第89話 メリージャからの知らせ(2)

【3】

「ルクレッツア様に関する情報なのですか?」

「いえ、こちらはエレノア王女殿下に関する事のようですな。表立っての動きは御座らんが、どうも第一王子が妻に迎える為に画策しておるようですぞ」


「…!」

 エレノア王女はまだ未成年では無いか! …いや王族ならば婚姻はともかく婚約はあり得るのか。

 ヨアンナとジョン王子は予科に上がって直ぐに婚約したでは無いか。

 成人式と共に婚姻と言う流れは充分にありうる。


「婚姻に関して気になされておる様だが、それよりも先に考えねばいけない事が有りますぞ」

 それ以外に優先すべき事…?


「よくお考え下され。ハウザー王国の第一王子派は留学生を帰国させるつもりが無いという事ですぞ」

 そうだ、予定通りならこの秋には王女たちは帰国して予科に編入する予定なのだ。


「これは…留学生は人質代わり。ハウザー王国が留学生を帰さぬならばラスカル王国も…。そうなればハウザー王国の立王太子の勢力争いは…でも第一王子派に対して第二王子派が黙っていないのでは」

「第三王子派は残留に賛同するでしょうな。なによりルクレッア様の件も有るので当分は王都から出したくないと考えておるのでは」


「本人の意思は…、そんな物考慮されないわね。第一王子は納得しているのかしら」

「さあ、そこ迄は? しかしハウザー王国は側妃も認められて四人まで妃が持てる上に継承権は四人の妃の子全てに認められておりますからな。名前だけの王妃でも一人くらいなら何ら困る事は無いでしょう」


 いきなりの情報量のデカさに私は混乱している様だ。思考がついて行かない。

「でも敵対してる仮想敵国の王女を…」

「だからでしょう。これによって同盟とまでは行かずとも休戦協定くらいは可能になる。そうなれば第一王子の実績として王座に一歩近づく」

「それでも他の派閥が…」

「第三王子派はルクレッア様の暗殺まで視野に入れて動くでしょうな」

「…」


「なんて事なの! まだ十四歳の子供じゃないの! 私はその片棒を担いでしまったというの」

「セイラ様! セイラ様の責任では御座いませんよ。そもそも王家が教皇派閥と組んで起こした事。それに国王陛下がそれを許可するかどうかも未知数ですわ」


 そう…教皇派閥と国王陛下がどう動くかはネックになるけれど、あの国王も教皇も信用できない。

 当然ジョージ王子に有利になるならば、教皇庁に有利になるならば実の娘でも平気で売りつけるだろう。


「教導派の教義では重婚は認められておりません。福音派の教義通りの婚姻では教皇庁も承諾しないでしょうから」

「グリンダ、甘い考えは捨てるべきよ。カタチだけの正妃、子どもが出来なければ継承権も発生しない。抜け道は幾らでも作れるわ。あとはラスカル王家と教皇庁にどれだけ利益が有るかという事だけね」


「それでもエレノア様はラスカル王国の清貧派扱い。福音派が教義上受け入れる事は出来るのでしょうか」

「出来ると思いますぞ。福音派は清貧派を福音派の傍流とみなしておる。なにより獣人属容認思想や身分制の否定を教義に掲げておりますからな。それに人属の王妃なら総主教たちにとっては都合が良い追い風にもなる。エレノア様を正妃にという考えはもろ手を挙げて賛成するのではないかと存ずる」


 ドミンゴ司祭のいう事は間違い無いだろう。

 あとはハウザー王国側がどれだけの利益をラスカル王国と教皇庁に提示できるかだ。

 何より福音派総主教にも第一王子派にもラスカル王国に大きなパイプは無いはずだ。


 ラスカル王国側にパイプを持つのはサンペドロ辺境伯を中心とする北部派閥の第二王子派だけである。

 そしてもちろんそのパイプが繋がっている先は国境を接する南部貴族と私たち北西部貴族だ。

 そして彼らが唯一抑えているはずの極秘ルート、メリージャのダリア・バトリー大司祭とペスカトーレ枢機卿のルートを握っているのはこのドミンゴ司祭で、すべての情報はジャンヌの伯父であるボードレール枢機卿に筒抜けになっている。


 先行して情報を得られるのでその点だけは私たちに有利なのだが…。


【4】

 サンペドロ辺境伯にとってもどかしいのはメリージャから発せられた書簡がグレンフォードを経由してからでないと得られないという事だ。

 今回グレンフォードからもたらされた情報は思った以上に政局に影響を及ぼしそうだ。


「これでペスカトーレ枢機卿殿がどう反応するかだな」

「それよりも王都にいる留学生が危ないんじゃないのですかな」

 州都メリージャのコンラッド・ダルモン市長が他人事のように言った。


「貴様の街の住民であろう。あのクズ女大司祭は」

「まあそうですが、こうやってバカな策動をして墓穴を掘ってくれればこちらとしては都合が宜しいのでな」

「墓穴?」

「そうでしょう義父上、高々告げ口程度でこのパイプを使うとは浅慮に過ぎる。それにあの女が王都のこんな政治事情を知るはずも無く、知ろうともしておらんでしょう。ならあれを書かせた者がおるはずです。多分バトリー子爵家に良い様に使われておるだけだ」


「しかしバトリー子爵家にしてもルクレッア殿の行状が何のかかわりがあるというのだ」

「無いでしょうな。その後ろにいる誰かにあの人殺し子爵家も使われておるのでしょう。そんな事を続けておればすぐ墓穴を掘る。何より留学生に何かあれば国際問題だ。そうなれば詰め腹を切らされるのはバトリー子爵家でしょうその仲介役のあの大司祭もタダで済まん。我が領としては利益しかない」


「冷たい奴め。メリージャから送り出した留学生だぞ、情と言うものが無いのかお前は」

「まあ気の毒だとは思いますが一介の市長にはそこ迄の権限も無い。何よりも王都で足止めされれば簡単に手が出せませんぞ」

「簡単に? ならば難しいが方法は有るという事か?」


「今は何とも…。ただこちらで調べさせたところあの農奴の親子自体が訳ありのようですな」

「食えん奴め。いつの間にそんな情報を…」

「テレーズ殿が農奴の子を助けたと王都で話題になった折に、元の持ち主のシエラノルテ子爵家が買い戻そうとしておりましたので嫌がらせをと考えて調べさせたのですが、瓢箪から駒と言うか厄介な農奴だったようで」


「えーい! さっさと結論を話せ」

「義父上はせっかちでいけない。どうやらあの二人はオーバーホルト公爵家の血を継いでおるようですな」


「オーバーホルト? シエラノルテ子爵家とは犬猿の仲では無いか。それが何故?」

「そもそも死んだ母親がオーバーホルト公爵家の先々代が手を出だした農奴の娘のようで。先代公爵がヘブンヒル侯爵家の先代に下賜したようですな。まあこれは先代公爵が手を出した訳では無いでしょう。なにせ腹違いの妹ですからな。ただそれも有っての下賜だったのでしょう」


「要はその農奴の兄妹は先々代のオーバーホルト公爵の孫と言う訳か。しかし現公爵との血は薄い。まあ醜聞ではあるがな」

「ところがこの女に先代のヘブンヒル侯爵が手を出していたのですよ。代替わりした折に今の侯爵がオークションに出した女と息子をそれを察したシエラノルテ子爵家が匿名で落札してしまった。その時にすでに腹が大きかったようですが…後付けでそれに気付いたヘブンヒル侯爵が農奴の買取交渉にルクレッア殿のもとに赴いたがにべも無く追い返された」


「それならばその妹の方もオーバーホルト公爵家とヘブンヒル侯爵家の両法の血を継いでいるという事では無いか。何よりそんな不手際ならヘブンヒル侯爵としてはオーバーホルト公爵に気づかれれば揉める事になるし、下の娘は侯爵の直系ではないか」

「ですな…そのまま農奴で過ごすのならば問題なかったのでしょうが、洗礼を授けた上治癒術師の教育も施しているとか。これはヘブンヒル家も看過できぬでしょう」


「ウワハハハ、これは痛快ではないか。あの留学生に指導されれば最先端の治癒施術ができる農奴が誕生するのだぞ。福音派はもとより教導派の顔も潰すことになる」

「なのでヘブンヒル家は最終的には強硬手段に走るのではないかと危惧しておるのですよ」


「その農奴の兄妹の命が危ないという事か」

「多分ルクレッア殿のお命もですな。ペスカトーレ枢機卿がルクレッア殿の帰国を望むのかどうか。教導派の教義に反した枢機卿の孫娘など異国で死んでくれた方が良いと考えるのでは?」

「これは国王陛下に留学生たち全員の身の安全をお願せねばならんな」

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