第126話 アジアーゴ大聖堂の狂犬(3)
【5】
しばらくすると慌てたジョバンニ・ペスカトーレ大司祭が教導騎士や多くの聖職者を引き連れてやって来た。
身構える教導騎士たちを前に両手を腰に当てて睥睨している私とその前でダガーを弄んでいるルイーズを見て困惑の表情を浮かべたジョバンニが私を見ている。
「おい、きさま、セイラ・カンボゾーラ。いったい何をやったのだ?」
「聞き方が無礼よね。やったのはそっちでしょう。今朝から石牢に放り込んでおいて、その上この時間まで食事すら出さないなんてせっかく来てやった客人に無礼すぎるから帰るところよ」
「おい、騎士長! あ奴の言っている事は事実なのか? いったい何をやっておった?」
「あっ、いえ、何も命じては…」
「何も命じてはいないでしょうね。石牢に放り込んで食事も水も与える指示さえ出さなかったのでしょう」
「違う! 昼には食事を…」
「腐肉と濁った水を出せと? 夕刻には天窓から汚物を流せと?」
「違う。それは…」
「ならば、今から石牢を見に行けばいいじゃないの」
「そうかなのか? 騎士長」
「こ奴らは我ら精鋭の襲撃部隊を指揮官も含めて十人も手にかけたのですぞ! その上ここに来てからも二人に大けがを負わせているのですぞ!」
「あら? おかしいわね。数が合わないわ。さっきの三人は大丈夫なの? 放っておくと死んでしまうわよ」
騎士長と呼ばれた男が顔色を変えて石牢に向かって走って行った。それに続いて騎士も走って行く。
その後をジョバンニが聖職者を引き連れてついて行った。
仕方が無いので私とルイーズもその後をついて行く。愚かしい事だ。捕虜の私たちを放って全員が行くようなの状況か?
やはり教導騎士は危機感が足りていない。
「これはどういうことだ!」
騎士長は鉄格子に縛られて紫色の顔で舌を出している騎士を見て顔色を変えた。
「私は外に出た時に言ったずだけれど。三人とものびているって。教導騎士って薄情なのね」
「それよりもこの臭いはなんだ!」
ジョバンニの怒号が飛ぶ。
「私たちの夕食らしいわね」
「いったいお前たちは何をしているんだ!」
「そんな事よりこの革紐が食い込んでほどけない。ナイフも入らない!」
「いったい何をどうすればこんなことになるのだ!」
革紐は水に濡れて乾くと縮む。乾く速度が早ければ早いほど縮む。
夏のこの時期なら乾燥するのが早いので喉に食い込んでしまっているのだ。
騎士の一人がナイフを突き立てて首の皮ごと切り裂くが、もう縛られた騎士は声を立てる事すらしなかった。
もう完全にチアノーゼを起こしているのだろう。そのまま床に崩れ落ちてしまった。
「ねえ、あなたたちは私をどうしたいの? これ以上何の話も無く面倒ごとが起きるのなら本当に帰るわよ。今でも厩舎の前に私たち二人を残してみんなでここにやってきて。私たちがあのまま馬に乗って出て行けばどうなっていたのかしら」
「ぐう、騎士長! この失態はどうするつもりだ! 俺はすぐに教皇猊下に面会の段取りをつけてくる! 貴様はこの醜態を何とかすることを考えておけ」
「なら私たちも同行させて頂きたいわ。せめてソファーでお茶くらい出していただけても良いでは無くて?」
「おい! 誰でも良い。この二人を貴賓室に通して夕食を出しておけ。俺は教皇猊下のところに行ってくる」
そう言うとジョバンニは私たちをオロオロする司祭連中に押し付けてさっさと大聖堂の中に入って行った。
【6】
本当に貴賓室と思しき豪華な調度品に飾られた部屋に通された。
「あら、あの白磁の絵付け皿は半年前に北部商船のバルバロス船長から買い付けたやつよ。へーアジアーゴ大聖堂が落札してたんだ」
「あなた! 何ですかそのお茶の入れ方は! 基本が成っていませんよ。貸しなさい私がセイラ様のお給仕を致します」
「あっあの、わたしは大司祭様から命じられて」
「ああ、そういうのは良いから。ルイーズお茶が入れば一緒にいただきましょう」
「それにしても港町というのにロクな魚料理が無いですよ。何ですこのスープ? ブイヤベース? ウロコぐらいとりなさいよ! まったく同じメイドとして恥ずかしいですわ」
愚痴るルイーズと一緒に食事をとっていると急にドアが開いて声がした。
「セイラ・ライトスミス! えらく好き勝手やっているな。まあ驚きはせんが、教皇猊下の準備が出来た。お爺様はもう年だ。これ以上は負担をかけられないからな」
ほう、サイコパス野郎にしては人の心が有るような事を言ってやがる。
「おい、今何か失礼な事を考えていなかったか? まあ良い。さっさと用意してついて来い」
「何をセイラ様に対して偉そうに」
憤るルイーズを手で制して私は立ち上がるとジョバンニの後に続いた。
石牢への廊下とはまるで違う豪華な絨毯が敷き詰められた廊下を進んで行くと扉の開いた謁見の間が見える。
ジョバンニに続いて中に入ると正面の演壇の奥に立派な椅子に座った老人が座っている。
にこやかな笑顔を顔に張り付けて鋭い目つきでこちらを見ている男は教皇なのだろう。
ジョバンニはそのまま演壇の前まで進むと一礼して教皇の右横の一段低い位置にある椅子に腰を掛ける。
それに続いて謁見室に入った私たちに対する教導騎士達の憎悪がこもった視線が突き刺さるように感じられる。
反対に並んでいる司祭達聖職者の反応は興味半分あざけり半分といったところだろうか、珍しいものでも見る様な視線である。
ジョバンニが一礼した場所まで行こうと歩を進めると、教導騎士の持ったハルバートに目の前を塞がれた。
「お前はここ迄だ!」
「セイラ様」
「メイド風情が何を入ろうとしている!」
「ルイーズは私の部下よ。教導騎士風情に指図される謂れは無いわ。こっちにいらっしゃい」
「黙れ! ここをどこだと心得ている」
「何処であろうと関係ない。ルイーズこちらにいらっしゃい」
「はいセイラ様」
そう言うとルイーズが制止しようとする教導騎士の手を掻い潜って私の後ろに立った。
「えーい、鬱陶しい。サッサと排除せんか」
上座で教皇の前に立つ礼装の騎士がそう言った。
ルイーズは取り押さえようと両手を広げ覆いかぶさってくる騎士を巴投げの要領で勢いよくまた顔面から落とした。
毛足の良い絨毯のお陰で首の骨折は免れたものの、鼻は潰れ歯は折れて顔面を血間みおれにして昏倒してしまった。
色めき立った教導騎士達が一斉に武器を構えた。
「ルイーズ! 教皇の御前でしょう。場所をわきまえてこれ以上の流血沙汰は慎みましょう!」
その声に教導騎士達の顔が怒りと屈辱に歪む。
教皇の目の前でこれ以上の醜態は晒せないのは私たちでは無く奴らの方だからだ。
私は教皇に会釈して軽く頭を下げる。
「初めまして教皇様。セイラ・カンボゾーラと申します」
「貴様! 教皇猊下の前であるぞ。跪かんか!」
「猊下とお呼びしろ。様とは何だ!」
「さっきから申し上げている通り教導騎士ごときに指図される謂れはなのよ」
「えーい、埒が明かん。そいつを跪かせろ!」
壇上の礼装の騎士が吠える。
かなり上級の騎士であろう中年のガタイのデカい騎士が二人私の方を押さえて力を賭けようとする。
私はその二人のチェインメイルに覆われた腕を掴んで火魔法を流した。
「あつつつつ! くそうこの小娘が」
そう言うと二人は頭に被っていたチェインメイルを引き剥がし床に叩き付けた。
二人の頭や顔に鎖の形の水膨れが走っている。
「この様なこけおどしを! 大人しくいう事を聞かんか!」
こいつら熱傷の恐ろしさを理解していないようだな。そう言えばあの刺客であった騎士たちの姿も見えない。
もしかして口封じに何かされたのかもしれないな。一人でもいればこの二人に警告が出来たものを。
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