第30話 雇用主の責任

【1】

 シェブリ伯爵家の家令が到着した。

 二台の馬車に文官と思しき随員が五人、護衛の武官が二人合計八人のメンバーだ。

 家令一人の派遣の為に大層な人員構成だ。

 全員に軽めの昼食を取らせた後、広間に席を設けて会議を始める事になった。


「カマンベール子爵様、カマンベール子爵家ご一同様わざわざお出向きいただいてありがとう御座います。カンボゾーラ子爵様会談場所のご提供をありがとうございます。わたくしはシェブリ伯爵様の名代で参りましたダン・ジョーンズと申します」

 シェブリ伯爵家の家令ダン・ジョーンズが深々と一礼するとそれに続いて後ろに控えた随員も一礼する。

 そうしてジョーンズが椅子に腰を掛けるとそれに続いて随員も腰を下ろした。


「それでジョーンズ殿、俺には会場提供者としての挨拶だけか?」

「これはカマンベール子爵家とシェブリ伯爵家の会談。カンボゾーラ子爵家は仲立ちで会場を提供いただいたと心得ておるのですが」

 早速にフリップとルーシーにいらぬ口を挟むなとの切り離しにかかって来た。


「待たれよジョーンズ殿。カンボゾーラ子爵はわしの娘婿、ルーシーは血を分けた娘だこの会談には…」

「血縁関係はこの交渉には関係御座いませんぞ。あくまでカマンベール子爵領での採掘調査についての御家とシェブリ伯爵家の交渉で有りますからな」

「しかし運河の工事は三家の共同事業のはずで…」

「今回のお話は採掘調査団についての事で御座いましょう」

「だからその採掘調査団に運河工事の人員が連れて行かれた事に付いてだ。運河工事にもかかわりがある」

「それは認めましょう。それでも事態はカマンベール子爵領内での事。そして作業員も調査団もシェブリ伯爵家の者。カンボゾーラ子爵家には何のかかわりも御座いませんな」


 カマンベール子爵家相手なら御しやすいと踏んでいるだろう徹底してカンボゾーラ子爵家を蚊帳の外に置こうとしている。

「運河建設との関わりがある事ならカンボゾーラ建設は俺の株式組合だ。それなら我家はオブザーバーとして参加させて貰おうか」

「それはちょっと趣旨が…」

 フィリップの提案にジョーンズは苦虫を嚙み潰したような表情で反論しかけた。


「そうだろう。ロワール土木の作業がこれで滞る事が有ればそのしわ寄せはカンボゾーラ建設にかかって来るんだからな」

「未だ起こってもいない事を持ち出されても…」

「だからだろう! 起こってしまってからでは遅いんだよ。早めに手を打つに越した事は無いんだ。だからオブザーバーでカンボゾーラ建設の代表として参加させて貰う」


 フィリップの強引な主張に反論できずジョーンズは顔を顰めて言った。

「あくまでオブザーバーですぞ。決定権はカマンベール子爵家とシェブリ伯爵家ですからな」

「ああ心得てる。決定には口は出さん」

 忌々しげに言うジョーンズにフィリップは皮肉げに笑って答えた。


「それでは交渉を要請したカマンベール子爵家からの要望を説明致す。まず第一義として早期の全員の下山を要求する。何より極寒の山中に居続ける事は安全の保障が出来ん」

「それはいらぬ心配でしょう。すべてわたくし共シェブリ伯爵家の領民。カマンベール子爵家に保証や責任を問うつもりは毛頭ございません」

「そんな事を言っているのでは無い! 我が領内でみすみす死者が発生するような状況を看過するつもりは無い」

「その様な事を申して調査抗を占拠する心算では御座らんか?」

「ふざけた事をその様な心算が有るなら調査団など認めておらんわ! 調査団の安否を気遣って申しておるのだ」

「はて? 一銭の得にも成らぬ他領民の安否にかこつけて何を企んでいる事やら」

 どうも作業員に対する認識が違い過ぎる。ジョーンズたちは農民出の作業員の安否を気にする我々の事を理解できないようだ。


「それで山には今何人が籠っているのですか?」

「調査員が二人と監督官が三人だな」

 私の問いにジョーンズはそう答えた。彼らの頭には作業員は人の数に入っていないのだ。

「それに加えて作業員が八人、調査団が連れてきた子供たちが四人だ」

 ルークが付け加える。

「そんな者の人数迄わたくし共は把握しておりません。必要も感じませんが、いったい何を疑っておられるのでしょう」


「疑っておるのではない。薬も治癒士もおらん山中で病やケガが発生したならば如何にするのだ」

「調査員も監督官もそのような危険な作業は致しません。簡単な病なら対処できる薬も用意しております」

「そうではない! 作業員と特に子供たちの事を申しておる」

「それこそ無用の事。たかだか食い詰めた農民と救貧院の子供ごとき気にする必要も有りますまい」


 パブロが怒りに顔を染めて立ち上がりかけた。冷静なミゲルがその肩を抑えて押し殺した声で話し出す。

「ジョーンズ殿は勘違いなされているようですね。アヴァロン州の州法では雇用主には雇用者への管理責任が有る。もし業務において死者や重傷者が発生した場合はその責任は雇用者と現場の管理責任者が負う事になります。必要な手立てを講じずに事故を看過した場合は殺人罪や傷害罪に問われることを念頭にご回答いただきたいものですね」

「バッ…バカげた事を! なぜわたくし共が農民や貧民の死に対して責任を負わねばならないのです。意味が分からない」


「少なくともカマンベール子爵領では領民の生活と安全を守る事で税を貰い領地を運営しておる。その為に州法に則って雇用主の管理責任も明確に定めておるのだ。運河工事の契約書にも大きく明記してあったはずだがな」

「だから運河建設作業員たちの宿舎も食事の手配もカマンベール子爵家が責任を持って管理していただろう。それはジョーンズ殿もご存じのはずだ」

 カマンベール子爵とルークの言葉に渋々という雰囲気でジョーンズが頷いた。

 契約の段階で深く考える事も無く良い条件で契約できたとでも思っていたのだろう。


「それとだ、洗礼前の児童については我が領では鐘三つ分六刻以上の労働を禁じている。その内の鐘一つ分二刻の時間は算術と読み書きの学習を義務づけられている」

「それでは実質鐘二つ分しか仕事をさせられないじゃないか」

「洗礼前の幼児の体力などそれが限度だ。当然ではないか」

「ふっ…ふざけないで頂きたい。その様な条件では仕事が滞る」

「そもそも今回は調査作業だけの約束であったな。それ以上は両家の同意が必要と言う事だったと思うので問題なかろう」

「グッ…」


「お爺様。一つ気になった事が有るのですが…」

 クロエがオズオズと口を開いた。

「そもそもその子供たちはどういう名目で連れて来られたのでしょう? 作業員名目では関所は通せませんよね」


 その問いにマイケルが口を挟む。

「カマンベール子爵様。一言申し上げて宜しいでしょうか。提出された調査団の名簿の中に子供たちの雇用の書類が無いのです。関所に問い合わせたところ荷物持ちの臨時雇いで入山迄の期間の仮雇いとなっています」

「そうだ。仮雇いで入山迄だ。我々は雇用主では無い」

 随行の文官がしたり顔で話を続ける。

「雇用主で無いのだから管理義務違反には抵触しないだろう」


 慌てて文官の発現を止めたジョーンズに向かってルークが問いかけた。

「今の発言の内容で相違ないのか、ジョーンズ殿」

 ジョーンズは発言した文官に”愚か者が”っと吐き捨てるように言うと渋い顔で首肯した。

「その通りですよルーク様」

「ならば臨時雇い期間は終了している。早々に子供たちを解放していただかなければな。それに運河の作業員も契約内容とはずれた仕事をさせるのは容認できんし作業員と子供たちの下山の指示をお願い致すとしようか」


 どうにか山中の作業員と子供たちの解放には目途がついた。

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