第150話 悪寒

【1】

 そろそろ日差しが強くなり始めて張るから初夏にかかり始める頃だった。

 ライオル領の在る村で子供たちが次々に悪寒を訴えだしたのだ。

 発熱に咳きやのどの痛み、鼻水…風邪の症状のようで特に気になることも無く、発熱も直ぐに収まった。

 それが数日を置いて高熱を発し全身に水疱が現れだしたのだ。

 そして同様の症状を発する大人たちも現れ始めた。


 夏の収穫期を前にして、領内の人々の行き来は多くなっている。

 周辺の村々でも次々に同様の症状で寝込む子供たちが現れ、それが大人に広がってゆく。

 症状を見れば医者に見せるでもなく誰でもが知っている病であった。

 麻疹でである。


 一度免疫が出来れば罹ることは稀であるが、北部諸州では二十数年麻疹の流行は無かった。

 また一昨年からライオル領では大量の織機の購入や羊毛の買い付けなどの経費を負担すべく、大幅に税率を上げており領内の庶民の暮らしは困窮していた。

 要するに領民は飢えており昨年の冬以降の栄養状態が悪化して免疫力が低下している状況での流行である。


 感染力の強い麻疹は、中世から近世においては天然痘と並ぶ致死率の高い感染症で、免疫を持たない集団での致死率は三割に届くと言われている。

 又免疫力を低下させるため合併症も発症しやすく体力が衰えていればひとたまりも無い。

 その恐ろしい病が発生したとライオル伯爵家の領主館に連絡が入ったのである。


 直ぐに伯爵は領地兵を動員して麻疹の発生した村々を封鎖し村人の移動を禁止したた。

 しかし小麦の収穫は数ヶ月先で村には食糧はほとんど無い。小麦の収穫を担保にして通いの商人から食料を買っていたのだ。

 村の封鎖に対して伯爵家からは何一つ援助も無く、病と飢えで農村の怒りは爆発した。

 そうして逆らう村人は領地兵に鎮圧され殺され疫病の村々は病人と手入れの行き届かない青い麦畑だけが残った。


 しかしそれだけでは終わらなかった。行商人を介して都市部にも広がり出したのだ。

 たまりかねたライオル伯爵は聖教会に救援を求めた。

 教区の総括であるシェブリ大司祭に縋ったのだ。

 派遣されたヘレナ・ギボン女司祭にライオル伯爵は窮状を訴えた。

「このままでは領城郭内はおろか領主館内まで感染者が出てしまう。どうにか治癒魔法で鎮静化して貰えないだろうか」

「もし感染者が出た場合は解熱の治癒が有効と言われています。高貴な治癒魔法ですのでご喜捨によっては領主一族には施す事が出来るでしょうが、準貴族や平民に施されるほど誰にでもできると言う者ではありませんよ」

「ああそれをうかがっただけでも胸のつかえがとれ申した。その時はお望みのままにご喜捨いたしますので良しなにお願い致します」


「その上でギボン司祭様、聖女様をお招きして治癒にあたらせる事は出来ないのでしょうか? 南部や西部では聖女様が村々を回って治癒にあたる事が有ると噂に聞きました」

「何を仰られているのです。聖属性とは神より遣わされた天与の力。聖別を受けぬ愚民に施されて良い者では御座いません。あの背教者のジャンヌは天与の属性を笠に着て、聖属性と偽って平民どもを騙しておるのです」

「左様なのですか? それでは聖属性を持つ聖女様が」

「教導派の信徒たるライオル伯爵が…嘆かわしい事です。あのジャンヌは清貧派の信徒集めのために世間を謀っているのですよ。あのジャンヌは洗礼式のすぐ後に清貧派に連れ去られました。聖年式も清貧派の大聖堂で成されて、清貧派の手駒になっているのですよ」

「ならば、聖属性と言うのも本当かどうかわかりませんな。偽りの聖女だったのですな」

「その通りです。そこで今回の疫病禍についても私に考えが有ります。カマンベール領は三年前にジャンヌが訪れて領民を洗脳して帰ったのですよ。それ以来聖女ジャンヌの手駒になり果てています。ここでカマンベール領と聖女ジャンヌに鉄槌を下してやるのです」


「それはシェブリ伯爵家…いえシェブリ大司祭様みずからカマンベール男爵家を叩くと考えて宜しいのでしょうか」

「誰がとは申しあげません。私が来た事をその証左として考えていただいて構いません。ライオル伯爵家も色々と遺恨がおありのご様子。私の下でしっかりと励まれれば悪いようには致しません。あなた方の協力が有ればきっと神がほほ笑むことでしょう」

「ええ、分かっておりますとも。ライオル伯爵家一同全力を持って支援させていただきますぞ」


【2】

 閉鎖されている村々にライオル伯爵家から使いが派遣されたのはその翌日であった。

 くたびれた馬に引かれた大きな馬車が領兵たちと一緒にやって来た。

 水泡を発し高熱の喘ぐ村人たちは次々と領兵に追い立てられて馬車に乗り込まさせられた。

 馬車には聖教会から派遣された聖職者がつき従い、集まった村人たちから少し離れたところで人々に語りかけた。


「村の皆様。お聞きなさい。この熱病は神がこの領内に下された試練なのです。悪しき行いに身を染めたものへの裁きなのです。悪魔に魅入られた者達への罰なのです。聖教会が用意した馬車にお乗りなさい。水と糧を用意しております。さあ神の身許に近づくのです」

 そう告げると聖職者はそそくさと帰って行く。

 馬車の中に水と幾ばくかの黴た硬いパンが投げ込まれる。

 患者たちは追い縋る家族たちと無理やり引き離されて馬車は走り出す。


「ギボン司祭様、これで宜しいでしょうか?」

「上出来です。ライオル伯爵様」

 村を見下ろす高台に馬を止めて二人は事の進捗を見ていた。

 子供を連れ去られた親たちが、馬車の後を追いついてきている。

「あの者達は如何様に致しましょう?」

「後々禍根を残すと思うならそのまま付いてこさせますか? 感染している可能性も有りますが」

「刈り入れの手が足りなくなりまするので十代半ば以降の者は引き離して帰らせましょう。それより若い者は前の麻疹の流行した時に生まれておらぬので感染している可能性が高い。ついて行かせても構わんでしょう」

「ではその様に指示をお願い致します」

「おい! 伝令! 領兵部隊長にその旨伝えてまいれ。伯爵の命令だと伝えてな」


 丘を駆け下る伝令を見ながらライオル伯爵は呟く。

「まあ仕方ない。あと四つの村を今日中に回らねばなりません。次の村に向かいましょう」

「それならば聖職者を先ぶれで遣わしましょう。騎兵を幾人かつけて頂けませんか。修道士たちを馬に乗せて各村に運んでいただきたのです。そうすれば本隊が到着する前に警告が出来ます。少しでも事が速く運び疫病が我らより遠ざかる為にも」

 そう言うとヘレナ・ギボン司祭は悪びれる事も無く聖印を切り頭を垂れた。

 ライオル伯爵は司祭のその行動に白々しいものを感じつつも彼女に倣って聖印を切り頭を垂れた。

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