第151話 麻疹
【1】
ライオル領との境界の関所から多数の農民がカマンベール領に追い立てられてきたと領主館に早馬が入った。
状況が分からず困惑しつつもルークが確認の使いを手配していると、次々に他の関所からも早馬が駆け込んでくる。
どうも大きな馬車とそれに追い縋る民衆をライオルの領兵がカマンベール領に追い立てている様なのだ。
ルークは状況を正確に確認すべく、領主館に本部を立ち上げて父の男爵に管理を任せると、一番近くの関所に向かった。
関所の前は泣き叫ぶ群衆とそれを蹴倒して関所内に入れまいとするライオル領兵とのもみ合いが広がっていた。
カマンベール領側は管理の役人が数名と警備の兵が三人いるだけで、収拾をつける事が出来ない。
ルークは二騎の騎兵を連れて、群衆とライオル兵の間に乗り込んだ。
「静まれ! これは一体何事だ! 隊長格の者は誰だ! 説明せよ!」
ルークの怒声に尊大そうな鎧の騎士が修道女らしき女性を伴って現れた。
「この者たちは神の怒りに触れたのだ。ここを通す事はまかりならん」
ルークは周りの周りの群衆を見渡したが貧しい農民たちだ。
「何を戯けた事を! ただの無力な農民では無いか。領兵として守るべき民では無いのか!」
「その者たちは神の怒りにふれ悪疫に囚われた者たちです。聖教会は正しき信徒を守るために領内に住まわせるわけにはまいりません」
「悪疫に囚われた?! 病人なのか? 疫病の罹患者か! 其方聖職者でありながら慈悲は無いのか!」
ルークは馬を降りると馬車に歩み寄り幌を打ち払った。
中には全身に発疹が生じた麻疹患者が押し込まれている。
「馬鹿な! 麻疹じゃないか。何が悪疫か! 何が神の怒りか! 疫病ではあるが追放など聞いたことが無い!」
「教区の司祭様は申された。そ奴らは悪しき行いに身を染めた結果、疫神に魅入られたのだと。悔い改めても遅いと」
「詭弁も甚だしい。伝令! 直ぐに領主館に戻り各関所周辺の空き地に天幕を張って病人を収容する用意を進めよ。ただの麻疹の患者だ。各村から過去に罹患した者を集めて患者の救助に当たらせろ。それから領主館の聖教会に言って聖導師様に来ていただくようお願いしてくれ」
「清貧派の聖導師如きに何ができると言うのです。せいぜい棄民共に慈悲をかけてともに滅びればいい」
ルークが兵たちに指示を出している間に鎧の騎士と修道女は姿を消していた。
「教導派聖教会よ! 己らそこまで堕ちたか! 人倫を踏みにじってそれでも人か! ライオル伯爵! お前が人を踏みにじるなら、我がカマンベール家はその足叩き切ってやるから覚悟しろ!」
【2】
「棄民たちを受け入れてしまった以上は、今の王国法では彼奴らの行為を裁く事は出来んな。疫病の場合、感染者の処置は領主に一任されている。村落の閉鎖、感染者の強制隔離、その中には感染者の放逐も記載されている」
領主館でフィリップ・ゴルゴンゾーラが思案顔で話している。
「それでも他領に追い立てると言うのは道理に外れておりましょう。ましてや他州の関所を押し通してですよ」
ルークの妻、メリル・カマンベールが憤懣やるかたないという表情で告げる。
「道理に外れていても関を通して受け入れてしまっては許可したと同じに見なされる。あの場合棄民を押し返すべきだった。天幕迄張って受け入れてしまっては異議の申し立てが難しい」
「あの哀れな棄民たちを押し返す事は死ねというのと同意語ではありませんか! 私は主人の成した事こそ人の道に適った真っ当な行いだと胸を張って申し上げますわ」
メリルは鼻息も荒く言い放った。
「ああ、解っている。理解しているし、あの時点であれ以上の方法が無かったことも認める。ルークの判断は正しいんだ。王法こそが間違っているだが、それを糾弾する良い方法が思いつかない」
「とにかく今は放逐された人々の治癒と領内への感染防止が先決ですわ」
「ルーシー殿の言う通りだが、治療については有効な方法が無い。物資の調達については早船で各領地に連絡を入れて協力をしてもらおう」
「フィリップ様がいてくれて助かりました。ルーク兄様とルシオ兄様の二人では現場の指揮だけで手いっぱいで物資の調達や領民への対応が遅れてしまうところでした」
「ああ後方の対応は任してもらおう。出来れば川船以外の関から出立は原則的に禁止して欲しい。入領も応援に入るものに限定して不用意な行き来は抑えてほしい」
「川船はどういたします?」
「川船の船着き場になっている村の出入りのチェックを強化して、村内での物資の受け渡しに限定してくれ」
「エンキー、船着き場に使いを出してちょうだい。村人も麻疹にかかった事の無い者は近寄らせない様に言ってください。それから子供たちは聖教会に集めて隔離してください。麦もチーズもベーコンも倉庫に有る物は買い上げて下さい。患者に食べさせて栄養を付けさせます。それからうがいと手洗いの徹底と口と鼻を覆う布の作成を領内に告知してください。聖女ジャンヌ様から以前に教えて頂いた検疫対策をすぐに実行するように通達を」
「ルーシー殿。やっぱりあんたは凄い。さすがはレイラ・ライトスミスの従妹、セイラ・ライトスミスの又従姉妹だ。やはり血筋か? カマンベール家は女で持っているって昔から言われていたからなあ」
「それでしたら聖女様やセイラさんの方がご立派です。そうですわ! 聖教会を通してジャンヌ様におすがりする事は出来ないでしょうか。ジャンヌ様なら何か良い治療手段をご存じかも知れませんから」
「打てる手はすべて打て見るに越した事は無ない。単独でも使いを出そう。ただレスター州は遠い。それに聖女様が何処に居るか分からないから連絡がいつになるか解らないぜ。間に合うかどうか何とも言えないから期待し過ぎるなよ。それに聖教会関係者以外には口外無用だ。患者に変に期待させる事になる」
「しかしやっぱり貴女は凄いよ。王立学校ででも才女と言われただけの事はある」
「そんな事は有りませんわ。レイラお
「そう自分を卑下すもんじゃあ無い。聞いてるぜ十七年前あの事件の時に、侯爵家に嫁げていたかもしれなかったのに。あんたが嫁いでいればモン・ドール侯爵家もあそこまで凋落する事は無かったって聞いてるぜ」
「バカバカしい。口を挟んだライオル家もそうですが、あんな腐った侯爵家に関わり合いに成りたくも無かったですわ。泥船に同乗するつもりはそもそも御座いませんでしたから」
「あんたの意中はエンゲルス男爵令息だったなあ。王立学校では同期だったんだ。惜しい奴を亡くしたと俺も思うよ」
フィリップはしみじみと言った。
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