第127話 アジアーゴ大聖堂の狂犬(4)
「さっさと黙らせんか! そのメイドを殺せば少しは思い知るだろう!」
壇上の礼装の中年男が怒鳴る。
急に後ろで金属のぶつかる音が響いた。騎士の一人がショートソードでルイーズに切り付けてそれを彼女が二本のダガーで受けているのだ。
そこに両脇から更に騎士が掴みかかりルイーズを抱え上げると首元にショートソードを突きつけた。
「動くな。大人しく拘束されろ。さもなくばこのメイドの…」
その言葉より早く私は演壇に迫り教皇の脇でルイーズを殺せと命令を出した男を体落としで床に転がすと、襟首を締め上げた。
「止めろ! 殺すぞ」
「黙れ! そんなこけおどしでどうにかなると思ったか!」
私は送り襟締めで押さえている左手の指先に魔力を集中させると肋骨の間、心臓を狙って高温の火魔法を指先から放った。
そこから数メートル前に向かって一本の血の線が噴出して行く。
「「「「ふっ、副団長!」」」」
そのまま私は副団長とやらを突き飛ばすと、一気に隣の礼装の老人に迫り襟を掴むと首元に人差指を立てた。
「止めさせなさい。二度は言わないわ。ルイーズに危害が加われば二人目も容赦しないわ」
副団長は断末魔の痙攣を全身に走らせている。
「剣を降ろせ! やめろ…早くやめろー! ワシは死にたくない!」
ズボンを濡らしながら叫ぶ老人の声に、騎士達が一斉に剣を投げ捨てた。
ルイーズが両手にダガーを持ったままこちらに歩いて来ている。
【7】
聖職者たちはこの惨状を目にして顔色を失い硬直していた。
その中で一番初めに我に返ったのは意外にもジョバンニだった。
「やめんか! 神聖なる大聖堂の謁見の間だぞ。それも教皇猊下のご面前でだ! セイラ・カンボゾーラ、この狂犬めが場所をわきまえろ」
「もう一度言うわよ。私は自分の意志でここに来たのよ。だからあなた方に傅くつもりは無いわ。あなた達こそわきまえてちょうだい。私のルイーズに怪我をさせるような奴は躊躇しないわ」
「黙れ、黙れ! ここまで来ておいてそんな無礼が通ると思っておるのか!」
教導騎士団の将官と思しき男が吼える様に叫んだ。
「通すわよ。今でも手をこまねいて何もできないじゃないの。わからないの? これまでの間でも私はいつでも逃げられたのよ。多分今ここからでも逃げようと思えば逃げられると思うけれど」
「バカを申すな! 今まで…今まで」
「今までつまらない嫌がらせで返り討ちに合った上何人も騎士を失って、あっさり石牢を脱走されて、それから?」
「侮るな。ここには二百人近い騎士が居るのだぞ」
そう言って凄む将官の言葉にはどこか力が無い。
「その内の刺客に送った精鋭の十人は死んだも同然でしょう。生き残りの十人はどうしたのかしら? それに石牢を出るまでに五人、ここで三人。一割近く騎士が減っているじゃない。私とルイーズを殺すまでに何人残っているかしら」
「わし等はそんなこけおどしの火魔法など屁とも思わんかったわ!」
そう言いながら先程火魔法を食らった二人が水魔法を頭から浴びながら吠えた。
「明日の朝までその空威張りが続けられれば褒めてあげるわ」
すぐに治療も受けずやせ我慢を問うしている状態ではあの指揮官の二の舞になるのは免れないだろう。
「本当に良い加減にしろ! 騎士団長、いや貴様ら教導騎士団の将官ども。そもそもは貴様らの失態だろうが。ポワトー枢機卿がどうなったのか報告を受けておらぬが、こいつがここに居るという事は枢機卿の命と交換条件で付いて来たのだろう。帰ってこなかった三人の騎士はどうなった?」
「ナデテに三階から突き落とされたわ。生きているか死んでいるかは知らない」
ジョバンニの質問に私は肩をすくめて言った。
「フン、ふざけおって。フルアーマーで三階から落ちて無事なはずが無かろう。将官ども、紋章付きの鎧を着る栄誉に拘ったのは其の方らだなあ。…貴様らのせいでアジアーゴの関与が気付かれてしまったわ! 愚か者が!」
ブチ切れ男の本領が発揮された。
これには教導騎士達も返す言葉はない。
「副団長はどうなっている?」
将官の一人が慌てて駆けより血の海の中に転がる副団長を起こすと首を横に振る。
「ほぼ即死か。セイラ・カンボゾーラ、一体何をした?」
「幸せに地獄に行けるように祈っただけよ」
「この不信心者が。副団長は子爵だぞ」
「だから苦しまずに送ってあげたのよ。アルハズ州の農民から比べればはるかに幸せな死にざまよね」
「他州の事など我らは関与しておらん」
「本当かしら? 噂ではアジアーゴから百人隊が送られたと聞いてるわよ。そもそもアジアーゴの教導騎士団って五百いるって聞いたけれど、ここには二百しかいないのでしょ? 後の三百人はどこにいるのかしら」
「知らんな。俺は教導騎士団の管理者じゃない。一介の聖職者だ。それよりその死骸をさっさと片付けろ。目障りの上に血のにおいで臭くてたまらん」
目の前で部下が死んでいるというのに何の感慨も持たないのはペスカトーレ侯爵家の血なのだろうか。
「セイラ・カンボゾーラ。どうせ何か交渉事が有るから来たのだろうが、明日にしてくれ。お爺様が…教皇猊下が限界のようだ」
さすがに腹の座った…血も涙もない教皇だけの事は有る。猊座の上で居眠っていやがる。
「良いけれど、もう少しましな夕食と朝食、それから熟睡できるベッドが欲しいわね」
「それも分かっている。聖堂内のましな部屋を用意している。部屋に厨房も有るから食材を確認して自分らで作っても良いぞ。まあ、毒殺など企まんが信用できぬだろうからな」
私を殺せば何も得る物は無い筈だからそんな馬鹿な事はしないだろうが、ルイーズに料理して貰えれば少しはマシなご飯が食べられる。
「それじゃあ私も引き揚げさせて貰うわ。聖職者の方にお願いしたいのだけれど、誰か部屋に連れて行ってちょうだい」
「メッツァーノ司祭、案内と食材の手配を頼む。教導騎士団! 貴様らは一切手を出すな! この階に上がるのもならん。これで良いのだろう」
「ええ、ありがとう。それでは明日の朝、階段の時間を教えてちょうだい」
そう言って私たちは案内された部屋に入った。
【8】
ダブルどころでは無い、ラブホのベッドの二倍はありそうなデカいベッドの有る部屋に通された。
厨房もメイド用の別室も有るが、ルイーズとは安全のため一緒に寝る事にした。
部屋に入ると直ぐにメイドが着替えの夜着と、明日に着る新しい服を二人分持って来た。
そして沐浴用に盥の水とタオルも用意されていた。
風呂の有り難さを知っているこの身にとって沐浴でもできればとても嬉しい。
パイル生地が普及していない北部ではゴワゴワの木綿の布タオルであるが、二人で交替で体を洗った。
アジや玉ねぎやニンジンなどの安い下魚や土になる下等な根菜を求める私たちを、バカにしたような顔をしてメイドが食材を置いて行った。
お陰でアジフライも新作の小エビと玉ねぎのかき揚げも堪能できて満足だ。
「セイラ様、かき揚げは乾燥エビや川エビでも行けるんじゃないですか? これなら王都やフィリポでも出せますよ。玉ねぎだけでも絶対美味しいですよ」
その夜は交替で眠ろうというルイーズの説得して二人で寝た。
ジョバンニにとっても教皇にとっても私達を殺したり危害を加える事に何一つメリットは無いのだから。
教導騎士団も恨みが有るかも知れないが、これ以上私たちに手を出して醜態を曝したくない事の方が大きいだろう。
疲れていたのだろう、夕刻から少々体調に不安な事は有ったが概ね良好だ。
夜中に何度か目を覚ましてしまったが、熟睡は出来たと思う。
朝にはアジフライサンドで朝食をとっている頃に午前の五の鐘で教皇の応接室から迎えが来ると伝言が入った。
ルイーズが私に対してひどく気を使っている様だが私は全然大丈夫だ。
少なくともこれで暫くは落ち着いて過ごせているのだから。
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