第46話 バルバロス船長
【1】
北海に面したシャピの街は、冬になると雨混じりの雪がしとしとと降り続く。
雪はあまり積もらないが降った雪は夜には凍結して氷のように固くなる。日照時間も短く午後の二の鐘が鳴る頃には街は真っ暗になっている。
そんな陰鬱な印象が強い街だが、冬の海は豊かで日のある午前中は夜を徹して漁をした漁船団が大量の海産物を満載して帰って来る。
午前中の魚市場の喧騒と活気は街を覆う曇り空を吹き飛ばすほどに力が有る。
その上昨年、サンダーランド帝国から帰還した北部商船やノース連合王国から頻繁に積み荷を運ぶ内陸商船のおかげで商人たちも活気づいている。
河船の運航と沿岸商船が手掛けるモース公国との取引も、地味ながらハスラー聖公国やハッスル神聖国との取引の何倍もの利益をもたらしている。
シャピの港は好景気に沸いている。
内陸商船は隣のカロリーヌの姉婿が治める男爵領で二隻目の商船を就航させ、更に三隻目が進水式を済ませてシャピに向かって就航中だ。
そんなシャピのセイラカフェでオーブラック商会やアヴァロン商事、そしてライトスミス商会の幹部と鹿革の取引でシャピに居座っているエマ姉を交えて打ち合わせの真っ最中だ。
「これは一つ間違えば市場が大混乱致しそうですね。最高級のリネンでもこの薄さや肌触り、そしてこの光沢は到底真似できませんわね」
グリンダが絹地のハンカチを頬にあてて感触を確かめながら言った。
サンプルとして各所に配る為、絹織物の端を数枚のハンカチにしてカフェに持ち込んだのだ。
「この生地と織り方の違う何反かの織物、更紗らしき染物が何反か。後は大量の生糸ですね」
「ハンカチは王立学校で販促用の撒き餌として使う事にするわ。この際もう少し数を増やして上級貴族寮にばら撒けば教導派の大物がかかりそうだわ」
私はハンカチを見せびらかしながら高笑いするメアリー・エポワスの顔がちらついて仕方ない。
「それと爆弾がここにも有るのよ。小さいけれど段通が有るの。オークションに上げれば千は越えるでしょうね。これも多分皇帝への献上品よ。バルバロス船長が火魔法を応用した新型大砲二門と引き換えで手に入れたそうよ」
「セイラ様、それは頃合いを見て更紗の染物と併せて考えましょう。今はエマの王立学校計画を先行させて、噂を広げましょう。ヨアンナ様に使って頂き南部の国境貿易で手に入れたと吹聴して貰います。セイラ様はその経緯をでっち上げて置いてください」
でっち上げるって、グリンダ言い方ってものが有るでしょうに。
私としてはボラの様に直ぐに食いつくメアリー・エポワスより、アントワネット・シェブリ伯爵令嬢を一本釣りしたい。
ヨアンナだけで上手く食いつくだろうか。
「それには表向きにシュナイダー商店の名前を使うのは悪手では無いでしょうか。こう言っては悪いけれどシュナイダー商店は庶民の店という印象が有りますわ」
グリンダがエマ姉に釘をさす。
「それはそうですね。シュナイダー商店もですけれど、私どもオーブラック商会の名前は更に庶民的で無理ですね。ここはやはりヨアンナ様に表に出て貰ってアヴァロン商事を通して動く方が…。やはりヨアンナ様の名前は大きいと思うのですが」
「それは難しいわね。ヨアンナ様が商人の真似事は絶対にしないわ。広告塔には成っても販売員には成らないわ。あの人が誰かに買って下さいと頼むような事が有ると思える? それに私が動けば教導派の反発が大きいし」
「それは大丈夫よ。シュナイダー商店の代わりにポートノイ服飾商会のミハエル・ポートノイさんに依頼するわ。あそこの名前を借りて代理店として動く事にするのよ。上級貴族寮には直接ミハエルさんに行って貰いましょう」
「エマ姉、そんな王都の一流服飾店の代表を顎で使って良いの?」
「何を言っているのジャンヌちゃんのお陰で凄く儲かっているんだもの。それ位動いて当然よ」
それはジャンヌの手柄であって、エマ姉の功績では無いだろう。
「エマ姉、ちゃんとジャンヌさんにはお礼をしてるんだろうね」
「大丈夫よ。ジャンヌちゃんにはカキフライを食べさせているから。あの子はそれで大満足なんだから」
エマ姉、そのうち罰が当たっても私は助けないからな。
【2】
シャピの倉庫に片付けられていた絹は全て馬車に移されてカロライナに移動させ始めている。
目立たぬ様に毎日少しづつ。
そして私自身はそのカロライナの街あった。
「で、こいつを全部内陸に移すっていうのかい」
「ええ、それで無くともシャピの旧勢力の有象無象がノース連合王国の航路に群がっているのに、この上西部航路にまで群がって来ては収拾がつかないわ。どうせハスラーの商船団も乗り込んでくるだろうしね」
「ああ、ハスラー聖公国が一番に乗り込んできそうな気がするが、そっちもかく乱できるのかい?」
「しばらくはハスラー聖公国は大きくは動かないでしょうね。当面王妃殿下とダンベール・オーヴェルニュ商会が動いて下さるようだから」
「ああポワトー
「ええ、白磁の市場を握られてしまったわ。まあ損には成らないし、そもそも高位貴族相手の商売は私は苦手だから別に良いんだけれど」
まあエマ姉は地団駄を踏んで悔しがってたけれども。
「白磁のオークションを全て王妃殿下とハウザー聖公国の商会が握っているから、敢えてハスラー聖公国の商船団が危険を押して冒険する必要も無いのよ。怪我の功名だけれど西部航路への参入にはブレーキはかかりそうね」
当面は白磁の利益はオークションハウスでの売買に集約される。要はゴッダードの綿花取引と同じくハスラー商人が王族、今回は王妃殿下と結託して押さえたと言う事だ。
ハスラー聖公国内やハッスル神聖国への転売の市場はこのままダンベール・オーヴェルニュ商会が握る事になるのだろう。
それでもオークションの参加資格に制限が無い事はゴッダードの綿花市場と大きく違う。
力を付けて来ている南部や北西部の貴族や商会を侮っているのだろう。
その内にバルバロス船長の北部商船が莫大な利益を上げている事に気付くはずだ。
「私としては内陸通商や沿岸商船も大型船暖を新設して鑑札を取って西部航路に出て欲しいんだけれども。ねえバルバロス船長、北部商船も船も新造して船団を増やすように考えて貰えないかしら」
「新造船か…。そういやあ内陸通商のノース連合王国行きの船は船足が早かったなあ。あれと同じ物って訳か」
「ライトスミス製作所の新鋭艦だよ。その気が有るなら投資してもいい。これからは西部航路だよ。サンダーランドに拠点を置いて、その海の向こうの西国迄通商路を拓ければ世界はもっと広がる」
「おいおい、そそる事を言ってくれっるじゃねえか。西の海の向こうに確実に国が有る。同じ船乗りが海を渡ってそいつらがこちらに来ているんだ。負けられねえ。船乗りの血が滾るってもんだぜ」
「その船乗りたちを纏められないかしら。船は作れても経験の有る船乗りは限られてる。内陸通商や沿岸商船以外にもやる気のある船乗りを集めて西部航路に乗り出す商船組合を立ち上げようよ。融資はするし、保険も有る。火事の有ったドックはアヴァロン商事が買い取って、焼けた船の賠償金でもう一つドックを購入したから、新造船の技術も有るから足の速い船が作れるよ。シャピの外洋商船組合や帆船協会や商船連合にも賛同して貰える船主は居ないの?」
「あの船主たちは無理だぜ。あいつらはもう船乗りじゃねえ、ただの商会主だ。人の儲けを掠め取る事には長けていても、損を出しても何かに挑戦しようなんて気概はねえ」
「言い切ったねえ。でも船員や船長たちはどうなんだい? バルバロス船長が信用のおける人ならスカウトしなよ。どうせ鑑札が取れなければ西部航路には乗り出せないんだ。あの船主たちは今のままならジリ貧だよ」
「新造船が有るなら鞍替えしたい船長は沢山いるだろうぜ。若いやる気のある船長や航海士は居るし有望な水夫連中だって心当たりはある。その話乗ったぜ」
月明けにはシャピ中の商船団をまとめ上げて新組合を立ち上げ貰おう。
それまでに別の船団でサンダーランド帝国に船出して実績を重ねて貰うのだ。
そして春までには王妃殿下より特使をお願いして、商船団の組合や商会の事務所の設置許可を取って貰いたい。
サンダーランド帝国の複数の港に補給基地となる事務所を設置してそこを拠点に夏になる前に更に西部の航路開拓に入るのだ。
秋には大陸の西端から西の海の向こうの国に旅発つ用意を準備を始めたい。
頼んだよ、バルバロス船長。
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