第152話 船客

【1】

 始めての長旅でオスカが興奮して走り回っていたが、疲れたようで今は爆睡している。

 ここ迄の船旅は東風が吹いたおかげで順調だ。艪と帆だけでもかなり進む事が出来た。

 それでも船はもうカマンベール領に入り流れが強くなり出したので曳き船の為に水子達が近隣の村から来た役夫と牛や馬の準備を始めいる。

 しばらくして船が動き出した。大半の水子は役夫と共に船を曳いているが数人が帰って来た。


「お嬢さま。なにやら領内でトラブルが発生しているそうです。詳しい事は判りませんが、関所の通行制限が強化されるそうなんです」

「またライオル領が悪事を仕掛けてきたのかしら。引き船の水子達に武器を携帯させてちょうだい。盗賊の襲撃に気を配って警戒するように、四方に気を付けて危険なら役夫たちを逃がすようにお願いするわ。盗賊船は無いと思うけど船の物見も強化してね」

「わかってやす。役夫たちにも奥様や坊ちゃまにも指一本触れさせやせん」

「ありがとう。今回ばかりは全面的にお願いするわ。その為にあなた達を雇ったのですし」

 そう、今回はオスカルを連れての帰郷と言う事で船便もカマンベール宛ての物ばかりで、途中の領地では休憩以外停泊はせず一直線にここまで進んできた。

 普段なら一週間以上かけてあちこちを回りながら旅をするのだけれど今回は三日でここまでやって来た。

 水子も冒険者ギルドを通して腕に覚えのある外洋船の水夫たちを雇い入れていた。


「お母様、村の役夫からの情報が入りました。関所の検問に規制が掛かっているそうです。ミシェルとルイーズは陸地に異常が有ればすぐに引き綱を切れるように気を配っていて」

「わかりましたわ。アン、もうすぐカマンベール領主村の船着き場なので滅多な事は無いと思うけど、すぐ動けるようにオスカルを起こして着替えさせたちょうだいな」

「はい、奥様」

「冬にも盗賊が出たと言っていたわねえ。あのライオル伯爵家どうにかしてやれないものかしら。なにが有ったか知らないけれど、またあの一族が画策しているに違いないのですわ」

 ライオル家憎しで凝り固まっているお母様の決めつけも良くは無いけれど、前回の事も有るので先ずライオル伯爵絡みであることは間違いないと思う。


「お嬢さま! 伝令船がやってきました。一旦船を停めます」

 横付けにされた小型船から役人が船に上がってきて私たちに告げたのは盗賊よりも衝撃的な、ライオル領から疫病の患者が大量に流入してきていると言う事実だった。


【2】

「危険な疫病患者が流入しているってどういうことですか?」

 船着き場についたら、すでにメリル様が私たちを迎えに来てくれていた。

「どうもこうも無いのよ。ライオル家の悪魔たちが、自領で発生した疫病患者をカマンベール領に追放したのよ」

「そんな非道な事が許されるのですか!」

「許す許さないの話じゃないの。あの鬼畜共はそれをやったのよ。せっかくレイラとアンがオスカルちゃんを連れて来てくれたのだけれど、このまま船を降りずに帰るべきよ」

 メリル様の言葉は一理ある。状況によってはそうすべきであろうけれどただ逃げて帰る訳には行かない。


「メリル義従姉ねえ様の仰ることは判ります。状況によってはオスカルとセイラはアンと一緒に帰らせますわ。ただわたくしは手をこまねいて逃げ帰るつもりは有りませんの。お手伝いできることはさせて下さいまし」

「お母様! 何故私まで帰らされるの! 私だって残ってお手伝いさせてもらいます。商会員だっているんだし、支援物資の調達だって…」

 中世の疫病と言えばペストやコレラだろう。天然痘ならかなりヤバい。経口補水液の使用や感染防止手順などはアドバイスできる。


「セイラ! お黙りなさい! どこに自分の大切な娘を死地に連れて行く親が居ますか! これだけは譲りません」

「いくらお母様の命令でも私だって譲れないわ!」

「貴女はまだ未成年なのですよ。良家の娘は親の言う事に従う者ですわ」

「もう十五です。今年は成人式です。子供じゃないわ。それにお婆様から聞いたわよ! お爺様が無くなった時も勝手に奨学金の申請をして平民寮に移ってしまったって」

「それは王立学校の時ですわ。成人式の後の話ですわ。貴女は未だ王立学校にも入っていないのよ」

「お婆様は予科の時からそうだったって仰ってました。何でも一人で決めてお婆様の言う事なんて聞かなかったって」


「二人ともいい加減になさい! あなた方はもう…。レイラとセイラさんは、本当に叔母様と喧嘩しているレイラを見ているみたい。ハッキリ言うわ! 二人ともすぐに帰りなさい。貴方たち迄巻き込まれることは無いのよ。これはカマンベール男爵家が対処すべき事なんですから」

「「でも」」

「でもも何も無いわ! これは次期領主婦人としての命令です」

「でもメリル様。せめて事情だけでももう少し詳しく教えてください。いったい何の病気なのですか? それによっては外からでも手助けする事は出来ます」

「そうですわメリル義従姉ねえ様。ライオル伯爵家が何をしたか説明してくださいまし。報復手段はいくらでもありますわ」


「ライオル伯爵家が領兵を動員して麻疹の患者を関のこちら側に追い払ったのよ。それも教導派聖教会のお墨付きまで貰って。悪疫患者は背徳者だと聖職者を使って喧伝しているの」

「麻疹?!」

 私はその言葉に一瞬脱力した。

 麻疹と言われると子供が罹る病気で熱と発疹が出る病気で…そこまで大変な病気なのだろうか?

 私はお母様の顔を見た。


 お母様は心なしか青ざめた表情でメリル様に言った。

「オスカルは去年罹ったわ。セイラも罹っているから大丈夫よ」

「お母様? 麻疹ってそんなに大変な病気なのですか」

「ゴッダードでは八年前と去年も感染者が出ましたよね。子供は罹っても治るのですが、大人が罹ると死ぬことが多いのですわ」

 ああ、それは聞いた事が有る。

 前世でも大きくなってから麻疹は重篤化しやすいとかで、乳幼児期のワクチン接種を推奨していた。


 メリル様少しホッとした顔で頷いた。

「安心したわ。セイラさんはオスカルちゃんの様子を見て大したことは無いと思ったのでしょうけれど、ライオル領の難民は飢えと寒さで酷い有様だったの。事件が起こって六日経っているけどすでに亡くなった人も何人もいるのよ」

「メリル義従姉ねえ様、それでは正式にお願い致しますわ。わたくしとセイラそしてアンも出来る限りのお手伝いを致します。ここの留め置き下さいまし」

「ミシェルとルイーズも私と同じ時期に麻疹を済ませているわ。駐在の商会員で麻疹を済ましていない娘がいたら交代させた方良いかしら。船でクオーネ迄帰らせてカマンベール領のバックアップにあたって貰いましょうか」


 荷下ろしの指示を任せているルイーズとミシェルを見ながら考えた。

 前世知識で麻疹の治療方法は何が有っただろうかと。

 予防のためのワクチン接種は無理だ。ワクチンなんて簡単に作れないから論外だけれど、マスクにうがいと手洗いは効果が有るだろう。

 アルコール消毒も効き目は有るか…?!


 予防はともかく治療方法は何だったろう?

 私(俺)の記憶に有るのは、冬海が一歳の時にワクチン接種前に麻疹にかかってしまった時の事だ。

 夜中に高熱が出て夫婦で慌てて夜間救急センターに駆け込んだんだよな。

 あの時の医者の言葉を思い出した。

『解熱剤の座薬を処方しておきます。麻疹にかかるとこれと言った治療方法が無いので水分をとらせ安静にして…』

 …治療方法が無い。

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