第184話 ルーシーの出産
【1】
「何度も申し上げましたよね。生活態度を改めて下さいと」
「入学してから頑張って宮廷作法を身に付けていた、モンブリゾン男爵令嬢様を少しは見習ってください」
「あのイヴァン様にも宮廷作法では負けているのですよ」
「セイラ様、臨月のルーシー奥方様にご心配をかけて少しは反省なさってください」
夏休みが始まってから私は、事ある毎にアドルフィーネから小言を貰っていた。
「…アドルフィーネ、最近ストレス溜まってた?」
「いえ、別にジョン王子殿下やオズマ・ランドッグ様のお相手など紙一枚の重さにもなりませんわ」
ゴメン、アドルフィーネ。ストレスだったんだね。
まずカンボゾーラ子爵領に帰って一学年の成績の報告を済ませた。
フィリップ義父上はそもそも宮廷作法など気にする人では無いので、特待が取れなかった事は気にもしていない。
宮廷作法以外の全てでジョン王子殿下を上回った事に満足のようだが、ルーシー義母上はさすがに赤点であったことに眉を曇らせている。
一週間ほど領地内の内政状況に色々と口を挟み、シルラ副司祭を色々と牽制しつつカスバート家を始めとする大地主達への反省を促して行く。
「セイラ様、それは一般には締め付けと抑圧と申します。貴族令嬢が表立ってなさる事では御座いません。フィリップ子爵様や私たちに御命じ下さい」
「ザマアは自分でやらなければ面白くないのよ。そもそもあなたも義父の子爵閣下に命じろだなんて、メイドが口にするセリフじゃないわよ」
アドルフィーネのツッコミに反論しているとフェデスがカタリナ聖導女と一緒にやって来た。
「セイラお嬢様、アドルフィーネお姉様、奥方様が産気づきました。お手伝いをお願い致します」
「セイラ様、光魔法による出産の補助をお願い致します。アナ様も準備が整っておりますから、お急ぎください」
えーーー、無理無理! 私(俺)に何をしろと! 前世では立ち合い出産の途中で、出血を見て失神してしまった記憶が蘇る。
治癒院の処置室にはルーシーが運び込まれ、アナ司祭が出産準備にかかっている。
部屋の前ではフィリップが地面に跪いて椅子の上に両肘を乗せて一心に祈りを捧げている。
こんな義父上を見てしまうと血が怖いからと言って拒否る訳にも行かない。
腹を括って処置室に入ると目をつぶって、母体と赤ちゃんに光の聖力を流し続けた。
「フィリップ様! 母子ともに元気です! おめでとうございます、元気なお嬢様ですよ」
キャサリン聖導女の声を聴きながら目を開いた私は、血だらけの分娩台が目に入り意識が遠くなりかけた。
キャサリン聖導女の声を聴いて部屋に飛び込んできたフィリップが、そのまま意識を失い崩れ落ちる姿を見つつ、私も意識を無くす。
「キャー! フィリップ子爵様! しっかりして下さい。 誰か! 子爵様が倒れた!」
「キャー! セイラ様、大丈夫ですか。気をたしかに!」
部屋中に赤ちゃんの泣き声だけが大きく響き渡っていた。
【2】
ルーシー義母上は産後の肥立ちも順調なようで、フィリップ義父上は浮かれまくって今は娘の名前を付けるのに夢中になっている。
ルーシー義母上と義妹には私がありったけの霊力を注ぎ込んで免疫力は最強だ。後はアナ司祭達がケアしてくれる。
浮かれまくって役に立たないフィリップ義父上の事は、ミゲルとアドルフィーネに任せて私はゴッダードに帰る事にする。
「私にフィリップ様を押し付けてセイラ様は逃げるおつもりですねか」
「しっ…仕方ないじゃないの。義父上がポンコツ化してしまったのだから、あなたとミゲルが頼りなのよ」
「判りました。その代わりセイラ様はクオーネ大聖堂で聖年式までお手伝いをお願い致します。エミリーメイド長様から聖年式に臨む子供たちの作法教育の補佐を頼まれておりましたので」
「ゲッ!」
「私から書簡を差し上げておりますので、エミリーメイド長様にはご了解いただいております」
「アドルフィーネ…謀ったわね」
王都のグリンダから書簡で事情は伺っておりますと微笑むエミリーメイド長に迎えられてクオーネ入りした私は、その日からモラハラの嵐に苛まれる事となった。
「モラハラではありません! 厳然とした事実です! 皆さん、貴族令嬢としての自覚を持たない方は王立学校に上がってもこの様な醜態を曝す事になるのです。他の全ての教科がどれだけ優れていても宮廷作法が赤点では完成には至りません。皆さんはこの様な醜態を曝す事無く貴族令嬢としての自覚を持ちましょう」
エミリーメイド長の小言とイヤミにメンタルを削られながら、どうにか聖年式迄耐えきった。
もう一時もここには居たくない。その日の午後の河船に飛び乗ってゴッダードを目指す事にする。
ゴッダードの直ぐ近く、ファナタウンに向かう直行便だ。
船出直前の船着き場に、なんとエミリーメイド長が見送りに来てくれた。
船が出航する直前にエミリーメイド長が私に別れの言葉をかけてくれた。
「セイラ様、ゴッダードでもお健やかに。なんでもグリンダが師匠と申される方にも手紙でお知らせしたそうで、その方が大層ご立腹だとか。帰ったら宥めてあげて下さいませ」
にこやかな微笑みを浮かべたエミリーメイド長の笑っていない目に、この瞬間だけ嬉しそうな感情が浮かぶのが見えた。
「嫌アアアァァー! 誰か降ろして! クオーネに残るー!」
「直通便ですからあちらの船着き場にはライトスミス家の方々がお迎えに来ておられるでしょう。昨夜の船で書簡を送っておきましたから」
無情にも係留ロープは外されて、船は岸辺から離れて行く。
私の叫びは川面を渡る風と共に葦を揺らせながら消えて行った。
翌日ファナタウンに係留された河船のもとに、両親とオスカルが迎えに来ていた。
そしてその後ろにはもっと懐かしい顔が…
アンが優し気な笑みを湛えて、一切笑っていない目で私を迎えてくれるのであった。
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