第88話 メリージャからの知らせ(1)

【1】

 王都の外れの古びた宿に呼び出された。

 私は目立たない一般人の服装でグリンダと共にやって来た。今日はグリンダもいつものメイド服では無い。

 私と姉妹を装っての行動だ。


 宿の一室に入ると旅装に身を包んだドミンゴ司祭が座っていた。

「セイラ殿、お久しぶりですな」

 昔通りの悪人ズラの笑いを浮かべて挨拶してくる。


「ドミンゴ司祭もご壮健のようで、フィリポのニワンゴ師のもとには行かれたのですか?」

「なっ…なにを、わしは司祭としての仕事で王都に赴いたのであって…」

 いきなり赤面したアタフタしだしたところを見ると又素通りしてきたようだ。

 何もそこまでストイックに徹する事も無いだろうに。


「念願の計算尺も完成したのですから労いの言葉くらいはかけに行っても宜しいのでは? まだ対数表の精度を高める仕事が残ってはおりますが、一区切りついたと言っても過言では有りませんよ」

「それは…報告に戻ってきた折に労いの言葉はかけましたぞ。ニワンゴもこれで後世に名が残る偉業を成し遂げたのだ。わしはこれで満足です」

「それとこれとは話は別です。ニワンゴ師は会えるならいつでも会いたいと思っているに違いないのだから」

「…わかった。帰りは船便でフィリポで一泊して帰る事にいたそう」

 消え入るような小さな声で悪党ズラの司祭様は呟いた。


「それでだ、セイラ殿。判断は難しいがあまり良くない知らせが来ておるのだ」

 その一言で私も態度を改める。

 純愛悪党司祭をいたぶるのはやめにして椅子にかける。


「お話、聞かせていただきます」

「うむ、単刀直入に言おう。ルクレッア殿が農奴に洗礼を施したそだ」

「それがいったい何を…」

 私にはドミンゴ司祭が言っていることが良く理解できなかった。

 グリンダでさえ不思議そうな顔でドミンゴ司祭を見つめている。


「フッ、さすがにセイラ殿もお分かりいただけないか。農奴制度の無いこの国では感覚が違うものなのであろうな」

「ハウザー王国では問題に成るのでしょうか? 仰るとおり私には何が問題か解りかねます」


 留学生たちは神学校に行くにあたり、形だけだが聖別は受け修道女の資格は持っているはずだ。

 やはり未成年が洗礼を施したことに問題があるのだろうか。聞いてみるがそうでは無いようだ。


「まあ未成年で見習い修道女では御座いますが、聖別も受け一年間神学生として学んでおるのでそこまで咎め立てされる事では有りません。何よりテレーズ聖導女が立ち会っておるのですから形においては問題の有る洗礼では無いでしょう」

「それなら尚更わかりません。もしや教導派の教皇の孫が福音派のハウザー国民に洗礼を施したと…あっ! その相手が獣人族であったことが問題になるのでしょうか」


 ルクレッアと言えばペスカトーレ枢機卿の娘で教皇の孫だ。

 教導派の得に枢機卿派閥は頑なに獣人属の聖教会での礼拝を拒んできた。

 洗礼も成人式も葬儀でさえも聖教会を使わせる事が無く、屋外の広場や空き地で修道士を派遣して執り行わせている。

 死後も同じ墓地に入れず火葬して納骨堂に収納していたでは無いか。


「ああ、そう言えばその通りですな。これは教導派のペスカトーレ枢機卿も容認できぬのでは無いでしょうかな。立場上自分の娘が獣人属に洗礼を施すという事は獣人属を認めるという事ですからな」

 ラスカル王国側での問題としてはかなり大きなことになるであろうが、ドミンゴ司祭の言いたかった事はそれでは無いようだ。


「福恩派の教義では洗礼対象が農奴であったという事なのですよ。名前を持たなかった農奴の子供に名を与えて自ら洗礼を施したという事が問題なのです」

「農奴に名を与えた? それが何を意味するのでしょう」


 そこからドミンゴ司祭は嚙み砕いて説明を始めた。

 本来ハウザー王国では農奴は人と認められていない。

 その為、洗礼を施す事は無く名前も与えられないのだ。農奴の主人が付ける名前は単なる愛称や呼び名であって本来の名前とは言わない。


 洗礼の時に呼ばれる名が、洗礼名と言われて正式な名前になるのだ。

 だから洗礼を受けない農奴は名前が無い。

 ただ持ち主によっては仕事上属性魔力が使える方が都合が良いと洗礼をさせる者もいる。

 だがその時でも洗礼名はつけない。洗礼名を付けてしまうと人として認めた事になるからだ。


 農奴を認めないハウザー王国北部の諸領地では、清貧派聖職者の一番の仕事は脱走農奴の再洗礼と洗礼名の授与だという。

 ドミンゴ司祭の村でも聖職者たちは月一の頻度で洗礼式を行うそうだ。


 私は話を聞くうちにムカムカしてきた。

 獣人族を認めない教導派でも最低限の洗礼式と成人式は執り行っている。さすがにこの農奴に対する扱いは酷すぎる。


「それはあまりにも…許せません」

 グリンダがポツリと言った。

「しかしそれが現状なのですよ。これはハウザーに限った事ではない。ハッスル神聖国もしかり、かつてのラスカル王国でもしかりじゃ。ハスラー聖大公が国益の為に農奴制を一部規制しておるがどこの国も同じ状況じゃったのですぞ。御尊父殿たちは御存じないかも知れんがその上の御祖父母殿達ならばご存じでは無かろうか。先々代のラスカル国王が即位して直ぐに農奴制を廃止するまでな」


 ヨアンナの祖父に当たる先々代国王が農奴に洗礼を受けさせて魔力を活用するという名目で農奴制を廃止し、頑なに獣人属の洗礼を拒んでいた教導派に礼拝堂外での洗礼を認めさせたそうだ。

 今のハスラー聖大公はその成功事例を見て農奴の洗礼を義務付けているという。


「しかしだからと言ってルクレッツア様の行為に何の問題があるというのです。ラスカル国民のルクレッツア様がラスカル王国の法に則ってラスカル王国民のテレーズ聖導女の下で洗礼を施した。もちろん福音派聖教会内でのことでしょうがだからと言ってそこまで咎め立てられる事でも無いでしょう」

「ええ、表向きは声高に非難できぬ事ですが福音派の農奴容認派は面目を潰されて憤っておるようです。特に農奴容認を声高に主張する第三王子派閥がルクレッツア様の農奴を買い取ろうとして拒否されたとか。それにラスカルの先々代王に農奴制を潰された教皇は孫娘の行為を黙ってみているでしょうかな」


「孫娘をハウザー王国に送った時点で福音派に売ったも同然では無いですか。それを今更咎め立てする立場でも無いでしょう」

「そうですな。多分ルクレッツア様も実家を見限っておられるでしょう。ですから表向きはと申したのです」


「という事は裏で…! ドミンゴ司祭が見えられてという事はその第三王子派閥にあの女大司祭が!」

「ええ、あの大司祭の実家が第三王子派閥です。ワシが思うに表向き首を縦に振らない孫娘に対してあ奴らがやる事は見えていると思うのですが」

「買えなければ殺してしまえ…」


 洗礼直後の子供の暗殺を企んでいるのか!

 慌てて文面を読ませて貰うと、ルクレツィアはその農奴を殊更可愛がっており治癒魔術の指導を行って洗礼後数カ月なのに幾つかの治癒施術を行えるまでになっているという。

 そもそもテレーズたちの市民への治癒施術の奉仕で救われた子供のようで、ハウザー王都の一般市民にもその農奴の事が知られており治癒魔術の成果の象徴のように思われているそうだ。


「今回の手紙はペスカトーレ枢機卿への告げ口と言うか、ルクレッツア様の行動への非難と対応を求めた物ですが、いつもと文面も書き方も違う。書いたのは本人では無く関係者でしょう。それに…この文面を見る限りではその農奴、兄妹なのですが生きていられると困る者がおるようですな」

 …そう言えば迷惑を被っている者が多数いるとか書かれている。


「それにこれは第三城郭の清貧派礼拝堂からの情報なのですが、もう一件問題が生じておるようなのです」

 ドミンゴ司祭が更に不穏な事を口走る。

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