第31話 分水嶺の山(1)

【1】

 今私は雪山の間道を登っている。

 もちろんカマンベール子爵領の分水嶺の山上に至る雪道をだ。

 一緒に上っているのはシェブリ伯爵家の護衛武官とカンボゾーラ子爵家の武官の二人と道案内の村人だ。


 何故こんな事になっているのか。経緯は複雑だ。

 話し合いの後、カマンベール子爵家とシェブリ伯爵家の合意の元作業員と子供達を解放するための命令書をジョーンズが作成した。

 命令書は随員であった文官一人が護衛武官と共に採掘調査団に届ける為ルークと共に会談の直後にカマンベール子爵領に向かって出発した。


 カマンベール子爵も翌日の早朝にはクロエとメリルを伴って帰ると言う。

 その夜の夕食でフィリップは事の成り行きが気になるようで一緒にカマンベール子爵領に向かうと言い出した。

 カンボゾーラ子爵領もゴタゴタして大変な時期に領主不在など以ての外だと私が反対するとルーシーが名代で自分がゆくと言い出した。

 ルーシーはこのところ過労なのか調子がすぐれず熱っぽかったり吐き気がしたりしているから駄目だとフィリップが止めた。


「でも食欲はあるんですよ。だから大丈夫ですわ」

「ダメだ、ダメだ。夜寝付かれずに昼間うたた寝をしている事も有るし、そんな状態で馬車での移動などさらに体調を崩してしまう」

 どうもフィリップはルーシーに対して過保護気味だと思いつつ私が口を挟む。

「父上、母上。カマンベール子爵家の皆様にもご挨拶の必要が御座いますし私が参ります。わざわざクロエお従姉ねえ様が我が家にご挨拶に来ていただいたのですから私も不義理は出来ませんし」

 もちろん事の成り行きを見届ける事が目的で挨拶は只の口実だ。そこのところはフィリップも了解済みだろう。


「分かった。それならばキャサリンとカタリナを連れて行け。それから護衛騎士も二人つける。下山してくる子供たちがどんな状態化は想像できるからな。救助の人でも必要だろう」

「ご領主様。俺も連れて行って…」

「却下だ。ミゲルもパウロもこちらでの仕事が残っている。それにお前らが行くとセイラの片棒を担いで碌な事にならないのが眼に見えているからな、アドルフィーネもだぞ! お付きはウルヴァ一人で十分だ」


「かたじけない、フィリップ殿。セイラ殿と治癒士の修道女迄派遣して頂いて心強いことこの上ない」

「頭を上げてくれ義父上ちちうえ。こんな事で死者を出しては寝覚めが悪い。それに子供を見捨てる様な事にでもなればセイラやこいつの手下に何を言われるか…」


「セイラ様、僕も付いて行きます。カマンベール子爵領のライトスミス商会の様子も見なければいけません。年明けに向けての商品の手配も有りますし…」

「マイケル! ずるいぞ」

「僕はライトスミス商会の職員でカンボゾーラ子爵家の使用人ではありませんから」

「仕方ねえな。セイラの影響だろうがそう言う抜け道には目ざとく食いつきやがるな。その代わり無茶は

 おい! そこは”するな”だろうが! させるなってなんだ。


 出来るなら子供たちをカンボゾーラ子爵領で保護してやりたい。作業員の移民も受け入れたい。

 こうして翌朝カンボゾーラ子爵領城を発った私は山麓の村で下山者の治癒と看護に当たる予定であった。


【2】

 フィリップは私の護衛にはクオーネ大聖堂からカンボゾーラ子爵家に移って来てくれたヴァランセ聖堂騎士団長が付いてくれている。今はカンボゾーラ子爵家騎士団長だ。

 そしてもう一人フィリップの子飼いで元ゴルゴンゾーラ公爵家騎士団の第一中隊長も副団長として同行してくれている。


 早朝に出発し昼前にカマンベール子爵領の領館に到着すると、ルークたちは朝一番で出発した後であった。

 マイケルは一旦ライトスミス商会の支店によって救援物資を調達すべく昼食も取らずに飛び出していった。

 私はカマンベール子爵家の皆…と言っても次男のルシオ夫妻と子供たちに挨拶をすまし昼食後直ぐにまとわりつく子供たちを宥めて修道女たちと山の麓の村に向かった。


 領地は雪に覆われて馬車道のみ除雪されているが轍の形に路面が凍っている。

 途中で運河工事の現場も通過したが見たところ八割近く掘り進められているように思う。

 一緒に随伴しているカマンベール領の文官の説明では関や護岸の工事もあるので七割も進んでいないと言うが、この進捗を見る限り計画よりは大幅に進んでいるのが解る。

 計画では今年中に五割の進捗が目標なので上出来だ。


 私は良い気分で夕刻に山麓の村に到着すると村の集会所に下山してくる子供と作業員の治療センターの設置を進める。

 騎士団長は村人の中から冬山に慣れた屈強な若者を募って救助隊の編成を始めている。最終的に六人を選別し明日の早朝には山に向かう予定だ。

 副団長も同行を求めたが私たちの護衛が必要と言われて諦めたようだ。

 別に護衛など必要も無いと思うのだけれど…。


 村長の家に宿泊をと請われたがあまり大きくない平屋の村長宅に五人も厄介になるのは気が引ける為聖教会に宿泊した。

 それでも食事は村人たちが羊肉を持って来てくれたので救助隊の若者たちも交えてご馳走になる事にした。

 聖教会の礼拝室を借りて村長や救助隊の若者、そしてこの村の聖導師と一緒にちょっとした壮行会のような催しになってしまったが酒だけはひかえて貰った。


 よく朝日が昇る前に救助隊は副団長をを残して村を発ち山に向かった。

 薪やチーズやライ麦を背負子に背負いカマンベール子爵領自慢の蒸留酒もいくらか抱えて山に向かって出発した。

 予定では子供が四人作業員が八人。彼らはかなり衰弱しているはずだ子供たち四人は優先して下山させるがその折には荷物を捨てて子供を背負って降りる為厚手のウールの防寒布も持参している。


 私たちも朝から下山者の受け入れ準備を始めている。

 今日からは暫くは聖教会工房の作業は中断して貰い避難民へのフォローの手伝いに当たって貰う事にした。

 もちろん給料はアヴァロン商事が肩代わりして支払う事にした。

 村人たちも協力的で保存している余剰の食料の提供も申し出てくれた。

 こちらもアヴァロン商事で買取らせて貰う。

 下山してくる子供達や作業員は十中八九衰弱して危険な状態にあると思われる。栄養補給と静養が必要だろう。


 部屋は暖かくして寝床を十二人分準備させている。

 この国は北方でもあり石窯や暖炉が主流で竈は普及していない。

 集会所の中に煙突付きの簡易竈を作って暖房を兼ねて煮炊きをさせる事にした。

 後は栄養補給だが疲弊した体に負担のならない様に大鍋に根菜類を大量に準備させて羊肉と共に部屋の中に設えた竈でゆっくりと煮込ませている。


 早ければ第一陣が午後には下山してくるだろう。

 そう思い準備を進めていると救助隊の若者が四人下山してきた。その四人は子供を背負っている。

 続いて作業員が四人徒歩で、更に救助隊の若者一人に肩を借りながら一人、カマンベール子爵家の護衛官に肩を抱えられたものが一人、シェブリ伯爵家の武官一人に背負われて一人。

 最後に調査員らしき二人に簡易担架で担がれながら一人が下山してきた。


 作業員と子供たちは全員下山してきた。村の女性たちが子供達を受け取り抱きかかえて集会所に連れて行く。

 作業員たちも村人の先導で集会所に運ばれて行った。


「これで全員なのですか? ルーク様は? 騎士団長は? いったいどうしたのです。何故下りてこないのです」

 私の問いかけにカマンベール子爵領の護衛官が苦々しそうに話し始めた。

「ルーク様は残られて救助活動の指揮を執っていらっしゃる」

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