第32話 分水嶺の山(2)
【3】
ルーク・カマンベールたち六人が山頂について目にしたものは酷い有様の採掘現場だった。
夕焼けの太陽に照らされて赤く染まる雪が更に凄惨さを増している。
山の岩盤に大人が屈んで通れるくらいの穴が幾つか穿たれている。その穴から背中に荒縄で編んだ網の様な袋に大量の土砂や岩を入れて子供たちが這い出てくる。
その運ばれた岩を二人の作業員がハンマーで叩き潰している。その横では二人の調査員の山師と思しき男が潰れた岩盤のチェックをしている。
そして少し離れた坑道の入り口付近で三人の管理官と思しき男が焚火の周りに座り、鍋をかけながら燻製肉を炙って齧り談笑していた。
作業員も子供も痩せて目も虚ろだ。
暖を取るためだろう何枚も重ね着している服やズボンも擦り切れてボロボロで両手には手袋代わりにボロ布を巻いているがどれもみな乾いた血の跡が見て取れる。
血色の良いのは管理官の三人だけだ。
ルーカスから色々と聞かされていたが想像以上に酷い惨状にルークは思わず怒鳴り声をあげた。
「貴様ら! これはどういう事だ! 食料も薪もお前らが独占する為に我が領が渡したものでは無いぞ!」
その声に驚いて全員の動きが止まりこちらを振り返った。
「何者だお前らは? カマンベール男爵家の者か? ここはシェブリ伯爵家の管理の下で運営している鉱脈だ。お前らにとやかく言われる筋合いはないぞ」
管理官の一人がこちらに向かってあてつけがましく言い放った。
カマンベール子爵家の護衛官がいきり立って一歩前に出ようとするのをルークが押し留めて進み出た。
名乗りを上げようとする前にシェブリ伯爵家の武官が先に口を開いた。
「貴様ら、口が過ぎるぞ! その言動がシェブリ伯爵家の名を穢す事になるのだから心得て口を開け!」
「何だと! 成り上がりの男爵家の武官ごときに…」
炙り肉を齧っていた一人が声を荒げて立ち上がりかけたが、隣に座る男がその裾を引っ張って襲留める。
「マイルズ次席武官殿、いったいなぜこんな所に?」
「マイルズ? 次席武官? こっこれは失礼いたしました。てっきり俺は男爵家の…」
立ち上がり掛けた男も慌てて弁明を始めた。
「貴様、いい加減にしろ! こちらは次期カマンベール子爵様だ。さっきも申しただろう、口を慎めと」
威圧的だった男は顔色を青くしてしどろもどろで弁明を続ける。
「いえ…それは失礼を致しました。自分はそ言うつもりでは…。いえ、その本当に失礼いたしました!」
ルークは鷹揚に手を振るとこれ以上この管理官たちに係わる事をやめて、とっとと目的を終わらせることにした。
作業員と子供達を下山させてしまえば後はこいつらが何をしようと知った事ではない。
顎をしゃくってシェブリ伯爵家の文官に指示を促した。
昨日打ち合わせの席で不用意な発言をして墓穴を掘ったあの文官である。ここに遣られたのもそのペナルティーなにだろう。
「ルーク様…。この通達は必要なのでしょうか。金でかたが着くならお払いする算段も…」
「くどい! 貴君は家宰殿から命じられた事を粛々と行えばよいのだ。それ以外の事を我々も貴君の上司も望んではおるまい」
文官は口惜しそうに唇を噛むと懐から取り出した命令書の封蝋の印璽を管理官の三人に示して封蝋を割った。
「シェブリ伯爵家採掘調査団管理官に告げる。シェブリ伯爵家とカマンベール子爵家の取り決めに従い以下の事項を通達する。……………。以上、シェブリ伯爵家代理 家宰ダン・ジョーンズ印す」
文官は昨日のダン・ジョーンズとの合意内容を記した通達書を忌々しげに読み上げる。
「文官殿それはどういう事だ?」
「誠なのか? ここで下山しては作業が滞ってしまうぞ」
「もお少しすれば何か出るかも知れん。このままで下山すれば我々の失敗として伯爵家より罰を被る」
「諦めろ。ジョーンズ家宰とカマンベール子爵家での合意された事だ。覆る事は無い。契約を守らねば我々が罰せられる」
「しかし何かやりようは無いのか!」
「貴君らがこれから何をしようが与り知らんが、作業員と子供は下山して貰う。直ぐに是認を収集させろ! 十分な食事をとらせて今夜休息させた明日には下山させる」
ルークはそう言って鍋の中を覗き込んだ。
麦粥だ。具も何もないただの麦粥である。
この三人は自分たちは燻製肉を食いつつ作業員には麦粥だけを食わせている様だ。
「おい、数日前に差し入れた食料はどこにやった?」
三人の管理官は露骨に目を逸らす。
ルークは自分の護衛官に目で三人のいる坑道の奥を示しながら「さがせ」と一言告げた。
二人の護衛官は坑道の奥(と言っても大した深さは無い)に入り肉やチーズなどを持って出て来た。
そしてルークの指示を待たず自身のナイフで削りながら鍋に次々と抛りこんで行く。
「おーい! 作業をやめてこちらに出てこーい」
「食事をとれ! 作業は中断だ」
シェブリ伯爵家の武官も作業中の行動に向かい大声で告げる。
「おい! あんた達はシェブリ伯爵家の武官だろう。どっちの味方だ」
管理官たちが異議を唱える。
「そうだ。何も我々が手伝う事では無いでしょう」
文官も同じように賛同して同調する。
「シェブリ伯爵家やカマンベール子爵家とは関係なく人として如何にべきか考えれば自ずと答えはでる」
武官二人はそう言いながら這い出してきた子供達を抱きかかえ火の傍に連れて行く。
「臭うのでその様な下民をこちらに近付けないで頂きたいものですなあ次席殿」
「気に入らぬなら貴様らがそこを移れ! 新しく焚火を焚いて他所で火に当たれ」
武官はそう言いながら次々に焚火に薪をくべて火を大きくしてゆく。
その様子を見ながらルークは作業中の坑道に入り中を覗き込んだ。坑道の中も異臭が立ち込めて岩を砕く音が響いてくる。
「おーい。お前たちも飯だぞ出てこーい」
何本か穿たれた坑道の奥には作業員たちが僅かな薪の明かりを頼りに座って岩盤を砕いていた。
狭い坑道では立つ事はおろか方向転換もままならない。一旦寝転がり這いずる様に作業員が出て来た。
子供たちの座る火の隣に外で作業していた者たちが新しく火を焚き始めた。
護衛官が木皿に麦粥をタップリ盛って次々に皆に回して行く。
「肉が入っているぞ!」
「それもこんなに沢山!」
「チーズもたくさん入ってる!」
作業員や子供達から喜びの歓声が上がる。
「さあ、飯を食ったら昼まで焚火の側で休憩してそれから山を下りるぞ」
ルークの言葉に作業員たちの顔が輝いた。
「ちょっと待ってください。先程の指示書には明日日没までに麓の村に降りる事となっておりましたな」
文官が口を挟み待ったをかける。
ルークはこの浅はかな文官が言うであろう次の言葉に見当がついて露骨に顔を顰めた。
「なら明日の昼過ぎまで作業を続けさせても問題は無いじゃないですか」
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