第47話 北海の暗闘(1)

【1】

 沿岸商船のロロネー船長の銀シャチ号はノース連合王国の南端、ラスカル王国との海峡に続く航路を進んでいた。

 ノース連合王国南部の沿岸は島礁が多く、思わぬ場所に岩礁が現れたりする。

 ノース連合王国北部の岩礁地帯ほどではないがラスカル王国の北海航路では難所の一つであった。


 月夜で珍しく凪いだ海であったが、夜間の難所の航海である。

 水先人は操舵手に張り付いて指示を出していた。ロロネーも椅子に座り仮眠をとっているものの神経は張りつめていた。


 いきなり大きな鐘の音が聞こえた。

 操舵席で水先人が打ち鳴らしているのだ。緊急事態の警鐘の音だ。

 ロロネー船長は飛び起きて甲板へ走った。


 甲板にはもう水夫が数人出てきており、帆柱の物見台目掛けて昇り始めた者もいる。

 水先人がロロネー船長を見つけて操舵席から走り降りてきた。

船長キャピターナ難破船のようだ。岩礁の向こうに煙と…多分燃えているんだろう火の手が上がってる」

「救援に向かうわ。先導はあんた頼みなんだよ。操舵手に付いていな」


 そう指示するとロロネー船長はマストの上を見上げる。

「オーイ、小僧。どうなんだ、船火事か? 難破か? 何か見えるか」

「火の手が上がってます。距離は半海里」


「航海士、どう思う。火の手が上がってると言う事は座礁してあまり時間が立っていないと言う事だよな。ノース連合王国の船はこんな時間に岩礁の近くを航行するものかい?」

「どうなんだろう。キナ臭せえもんを感じるだけれどねエ。まあ海の仁義だ。頼んだぜ水先人」


「アイ・マム! 右手に岩礁、取り舵」

「宜候!」

「間に合いそうかい?」

「ああ、ここの岩礁くらいなら目をつむっていても辿り着けらあ。波も静かだが風が無い訳でもねえ。これくれえ屁でもねえ」


「よーし、野郎ども! 消火の用意だ! それからカッターを降ろしな。水夫長は先行して状態確認と生存者の救助だ。真冬の北海だ海に投げ出されれば命に係わる。救える奴は一刻も早く救助してやりな」


船長キャピターナ、あたいも行くからもう一艘カッターを降ろしてくんな。あたいなら、夜目が効く。物見にも人命救助にも助けになる。あんたと水先人が居れば、航海士が留守にしてもこの船は大丈夫だろう。水夫を四人貸してくんな」

「判った。無理はおしでないよ。火勢が強まれば類焼の危険もある。撤退の判断もあんたに任せるよ」

「アイ、マム! それじゃあ行って来るぜ」


【2】

 水夫長と航海士の操る二隻のカッターはそれぞれ難破船を目指して海上を進んで行く。

 甲板から上がる火の手にマストが焙られて燃え上がっている。もう帆も帆桁も焼け落ちて無くなっている。

「オーイ水夫長! もうすぐに帆柱が倒れる。巻き込まれない様に船の右手に回るぞ」

「右舷宜し! 航海士さんよゥ、漂流者は見当たらねえか?」


 燃える炎が黒い海面に明かりを落とし、辺りをほの明るく映し出している。波が難破船を洗うので火勢は強まりそうも無いが、かと言って船火事を消すほどの力も無く燃え続けている。

 水面には焼け落ちた帆桁や帆布が漂っているが人の影は見えない。

 かと言って船上にも動く人影は見えないが、燃える帆柱の炎に照らされて甲板上には火に焙られている死体らしき影が幾つか見えた。

 船が乗り上げている岩礁に引っかかった死体も見える。


「ヤバいねえ。こいつは…」

「オーイ航海士さんよ! あの船ただの難破船じゃ無さそうだぜ」

「ヨシ! あたいが船に上がる。あんた達は待機だ!」

「オーイ水夫ども! その船を停めな! 航海士様をぜってぇ降ろすんじゃねえぞ! 俺が行くからよう」


「バカ野郎! こいつは上役のあたいの仕事だ!」

「こんな美味しい役は女に譲れるかよう。行くぜ野郎ども! 右舷に付けな! 航海士さんよ、人命救助は任せたぜ」

 水夫長はそう言うとカッターを進めて難破船に近づいて行く。


「畜生めが! バカにしやがって。オーイ誰かいねーか! 生きてる奴は返事しな!   助けに来てやったぞ}

 航海士は仕方なくメガホンを持ち上げて暗い海に向かって叫ぶ。


『ピーーー!』

 いきなり水面を切り裂くようにホイッスルの音が鳴り響いた。

「航海士! あの岩礁の後ろだ! 近いぞ」

「左舷前方二十! あの岩場に引っ掛かってやがる」

「航海士、ヤバいぜ! マストが焼け落ちそうだ」


「仕方ねえ!」

 そう叫ぶと航海士はいきなり海に飛び込んだ。

 十メートルほど泳ぐと岩礁の際に辿り着いた様で、そこからは波をくぐりながら水中を歩いて進む。


 岩場に引っかかる生存者はまだ若い少年だった。航海士は意識を失いかけている少年水夫を岩場から引き剥がす。

「航海士! あぶねえ! マストが落ちる!」

「うをーーー」

 人ならぬ奇声を発しながら航海士が少年の首根っこを抱えて水中に飛び込むと、入れ違いにその岩目がけてマストが倒れてきた。

 間一髪で水中に逃れた航海士は、数メートル先の海面から少年を抱えて頭を出した。

 燃えるマストに照らされて二人の泳ぐシルエットがくっきりと見える。


 岩礁の近くに来ていたカッターの水夫たちがオールをガンガンと打ち付けて歓声を上げた。

 カッターの左舷に辿り着いた航海士は少年をカッターに上げて自分もよじ登って来る。


「ムチャしやがって、こんな事は俺たちに任せろよ! あんたは航海士なんだ」

 年嵩の水夫が苦言を呈するが、若い水夫たちはそんな常識的な説教など聞いてはいない。


「ヘヘヘ、航海士! あの声は女のあげる声じゃあねえぜ」

「俺ぁ、海の妖怪でも現れたのかと肝をつぶしたぜ」

「てめえら、ぶん殴られたいようだね。帰ったら覚悟しな。さあこれから水夫長の手伝いに行くよ!」


「バカ野郎! あんたはその濡れた体で死にてえのか! 野郎ども、すぐ船に帰るぞ。救助者の手当ても必要だしな。水夫長にはランタンで知らせな」

 年嵩の水夫がサッサと指示を出す。

「お前、勝手に仕切るなよ。あたいは航海士だぞ」

「バカやってる航海士の言う事なんぞ聴けるかよ。この航海士がまたバカをやって凍え死ぬ前に船に帰るぞ」

「バカバカ言いやがって覚えてろ」

「ああ何度でも言ってやるよ大馬鹿航海士。俺の声が聞けるうちが花だと思ってな」


【3】

 難破船内は煙が充満して入る事が出来なかった。甲板にも動く者はいなかった。甲板の火勢が強くなったので引き揚げてきた水夫長の報告だ。

「無鉄砲やりやがって、ネコ獣人のくせに海に飛び込むんじゃねえよ。おめえを高等学問所から引き抜いて雇ったのは、夜目が効くのと星読みと測量の手腕だ。無茶をさせるために雇ってんじゃねえ」


「判ったよ船長。そう怒鳴るなよ、耳がキンキンする」

「わかったら改な。それでてめえらこの状況をどう見る?」

「解せねえな。近寄って確認まではできなかったが、生存者が一人しかいねえって事が何より解せねえ。焼死体も消火の途中で火に捲かれた様子じゃねえ」

 水夫長が見てきた感想を言う。


「あたいも解せねえ。船火事で座礁したにしては風向きと座礁位置が合わねえ。座礁してから船火事ならば、近海だからカッターを降ろして逃げるだろう。カッターが残っている事自体が釈然としねえ」

「って事は、反乱でもねえよな。となると…やっぱりあれか」

「ああ、多分な。それもついさっき迄この近海にいた…、いやきっと未だこの近くに居やがるな」


「私掠船か。厄介だなあ」

「愚痴っても仕方ねえ。この近くに居る事が事前に知れただけでも儲けものだ。野郎ども、腹ぁ括りな。さあサッサと配置につきやがれ。銅鑼ぁ鳴らせ! 火縄は切らすな。全砲装填しろ! ただし無駄な戦闘は許可しねえ。逃げられるなら、逃げの一手だということを忘れんな。おい、航海士てめえの事だ。心して星を読んで退路を確保しろ!」

 甲板は一挙に慌ただしくなった。

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