第21話 聖導女(2)
【2】
私は大急ぎで父ちゃんに相談事があると言ってお母様の執務室に集まって貰った。
驚いて顔を上げたお母様は、わたしの表情を見てすぐに何かを察し事務員のマイクと手伝っていたグリンダを退席させた。
私は二人にこれまでの事情を説明し、この後裏通り組と偽物売りの子供たちの状況確認を行う事、夜にドミニク様を招いた事を話した。
暫らくするとチョーク工房にウィキンズとポールとピエールが戻ってきた。
居残っていたエマ姉とエドの六人で、ジャックがルイスとミゲルを連れてくるまで待っているとお母様がシチューを出してくれた。
その頃にはジャックも二人を連れて戻ってきており、父ちゃんが先に子供たちに食事をさせて細かい事情を聴き始めた。
食料品屋はバルザック商会と言い非常に評判の悪い店らしい。
ミゲルの母は先代の店主に雇われて働いていたが、二年ほど前に先代ウラジミールが亡くなりその甥だと言う今の店主のブラドが乗り込んできた。
それまでは堅実に商売をしていたバルザック商会だがブラドの悪どいやり方でどんどん顧客が離れ店員もみな辞めていったそうだ。
その結果バルザック商会は店主がブラドに変わってから凋落著しく今では閑古鳥が鳴いている。
ミゲルの母は子供を抱えた寡婦で身寄りもないため辞めるに辞められず、一人店に残って帳簿付けから掃除片付け果ては荷積みや荷下ろしまでやらされてとうとう体を壊してしまったそうだ。
ブラドはミゲル達に店に借金が有るから代わりに働け、働かなければ救貧院に入れると迫って来たらしい。
そのブラドなのだが一年ほど前から少し金回りが良くなったらしくピエールの母さんが働いている酒場に出入りするようになり、ピエールの母さんに言い寄っているらしい。
ピエールの母さんは横柄で下卑た態度をとるブラドを残飯漁りと呼んで毛嫌いしているらしいのだが。
それと言うのも酒場の噂では、ブラドは酒場や食料品店の廃棄食品を買い取ったり、週に一度荷馬車で残飯を運んでいたりと本業の商会の仕事ではない事をやっているからだ。
父ちゃんはみんなに“後は大人の出る事案でお前らは一切手を出すな”と宣言し、納得いかなそうな裏通り組やウィキンズに、噂話だけを集めて報告するようにと告げて解散させた。
お母様はミゲルにハムを一本と黒パンを二斤持たせて、明日からは必ずここに兄妹そろって来るようにと告げて帰らせた。
そして夜、事務所の応接室にワインとグラスそしてコールスローにサケやニシンの燻製を乗せたオープンサンドとチーズが並べられた。
夜半に訪れたシスタードミニクは恐縮しながらも蜂蜜を入れたワインを飲みオープンサンドを口にした。
「噂には聞いておりましたがこれはとても美味しゅうございますね」
「ええその上安くて滋養もございます。ごゆっくり召し上がってくださいませ。」
「こいつはセイラが子分のダドリーと考えたもんです。こいつの発想にはいつも驚かされる。これと言うのもすべてシスターのお陰です」
「父ちゃんやめてよ。恥ずかしいから」
私は親バカ全開の父ちゃんに文句を言いつつ赤面してうつむいてしまった。
…シスターのお陰!?
いったいどういう事?
「それではまずミゲル少年達の事をご相談させてくださいませ」
うちのチョーク工房で働けば子供たち三人だけならどうにか食べて行けるだろうが、仕事の無理と栄養不足で体を壊している母親までは無理だ。
ブラドは子供たちが使えないと判断すれば躊躇なく救貧院に申し出るだろう。
今のままでは洗礼式が終わっているミゲルとマイケルはどこかに奉公に行く事が出来るが、ミシェルとその母は救貧院行きだ。
母親は間違いなく数カ月で命を落とすことになるだろう。
ミシェルだって洗礼式まで命を長らえられるかわからない。
「ひと月程度ならその方をうちで雇うかたちで面倒を見ることもできますから、その間に体調を直して次の仕事を探すなどしていただいては」
「レイラ、悪いがそれは出来ねえ。他の従業員に示しがつかねえ」
「お母様、今回は父ちゃんの言う通りだよ。うちは慈善業じゃない。同じような人はこの街に沢山居るけれどうちでみんな面倒を見る事は出来ないし、ミゲル達家族をわたしが面倒を見る義理もない」
「そうですよ、奥様。セイラ様のおっしゃるとおりなのです。そもそもこのような事は聖教会が行うべきことなのです。それがこの様な有様に成ってしまって…嘆かわしい」
「ドミニク様が動いて頂けるならば、出来る限り援助は致します。唯うちが表立って動くわけにはいかねえ」
そんな話をしているうちにシスターが問いかけてきた。
「先ほどのバルザック商会の荷馬車の件、少し気になる事がございます。何曜日に来ているか、出来ればどこに向かっているのか知るすべは有りませんか」
「それくらいならウィキンズ達に調べてもらうわ。曜日ならミゲルかピエールに聞けばわかるだろうし、ウィキンズ達ならそれとなく後をつける位できるから」
「どの方面に行くかだけで構いませんからお願いいたします、セイラ様」
「そのバルザック商会ですが、商工ギルドの登記簿には店主はウラジミール様となっておりますの」
「こう見えて俺は商工ギルドではそこそこの顔役です。ギルドの集まりでもウラジミール老は記憶にあるが、ブラドとか言う跡取りは顔を出したことがねえ。登記簿の書き換えもやってねえと思うんだ」
「胡散臭いね、父ちゃん」
「ああ、二年も登記をそのままにしているなんて普通ありえねえ。不動産や商業権の相続が出来なけりゃあ、いつ追い出されても文句も言えねえ。不可解だ」
「二年前? そう言えば救貧院のあの事件もその頃でしたわ。…少し調べたいことができましたのでこれでお暇致します。明日もまたうかがってもよろしいでしょうか」
「ええ、承知いたしました。明日も又この時間帯頃にお待ちしております。明日はドミニク様が仰っていた荷馬車の件をセイラに調べさせますので」
「シスタードミニク様、ミゲル達には偽マヨネーズが売れないという事でしばら時間稼ぎをさせておくわ」
【3】
最近、ウィキンズは練兵場周辺でマヨネーズ販売を始めていた。
以前卵の殻を回収していた店を中心に各店舗にマヨネーズの卸を行っているのだ。
炙り焼きとタルタルソースのレシピを教えて常連の店を増やしているのだ。
レシピを知った店舗はおのおのアレンジを加えて、味を競い合っている。
路上売りは年下の子供たちに回し、常連の各店舗にはマヨネーズの持ち込みを許可してもらって子供たちは店の前で客に量り売りをする。
この辺りには訓練で腹を減らした衛士や騎士とそれらの見習いが食事に来るため、大量のパンを店の表で買ったマヨネーズで腹に詰め込む若者たちが多い。
そして今日はそうした店を回って偽物の食べ比べをさせながら情報収集を進めている。
「なんとも浅ましい奴らだなあ。こんな不味い物に銀貨五枚とは」
「違うんだ。売ってるのは騙された子供たちで、悪いのはその元締めの奴らなんだ」
「ああ違ない。子供を食い物にする奴らこそ我々が取り締まらねばいかんのだ」
「そうだ、そうだ。市民を守れずして何のための騎士か」
店主とウィキンズの会話に店の客たちが加わり盛り上がる。
若い騎士や衛士たちの正義感を刺激したようだ。
「ウィキンズの雇い主とは大違いだなあ」
「ええ、うちのお嬢は安全第一、儲けより知識と経験が口癖だから」
「おいおい、そのお嬢って言うのはお前を助けるために暴漢に突っ込んでいったって言うあの幼女の事だろう。危ない真似をしたって、叱られて泣きべそをかいてた子じゃないか。それが雇い主なのか?」
以前の事件で世話になった騎士のボウマンが驚いた顔で聞いてくる。
「元手は父親のライトスミスさんから借りたそうですが、仕事を回して儲けを出しているのはお嬢なんですよ。売り上げの管理や帳簿付けもお嬢がやってる。もちろんご両親がその上で管理してるんだろうけど表で指示を出してるのはお嬢なんだ」
「へー、所謂英才教育ってやつだな。ライトスミス家は思い切ったことをするなあ。じゃあお前は聖年式が終われば木工所に見習いに行くのか?」
「俺は騎士になりたい。衛士でも良いけれどお嬢や街の人を守る仕事がしたい」
衛士のタイレルがウィキンズに言う。
「志は良いぞ。体格も腕力も有りそうだから見込みはあるが、見習いの審査は筆記だけじゃなく実技でも何か秀でたものが無いと難しいぞ。それに騎士や衛士の見習いの訓練は辛いぞ」
「でもやらずに諦めたくはないんです」
「おお、その意気だ!」
「小僧のくせに男気を見せるじゃないか」
また客たちが盛り上がる中でウィキンズは照れ笑いを浮かべた。
「ところで、みなさん。曜日は判らないけれど…多分平日の夕方に新市街から荷物を積んでやって来る馬車の事を知りませんか?」
「その馬車がどうかしたのか?」
「偽マヨネーズ売りの元締めの店から毎週荷を積んで旧市街に向かう馬車があるそうなんです」
ウィキンズに経緯を聞いていた客たちは色めき立つ。
「それは荷台に幌を掛けた馬車じゃないか?」
「なんだよ、それ?」
「ほら、あれだよ。あの得体の知れない臭い馬車だ!」
「エリン隊長にしごかれた後にあの匂いを嗅ぐと最低の気分になるあの馬車か!」
「ああそう言えばあの馬車が通るのはエリン隊長の訓練の日だから水曜日だよなあ」
「おいおい、あの馬車は聖教会の馬車だぜ。いつもは砕石を運んでるんだ」
「ああ、そうだ。幌を掛けているから気付かなかったが救貧院の砕石を運んでいる馬車だ」
「あの馬車ならこの前の道を通って練兵所の南に行っているなあ」
「その方角ならやっぱり救貧院の方角だろう」
「ああ俺も空荷で幌だけかけたあの馬車が冒険者ギルドの前に停まっているのを見たぞ」
「ギルドなら救貧院のすぐ近くじゃないか」
「ギルドの近くの酒場で飲んでいたとき、救貧院から出て行った空荷の馬車が荷物を積んで帰って来るのを見たことがあるぜ。あの臭いだ、間違いない」
次々と情報が入って来る。
「ブラドの野郎、救貧院とつながってやがったのか」
「ブラド!?誰だそれは」
騎士のボウマンが問いかける。
「偽マヨネーズの元締めのバルザック商会の店主です」
ウィキンズの言葉に集まっていた騎士や衛士たちの間にどよめきが走った。
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