第109話 国外情勢(2)
【2】
さすがに宰相閣下も夜中を過ぎて二の鐘をきいた頃には床に就くと言って引き揚げて行った。
明日は日の出とともに河船で王都に戻るそうだ。
国務卿と内務卿も直ぐに揃って部屋に引き上げて行ったが、事務官以下の官僚たちは翌朝宰相たちが船の中で読むための報告書の作成を続けている。
カロリーヌもメイド達に連れられて部屋に入った。
私も続いて部屋に戻ろうとするところを国務省の書記官に止められて部屋の隅に引っ張って行かれた。
「セイラ・カンボゾーラ様。宰相様と王妃様からいくつかご指示を貰っております。ここでは人目が御座いますので何卒人目に付かない場所へ」
そう言われてアドルフィーネを伴って私はその国務書記官を私室に招き入れた。
「若いご令嬢にこのような話をと思っておりましたが、どうも宰相閣下の御信任も厚いようですな。昨年の海賊事件の審判の折にもご一緒致しましたが
「いえ、そう言うわけでわ。友人として信頼はして頂いているのでしょうが…」
懐疑的な目を向けながらも国務書記官はそれ以上は聞かなかった。
「まあ良いでしょう。それよりも王妃殿下から申しつけられた事をお話いたしましょう。ハスラー聖公国の聖大公と王妃殿下が考えていらっしゃる今後の対策に貴女も協力して頂きたい」
希望を述べている様だが王妃殿下の命という事ならば命令だという事だ。ただえらく漠然とした言い方だ。
「王妃殿下のご指示ならもちろんお受けいたしますが、いったい何を…」
「あなたの権限で動かせる商船でアジアーゴを封鎖していただきたいのです」
ハー!?
何をいきなり重大な事を簡単に命じる! それも一介の子爵令嬢に。
「それはいきなり突然の事ではないですか」
私の反応などお構いなしに書記官は話を続ける。
「出来れば明日には出航させて一隻も出航させないようにと」
「だから急すぎます! 一体どうしろというのですか」
「方法は問いません。何をするかはお任せ致します」
おい、指示を出しておいて丸投げかーい。
「時間が無いのです。王妃殿下はペスカトーレ侯爵家が軍船を派遣すると踏んでいます。ギリア王国軍の海軍船団にアジアーゴの商船が混じっていると言う事が既成事実となってしまっては宰相殿の声明が空文化してしまうのです」
どう考えてもギリア王国に組する事は国の利益にならない。
まだギリア王国のダプラ襲撃もその敗戦も公になっていない。
もしかするとギリア王国よりも早く敗戦の一報がシャピに届いた可能性もある。
今の状況で私がガレ王国に付くかギリア王国に付くかの選択を強いられているならガレしかない。
ラスカル王国はガレ王国の判断を支持すると日和見的な声明を出したが、今の王宮はハッスル神聖国に追従する国王派とそれに反対する王妃殿下派に分かれて対立しているのだろう。
しかし間違いなく明日には官僚と王妃殿下主導でダプラ王国支持、ギリア王国糾弾の声明が出される。
今回掴んだ事実は数日のうちにダプラ王国から公表され、ガレ王国も同じような声明を出す事になるだろう。
何よりギリア王国は七隻の帆船を失っており、他の漁村も警戒を始める。ドラゴンボートに砲を積んで強襲する駆逐戦が有効な事も実証済みだ。
もうギリア王国単独での勝ち筋は無くなった。
こうなれば国王派も口を噤むしかない。
この状況でアジアーゴがダプラ戦に向けて参戦しているとなると、ラスカル王国はガレ王国支持を訴えながらダプラ王国に騙し討ちをかけている事になる。
宰相閣下と王妃殿下の立場はかなり悪いものになる。
そしてその結果はハスラー聖大公にも降り懸かる事になりかねない。
今現在のハスラー聖公国は不干渉を宣言している。聖大公は国内の聖教会勢力とせめぎ合っているのだろう。
今回のギリア王国の敗戦は反抗勢力の力を削ぐ好機になりうるが、なし崩し的にアジアーゴの船団がギリア王国に混じって参戦してしまうとノース連合王国の内戦を長引かせることになり、聖大公の娘の嫁ぎ先であるラスカル王国の国力は低下する。
その結果聖教会派の聖大公反抗勢力を勢いづかせる事になる。
「多分ご理解していらっしゃると思うのだが、今聖大公は難しい立場に置かれております。そもそも王妃殿下はラスカル王国内での聖公国の影響力を強める事を目的でラスカルに嫁いでこられた。王妃殿下もラスカル王国内で勢力を得て聖大公の力の背景の一つになっております」
聖大公は磁器の流入と絹取引、そして私たちの推し進める西部航路組合による交易路開拓にいたく興味を示していると言う。
「今のところ王妃殿下のラスカル王国での辣腕ぶりは聖公国では評価が高いのです。ここ数年ラスカル王国での販路の減少に悩まされてきて、聖大公の治世に陰りが見えて来たと言うものも多かったそうで、王妃殿下は新しくラスカル王国を通した交易路を開発していると評価されているのです」
まあ当然そうなるわなあ。私がその販路を食い荒らしてきた張本人なのだから。
それがここに来て綿花市場の崩壊である。旧来の既得権を持つハスラー貴族はパニックに陥りかけているのを、聖大公がダンベール・オーヴェルニュ商会のアーチボルトを派遣してどうにか持ちこたえさせている状況なのだ。
聖大公はアーチボルト氏からの情報と絹交易での今後の利益を考えて大きくハウザー王国通商に舵を切るつもりでいるようだ。
それに乗じて旧来の教導派聖教会貴族を潰してその足場を盤石なものにするつもりでいるらしい。
しかしこの夏から秋にかけて更にリネン市場が崩壊し、北方三国とハウザー王国を巻き込んだ繊維革命が発生する。
これはもう規定事実と言っていい。
一気に大量に流れ込む安価で高品質の綿商品は今までの服飾市場を崩壊させる。
ラスカル王国でも西部や東部の貴族はその痛みに耐えて貰わなければいけない。
ハスラー聖公国も多分ハッスル神聖国もその痛みに呑み込まれることになるだろう。業界の再編の間すべての国が荒れる。
官僚や東部貴族がその再編に際しハスラー聖公国の旧来の貴族の様に、ハッスル神聖国に縋る事になりはしないか。
「我ら官僚や東部諸州を聖教会の頸木から解き放って下さったのも王妃殿下です。ゴルゴンゾーラ公爵家との軋轢も間に入って押さえられておる。それに南部や北西部で旧来の秩序を破壊しようしておる商会の連中をも手駒に使おうと致されておるのだ。そのお陰で国庫も潤い国政も円滑に進むようになってきた。喜捨という名目の見返りの一切ない聖教会への財産の吸い上げを押し留めておる事だけでも国に尽くされておる。官僚としてはハッスル聖教会に与するような事はもう二度と御免だ」
そう言うと書記官は私の顔を鋭い瞳で睨みつける。そう、秩序を破壊しようとするその元凶である私を。
ハスラー商人の暴利を容認する方が聖教会の見返りの無い搾取よりは格段にマシという事だろう。
何より東部貴族は経済的見返りを、官僚は税収の増加という実利を手に入れる事が出来た。
これを機にハスラー聖大公が聖教会を切るのなら東部貴族と官僚はその勝ち馬に乗ろうと考えているのだろう。
「要するに私に王妃殿下に対する忠誠を示せと仰りたいのですね」
「別に私はその様な事は申しておりません。ただ座視しておられれば聖教会を勢いづかせ、西部や東部国境でも要らぬ血が流れる事も有るという事です。最悪南部国境にまで騒乱が飛び火するかもしれませんから」
北海でもこれだけ血が流れている。
アジアーゴが船団を出せば更に流血の事態が長引くだろう。
ああ、今夜はこのまま眠る事すら出来そうもない。
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