゃなかったのか」

「誰がなるか! 冒険者なんて」


「そうそう、ジャクリーンみたいに不愛想で、無思慮で、猪みたいな奴が冒険者になるんだ。お前はもっと思慮深く愛想良くして商人になれ」

「ああ、思慮深く立ち回ってあの偽物売りを叩き潰してやる」

「おい、ジャック。お前はマヨネーズを売ることだけ考えろ。余計なことに首を突っ込むとケガで済まないんだぞ」

「わかってら。そんなヘマはしねえよ」

 そう言って意気揚々と店を出て行くジャックの背中を見ながらフランクはため息をついた。

「お前、全然わかってねえぞ」

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