第148話 経済戦

【1】

 雪融けとともに河船がカマンベール領に綿糸を大量に運んできた。

 冬の間に羊毛の在庫が切れて、倉庫に溜まった毛織物はクオーネに出荷されて行って綿糸と入れ替わった。

 フィリップ・ゴルゴンゾーラ卿は荷下ろしの指揮をとりながら今後の方針を思案している。


 クオーネには大型織機が七機すでに荷下ろしが終わり、新規に設置される工場に向けての出荷準備が進められている。

 冬の間に州内九領地の代表がカマンベール領の織物工場に集合して株式組合が設立された。

 毛織物で実績が上がっているうえに綿糸の供給も約束されている事からどの領主も誘致に乗り気だった。それも今後の水力利用を見越して川沿いの水車の設置できる場所という条件にもかかわらずである。


 各領地で一台ずつの大型織機の設置という事で一端納得はしているが、今後納品される十二台分は何処の領地に持ってゆくかすでに駆け引きが始まっている。

 しばらくは各領地の稼働状況や立地の利便性などを考慮して様子を見て行く事で納得してもらう事になった。

 アヴァロン商事が全てを取り仕切ると言うものの領主館の綱引きの仲裁は頭が痛い。


「まあその辺の調整はあの娘と取り巻きのメイド連中に丸投げすればうまく回してくれるだろうさ」

「それはセイラさんが可哀そうではありませんか。こんなにも州内の発展に骨を折って下さっているのに」

 フィリップ・ゴルゴンゾーラの発言に横に居たルーシー・カマンベールが異を唱える。


「そう言うがルーシー殿。あの娘は俺なんかよりもずっと頭が回る。あいつの案は必ずみんなに利益が有る。俺などが上から押し付けると領主間に不和を招くだけだ。場合によっては俺が悪役になってあいつに最善策を提示させるという手もある」

「あっ! ならこの間の会議の時もそれでしたのね」

 ルーシー・カマンベール驚きの声を上げた。


 領主代表での会議の折、フィリップは初めに入荷される七基の大型織機の五台をゴルゴンゾーラ領のクオーネ周辺に設置ようと提案していた。

 主家であるゴルゴンゾーラ家の要望に口を挟まれず、他の領主たちは残りの二機の設置を議論し始めた時に、セイラ・ライトスミスが異を唱えたのだ。

 結局セイラが七機を未設置の七領地に振り分けてクオーネの近くの河辺の村を拡張してすべての織物をそこに集約させる案を強引に通してしまった。

 ゴルゴンゾーラ卿が折れた形でゴルゴンゾーラ領以外の地に織機が一機ずつ配置される事となった。

 セイラとライトスミス商会への州内の各領主たちの信頼度はこの一件で大きく上がったのは間違いない。

 ゴルゴンゾーラ家にも織物の集積場所という特典で損をさせずに工場誘致を納得させてその手腕にルーシーも驚いたものだった。

 それが実はゴルゴンゾーラ卿が悪役になりセイラへの信頼を高める事で州内の軋轢をなくすためだったとは。


「ルーシー殿。これでどうにか州内は固まった。ライオル伯爵領という明確な敵もいる。これからアヴァロン州として打って出るがその尖兵はカマンベール男爵家だ。腹を括ってくれ」

「それを何故私に仰るのですか?」

「ルーク殿とメリル殿は男爵家の表の顔だ。貴族として商売ごとやそれに類する謀に首を突っ込むのは感心できない。それに比べて貴女は経験豊富でしかも内政にも外交にも頭が回る。俺と同じ立場なんだよ」

「私は女ですよ。家格も違い過ぎます。フィリップ様と同じではありません」

「貴族としてはそうかも知れんが、裏で動く事に性別や家格は関係ないね。ライトスミス商会を動かしているのはセイラ・ライトスミスとメイド達だろう。ましてや貴女はその母親のレイラ・ライトスミスの従妹じゃないか。王立学校での成績も調べさせて貰ったよ。…だからこそ…腹を括ってくれ」


【2】

 翌日カマンベール領内から州兵の撤収が始まった。関所も依然と同様に解放された。

 その一報はライオル伯爵家に直ちに届けられた。

 ライオル伯爵家は冬の一件が有るので、今回はオーブラック商会が直接入らず、息の掛かった商人達に行かせることにした。

 そしてライオル伯爵領から毛織物と日用雑貨を積んだ馬車が続々とカマンベール領に流れ込んで行く。


 数日かけてカマンベール領内を回り日用雑貨を売り、その後は州境を越えてクオーネや周辺領で毛織物を売り捌いて行く予定だった。

 ところが馬車で半日の領主館からさほど離れていない村で大きな市が立っている所に遭遇した。

 カマンベール領で織られた毛織物や食品の買い付けで来た商人達が、各々自分たちが扱う南方の商品を持ち込んで市を立てているのである。


 香辛料や茶葉に酒精強化ワイン、王都でも評判のハウザー産のコーヒー豆やスコーンやビスケットと言う焼き菓子迄並んでいる。

 仕入れて直ぐに北部に持って帰ればかなりの儲けが見込まれる。物品販売にやって来た商人達は手持ちの金は乏しい。

 日用品の売買で領内を回ったところでこれだけの商品だ出回っているカマンベール領で売れるとも思えない。毛織物はカマンベール産の生地の方が安くて質も良い。

 躊躇う者はいなかった。

 嵩張る毛織物を安値で売り払ってその金で南部の産物を変えるだけ買い付けて馬車に積んで翌日にはライオル領に戻って行った。


 小売りの商人達はオーブラック商会に搾取されることを嫌い、次からは空荷で関所を越えてカマンベール領で買い付けをしてライオル領やリール州そして州外でもで売り捌いて行った。

 その結果ライオル州での毛織物はだぶつき、反対に現金はどんどん出て行ってオーブラック商会のライオル伯爵領内の経済は回らなくなっていった。


「ルーシー殿面白い事を考えたなあ。市の品は殆んどライトスミス商会から貴女が仕入れた品だろう。市場の商人も買付商も領民とライトスミス商会の使用人じゃないか。リール州の商人を招き入れる為に市を立てると俺の目に狂いは…いや、素直に恐れ入ったよ」

「これは、セイラさんがゴッダードとメリージャで同じ様な事をしていると伺ったからですわ。現に小型の河船が毎日往復してアヴァロン州の色々な商人達が市を開きに来ていますし」

「その商人もカマンベールのチーズやベーコンや毛織物を買い付けて帰って行くんだろう」

「ライオル領がもっと北西部諸州で売れるものを作っていればこのような事にはならなかったのですよ。あの一族の自業自得ですわ。私たちカマンベール家はこの四年で色々と教えを乞い努力してきたのです。初めの二年は苦しかったけれど聖教会教室と工房のお陰で識字率も上がり算術も普及して、農地の運用や牧羊も変えてこの二年ではっきりと成果が上がり始めていますもの。知恵は盗まれない…本当にその通りですわ」

「ああ、聖教会教室で教えているあれだな」

「ええ、この三つの誓いのセイラ様ってセイラさんの事だそうですね。セイラカフェで修行した娘たちに聞きましたわ。なんでもセイラさんの口癖だとか」


「こうやって商人の出入りが続けばこの村が街になるのもそう遠い先じゃあないな」

「そもそもリール州が領民の搾取ばかり考えずにもっと売れるものを作っていればこんな事にはならなかったのですよ。少なくとも空荷の馬車が買い付けに来るような愚かな事は起きなかったのに」

「ライオル伯爵領か…。あの土地はあんな愚か者に治めさせるのは勿体ないなあ」

 猛獣のような笑顔を見せて北の関所を睨むフィリップの横顔に戦慄を覚えるルーシーだった。

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