第108話 国外情勢(1)

【1】

 一連の簡単な取り調べが終わった頃には日が変わっていた。

「フム、やはりマデラは寝かせれば寝かすほど旨い。其の方は何をしておる? 水で割ってなど愚かの事を致すな。酒の値打ちも分からぬ若輩者め」

 延々と続いた尋問にぐったりしている内務卿や国務卿と書記官たちを尻目に宰相閣下はいたく機嫌よく酒を飲んでいる。


「セイラ様、やはりこの様な取り調べもお商売の交渉事で有るのですか? えらく手馴れていらっしゃったようなので」

 カロリーヌが恐る恐る私に問うてくる。

「いえ、そんな。宰相閣下が手馴れておられたものでその尻馬に乗っただけで」


「そうか? 其の方がかなり主導しておったように感じたがな。まあ良い、やはりあの時に強引にでも手元に置くべきであったが今からでも遅くはない。中退して事務官にならんか? 其方の実力なら直ぐにでも管理官になれるぞ。内務省でも国務省でもわし自ら鍛えてやる」

「結構なお話で御座いますが義父の後を継がねばなりません。領地経営も商会の実務もありますし無理で御座います」


「カンボゾーラ家の領地など大して未練も無かろう。それとも南部の商会で経済を牛耳るつもりか? 我が家や東部貴族派閥との敵対は其方の本意では無かろう。ハッキリ申す。西部や東部は一枚岩ではない。特に西部諸州は纏められる実力者がおらんのでな」

 辣腕家で国の宰相として大局的にものを見ているのであろう、その視点は評価しても統治の浅い領地を一辺の情も無く切り捨てられるその冷徹さは私には合わない。

 やはりこの男は嫌いだ。


「カンボゾーラ子爵家とカマンベール子爵家は今や北部を抑えるための要と考えていますから。いくら統治が浅くても信頼してくれる領民は増えておりますので、今の領地や家族を捨ててまで国政に関わるつもりは御座いません」

「その情が全てを亡ぼす事も有るのだぞ。特に貴族は肉親の情に拘ると道を誤りかねん。其方ももう少しその女伯爵カウンテス殿を見習うべきだな」


 その言葉にカロリーヌの顔に辛そうな表情が浮かんだ。

「カロリーヌ様も好んで兄上を切ったわけでは御座いません。その苦渋は私も承知しております」


「であろうな。其の方、それを判っていてその背中を押したのであろう。係わっていないとは言わせぬぞ。こうまで内政に首を突っ込んでも信頼されておるのだから深く係わっておる事はすぐにわかる。ただな、其の方が同じ立場に置かれて同じ事を言われた時同じことが出来るのか? それが辛くならぬうちに早めに切って捨てる事も考えに入れておく事だな」

 そう言うと高らかに笑い、さっさと内務卿や国務卿に業務指示を出し始めた。

 勝手な言い分で腹立たしいが、彼の言葉があながち間違いで無く私の覚悟が足りない事も事実なので言い返す事が出来ない。


「宰相様とは何かおありになったようですが、私の兄上とセイラ様のご家族は違います。お気になされぬように」

「有難うございますカロリーヌ様。でも私もその覚悟だけは持たねばいけないと思うので、宰相閣下のお言葉は肝に銘じておきます」

 もちろん家族や仲間を切り捨てるような心算はさらさらないが、全員を私一人が守り切れる訳では無い事も事実だ。


 ゴッダードの救貧院の時もみんなを危険な目に遭わせたし、去年のクロエ誘拐未遂事件の時もウルヴァにケガを負わせてしまった。

 結果の良し悪しはともかく被害や犠牲が出れば必ず悔やむことにはなるが、その後前を向ける様にだけは心掛けないといけないのだろう。


「それでだ。宰相閣下より命じられたので説明致すから心に停めておけ。今の諸外国、というよりハスラー聖公国の内情だ」

 国務卿が自ら私の下に来て話始めた。


 ハスラー聖公国は今の聖大公の辣腕と強権でまとまっているが、だからと言って一枚岩ではないと言う事だ。

 聖大公の政治手腕とハッスル神聖国やラスカル王国、ノース連合王国そして南方や南東で国境を接する諸国に対しても技術力で付加価値を付けた商品で経済的優位を保ってきた。


 特に金属加工と繊維加工の技術はとびぬけており今でも周辺国での優位は揺るがない。その為ラスカル王国でのリネン市場と綿花市場を押さえていた旧来の貴族勢力も抑える事が出来ていた。

 ところがここ数年のリネン相場の取引価格の変動と綿花の品質低下で、既得権に胡坐をかいていた貴族たちの足元が揺らぎ始めた。

 そして今年の綿花市場崩壊である。


 ハスラー聖大公はこれを機に南部の大国ハウザー王国との通商も進めて一気に経済圏を拡大するとともに、一部の旧弊な貴族勢力を潰して権力の拡大を狙っている。

 それに対抗して反聖大公系の貴族はハッスル神聖国と聖教会に縋ったのだ。

 聖大公が教義を蔑ろにして獣人属におもねろうとしていると告げ教皇庁の介入を企てたのだ。


 元来ラスカル王国もハッスル聖公国も教導派が国教であった国である。

 この国の有る地域は大陸の南西部の獣人属が住んでいた地域に北東部の人属が侵入し、今の国家群の元が固まった。


 西部中央部の獣人属の一部は北東部に移動し、北極圏とノース連合王国等の北海に島国に逃れた。

 南部では人属と獣人属のせめぎあいの過程で大陸の中心に南北を貫いて存在していた人属の大帝国は滅亡し、南部から北上してきた獣人属が築いた大国がハウザー王国である。

 北方に追われた人属はその首都を北方に移しラスカル王国が成立した。

 メリージャはかつて存在した大帝国の首都の名残なのだ。


 ハウザー王国はその成立の過程で獣人属と人属が混在する王国であった。そしてかつての大帝国の属領であった南東の小国群が集まる地域で成立したのが今の聖教会の前身の宗派である。

 大帝国に伝搬した聖教会は帝国滅亡後に反獣人の立場で精鋭化した教導派を国教としたのがハッスル、ハスラー、ラスカルの三国で、南方の獣人属と人属の混在する地域で発生したのが福音派である。

 そして時が下り福音派と教導派のせめぎ合う地域で力をつけてきたのが清貧派である。


 地域柄獣人属と人属、教導派と福音派その対立を緩和するため融和を求める住民の間で自然発生的に定着しだしたため教導派の国にも福音派の国にも信徒は存在する。

 当然南方と国境を接するハスラー聖公国にも信徒は存在し、受け入れる素地はハスラー大公国にも有るのだ。


 特に現ハスラー聖大公は経済力を重視した国政を推し進め、更に現在もその方策を模索している。

 これまでも紡績機や織機の技術を聖大公が押さえて工場制手工業の形態を作り上げてきた。

 これにより聖大公家に権力を集中し絶対王政的な国家を形成しようとしている。


 ただこれに対抗して貴族が頼ったハッスル神聖国も教皇と教皇庁の権威で縛り上げる絶対主義国家に近い存在なのだ。

 神聖国内の実権は各地の聖教会大聖堂と司祭や大司祭が握り、領主貴族は領地の農奴の管理者であり聖教会の奉仕者でしかない。

 北方三国の中でハッスル神聖国だけは獣人属の存在を許さない人属だけの国なのだ。


「ハスラーの貴族たちがハッスル神聖国に縋ったという事は、彼らが力を持つとハスラー国内の獣人属は殺されるか追放されるという事?」

「その前にハウザー国境で戦争になるであろうな。聖大公はそんな事は望んでいないだろうが、今回のノース連合王国での教皇庁のやり口を見ているとハスラー聖公国でも同じ事を企みそうに思える。そしてそれは我が王国でもだ」


 私はこれまで教導派の既得権益を次々に潰してきた。

 そして今回綿花市場の閉鎖と綿布の量産により既得権益に胡坐をかく北部や東部そして西部やハスラー聖公国の教導派貴族に止めを刺す事になるだろう。


 ゴッダードに集まった東部やハスラー聖公国の商会を通して東部領地やハスラー聖公国の商人たちの再編の種は撒いたが、それを理解し受け入れられる領主ばかりでは無いという事だ。

 宰相閣下の言っていた事は敵対しなければ東部は抑えてくれると、ただし西部は爆発する領主を止める手立てが無いという事なのだろう。

 要するに亜麻生産から脱却できなかった領地は教導派聖教会に縋る事になるだろうからそれに飲まれる領地が有る事を覚悟しておけと言いたいのだ。

 義父上からもかつて言われていた全面戦争の萌芽が始まっているという事だ。

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