第149話 コットン

【1】

 夏に向けて毛織物の出荷は底を打った。

 カマンベール領で織られた毛織物は品質でも価格でも他領の物は太刀打ちできない。

 州内での混乱を避ける為大半は北部に出荷されたが、運賃を加算しても北部産の毛織物より低価格の為大きな利益を上げた。

 アヴァロン州内の各領主はこの冬に向けて新設した織機の試運転を始めながら希望に胸を膨らませている。


「ルーシー殿。そろそろ又ライオル伯爵が仕掛けてくると思うぜ。先手を打つか? それとも仕掛けられてから迎え撃つか?」

 フィリップの質問にルーシーはしばらく考え込んだ。

 彼の言う通りオーブラック商会は赤字を取り戻すために夏に向けてリネンを売りに来るだろう。

 それを迎え撃つためにアヴァロン商事はカマンベール領で織った綿布を売り出すのだ。

「先に手の内を見せる必要もありませんわ。リネン生地を持ってきても高価な物なので直ぐには値はつかないでしょう」

 そう、先に手の内を晒してオーブラック商会がリネンの買い付けを諦めさせる必要などない。仕入れたリネンを抱えて困惑すればいいのだ。

「よしそれならば、ライオル伯爵家が動き出すのを待って徹底的に叩き潰そうか」

 フィリップも意を決した様に言うとルーシーに親指を立てた。


【2】

 そして羊の毛刈りを始めるころに、オーブラック商会が八台の大型馬車に大量にリネン生地を積んで関所を越えた。

 多分カマンベール領での販売は期待していないだろう。そのまま領境を越えて州内を回りながらクオーネに向かうつもりだろう。

 領主館前の村で一泊し市場でいくらか嗜好品を購入してそのまま領境を目指して去って行った。


 ルーシーは早朝から河の船着き場で綿布の搬出の指揮を執っていた。

 夏向けに平織の生地を大量に織った。それも大型織機で。

 小型船でも荷馬車一台分くらいの積み荷を運べる。中型の船なら二頭立ての馬車五台分くらいの荷物を運んで行ける。

 それも下り便なら一日で州内全ての領地に到着できる上、外洋船の様に事故を起こしたり難破する様な事は殆んど無い。

 そして午前中に生地は次々と船で各領地へ運ばれて行く。

 オーブラック商会が領境を越える頃には各船が目的の領地に着いているだろう。


 結局オーブラック商会はアヴァロン州内で殆んどリネン生地を捌けなかった。

 小作農や職人はもちろん高価なリネンなど買えるわけがない。

 自作農や小売商以上を宛てにしてやって来たが、安価なコットン生地が大量に出回っていて、高価な上に扱いの難しいリネン生地には見向きもされなかった。


 これまで良い顧客だった中産階級の商家や店持ちの職人の家庭でもリネンからコットンに代わっている。

 コットンの価格が昨年の半分以下に下がってしまっているのだから。

 アヴァロン州では小作農や職人が作業服から普段着まで新しい綾織のコットン生地に新調し始めている。

 中産階級ではコットン生地の普段着でお洒落をする若い婦人達が増えている。

 上流階級では少しはリネン生地が売れたのだが、西部から入って来る価格の安いリネン生地に押されて売り上げは伸びない。


 東部産やハスラー産のリネン生地と言うブランド名につられて購入する貴族や大商人もいるにはいるが、仕立ててしまえばリネンはリネンだ。

 どちらかと言えば仕立ての仕上がりでは西部諸州の生地の方が色つやが良く肌触りも滑らかに思える。

 結局オーブラック商会の荷馬車隊はクオーネで、リネン生地を捨て値で売って、利益率の高いハウザー産のコーヒーや茶葉や酒を仕入れた。

 更に大量のコットン生地を買い付けて関所を越えてリール州から更に北の州に向かって転売に去って行った。

 少しでもリネン生地での損失を回収するために。


【3】

「ライオル伯爵殿、困るのですよ。このように領地内での輪を乱すような行いは」

「それは仕方のない事で…如何でしょうか、いっそ州内の羊毛を我が家に一手に扱わせて頂けないでしょうか。ならば州内の御領主達も安い毛織物が手に入り…」

「ふざけないでいただきたい! 貴方がアヴァロン州で売ると言ったから私も州内を説得して羊毛を御用立てたのです。それを今され売れなかったと言って州内で安売りするとは…。州内の領主からも苦情が上がっているのですよ」

 ライオル伯爵はシェブリ伯爵家に呼び出され、伯爵直々に苦言を呈せられていた。


 ライオル領で織った毛織物は始めの一度だけクオーネで投げ売りされた後は、誰もアヴァロン州に持ち込まなくなった。

 ライオル領でだぶついた毛織物は仕方なく州内で売りさばく結果となり、他領より安い毛織物は州内では良く売れた。

 そのシワ寄せは他領の、特に羊毛を融通してくれた領の毛織物を圧迫することになり彼らの恨みを買うことになったのだ。

 更に悪いことにライオル領の小売商人たちがカマンベール領から持ち込んだ嗜好品は飛ぶように売れた。ライオル領でも周辺の領地でも。

 特に貴族や商家の金持ちの間で持てはやされた。

 その結果領内の金はライオル領に吸い上げられていると言う噂が出ているのだ。

 実際には全ての金はカマンベール男爵家に吸い上げられていると言うのに…。

 しかしその一端はシェブリ伯爵家にも有る。州内領主から安値で羊毛を買いあげてライオル家に通常価格で売りつけ利ざやを稼いだのはシェブリ家なのだ。

 嫌味の一つも言いたいが、州筆頭で父親の大司祭が引退すれば彼があとを継ぐことは確実で、本人も聖導師の資格を持っている。

 州内の権力を握っているシェブリ家には逆らえないのだ。


 ここに来て事態は更に悪化している。

 アヴァロン州で安価な綿織物が出回って、リネン市場にも影響が出始めているのだ。しかもその綿織物がカマンベール領を介してリール州にも流れ込んでおり、州内のリネン売り上げが大きく下がり始めている。

 もちろんそれを持ち込んでいるのはライオル領内の小売商人たちである。

 冬のように領境の関所を閉鎖すれば流入は止まるが、アヴァロン州から入る嗜好品の購入要望は高くそれまで止めてしまっては又州内の領主から苦情が出てしまう。

 そもそもカマンベール男爵家を追い込むために仕掛けた方策が全て裏目に出て、いつの間にやらライオル伯爵家が八方塞の状況に追い込まれてしまった。

 そして更に追い討ちをかけライオル家を地獄に突き落とすような一報がもたらされるのであった。

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