第153話 疾病対策

【1】

 オスカルはアンとルイーズに連れられて聖教会に向かった。

 子供たちは今聖教会に隔離されているそうだ。カマンベール家の子供達も例外ではなく、ルーク様やルシオさんの子供達も聖教会で寝泊まりしているそうだ。


 私とお母様はメリル様と一緒に領主館へ向かう。対策本部が領主館に設置されているからだ。

 領主館に着いたら早速うがいと手洗いを進言してマスクを作らせよう。

 そんな事を考えながら村に入り領主館の玄関で馬車を降りた。

「二人とも入る前にここでうがいをしてちょうだい。それから私の言う通りのやり方で手を洗ってちょうだい」

 メリルさんが私たちに指示をする。

「あら、手洗いも上手なのね」

「ええ、ライトスミス家では外から帰ったら手洗いは義務よ」

 メリル様とお母様が楽しそうに話している。

 私は肩透かしを食らった気分だ。


 おまけに館の中に入るとマスクをしたメイド達が忙しげにサワーオレンジを絞っている。砂糖と塩を入れた清水にその果汁を入れて隔離キャンプに送る飲料水を準備していた。

「おおレイラ! セイラ殿! 迎えにも行かずに済まん」

「いいえ、叔父様このような緊急の時ですからせめて何かお手伝いが出来れば。何でもお命じ下さい」

「男爵様、お聞きしたいことが御座います。うがいや手洗いやマスク、これはいったい…」

「ああ、綿布が沢山あって助かったぞ。どうにか隔離キャンプで皆に行き渡るだけのマスクは配り終えた。どうにかサワーオレンジを手に入れる事が出来たので重症者用の飲料水も作る事が出来ていおる」

「まあ、高価な砂糖を使われているのですか」

「ああ、幼児には蜂蜜は毒だからな。間違って飲まさぬためにも砂糖を使っておる」

 私の拙いチート知識は出る幕が無かった。


「叔父様、良くマスクなど、よくご存じでしたわね」

「ああ、聖女ジャンヌ様が推奨しておられる疫病予防の手引きに沿って対処しておるだけじゃ。其方らもここに居る間は付けていて貰うぞ。万が一と言う事も有るからな」

「男爵様、そのジャンヌ様の役病予防の手引きを見せて下さいませんか。これからお手伝いする参考になりますから」

「おお、良いぞ良いぞ。しっかり読んで手伝っておくれ」


 お母様と二人で読んだ聖女ジャンヌの手引書は良く出来ていた。

 手洗いのやり方やうがい、鼻うがいから始まって、体温管理やマスクの使用方法、経口補水液に作り方、トイレの管理や吐瀉物の処理の仕方まで細かく書かれている。

「まあ、これは凄いですわね。さすがに聖女様ですわ」

「ええ、此処の過程でこれが実践できれば麻疹の流行も終焉しますね」

「でも屋外の臨時テント村ではここまでの事は難しいですわね。叔父様が”ライオル領からは未だ次々に患者を運んできている”と怒っていらっしゃいましたわ」


「そうだわ。これ以外にも私に出来る事が有るわ。お母様、私商会の支店に行ってまいります。お母様はお屋敷の方に協力して貰って霧吹きを集めて頂けないかしら」

「わっ…分かりましたけれど、いったい何をするつもりなのですか?」

「消毒…殺菌…、聖女様の手引きに書いてある病の元を退治するものです。手洗いやうがいで病の元を洗い流せますが、アルコールで殺す事が出来ます」

「そうなのですか?」

「そうなのです」


 殺菌用のエタノールは60%以上の濃度が必要だった。

 最近蒸留したものの中に60%以上の度数まで濃度を上げた者が有ったはずだ。それの樽を消毒用に使おう。

 130プルーフの三樽を館に運び、試しに霧吹きに入れて吹いてみた。

 いい具合に霧になり広がってくれた。ちょっとベタベタするのが難点かな。


 領主館の広場では重篤患者を集めた隔離テント村に向かう馬車に積み込む荷物の仕分けと人員の交替作業の指示をゴルゴンゾーラ卿とルーシーさんが一緒にあたっていた。

「ゴルゴンゾーラ卿…いったい何時からこちらに」

 お母様が驚きの声を上げる。

「事件の連絡が来て直ぐにこの領に入った。領地間の問題じゃなく州の問題としてこっちで交渉に当たっているんだ。聖教会絡みで厄介なんでな」

「ゴルゴンゾーラ卿からクオーネのシシーリア・パーセル大司祭を通して聖女様にも御報告が入っているそうですわ。教導派の為され様に激怒されたとか。マリボー男爵領に要らしたそうですが、急遽こちらに向かわれたと早馬で連絡が入りましたの」


 聖女ジャンヌ・スティルトンが来るのか。手紙のやり取りはしていたけれど合うのは初めてになるなあ。

 馬車で陸路をやって来るとなると東部回りで直にライオル領に乗り込む可能性もあるけれど。

 まあそれでも七日以上は先の事にはなるだろう。


 私がそんな事を考えている内にお母様がルーシーさんに霧吹きを渡して消毒の説明をしていた。

「……と言う訳で、こうすれば消毒? 殺菌? とか言う事が出来るそうなのですわ。セイラがそう申してましたから」

「蒸留酒でそんな事が出来るのか?」

「フィリップ様、ほら聖女様の手引きにあった消石灰を撒くとか木酢酸で拭くとかと同じではないでしょうか」

「そうなんです! それに木酢酸よりも効果が有って肌にも優しいのですよ」

 私も勢い込んで解説する。


「おーい! 聞こえたかお前たち。これから俺がその消毒をしてやるから両手を広げて俺の前に順番に並べ!」

 ゴルゴンゾーラ卿は警備の州兵や手伝いの村人たちを呼び集めて言った。

 そうして並んだものの両掌に霧吹きでアルコールを吹きかけて行く。

 …吹きかけて行く。

 吹きかけて…。

「コラー! オヤジ! さっきから吸ってるでしょう。何をやってるんですか!」


 このオヤジ、一回吹きかけては二回吸い込んでを繰り返してやがった。

「バカ、これはなあ。慣れてないから上手く吹けねえだけだ。慣れりゃあ上手く吹けるって。練習が必要なんだよ、練習が」

「何が練習だよ。却下だよ、却下! あーあ、たった三人でもう半分近く無くなってるじゃないですか。ルーシーさん代わってください」

 私はゴルゴンゾーラ卿から霧吹きを取り上げるとルーシーさんに渡した。

「ほんとにもう、フィリップ様は。真面目にやってくださいまし。メッですよメッ!」

「貴女たち二人ともゴルゴンゾーラ卿にその口の利き方は…」

 お母様が狼狽してオロオロしながら言った。


「お従姉ねえ様、フィリップ様にはこれぐらい言っておかなければ聞いて頂けないのですよ」

「そうだよお母様、この方は酒が絡むと父ちゃん以上に質が悪いんだから」

「ひでーな! オスカーよりはマシだろうが」

「そんな事は有りません! わたくしの夫は人前ではちゃんと節度は守っております」

 お母様にも怒鳴られてゴルゴンゾーラ卿は萎れてしまった。


 この後はルーシーさんに交代して作業員たちのアルコール消毒が行われて行った。

 私はお母様に部屋の隅に引っ張って行かれた。

 さっきの言葉遣いを咎められるのかと思ったがそうではないようだ。

「セイラ、ルーシーとゴルゴンゾーラ卿はこの事件以前に会った事は有るのかしら?」

「そうね、船便を始めてから織機の視察で度々ご一緒していると思うわ。ああそれにクオーネで織機導入の説明会と契約の時も会ってると…多分あの時に初めて会ったんだと思うのだけれど」


「…ゴルゴンゾーラ卿って貴女の目から見てどんなお方なのですか?」

「貴族らしくない…高位の貴族らしくないお方ね。三男だから跡継ぎになれないのは心得ているようで、どちらかと言えば自領…州とゴルゴンゾーラ家のお金儲け…経済的な利益のために尽くしていると…。独立しても公爵家なんだから子爵程度の爵位貴族で分家できそうなものなんだろうけど、そちらにはあまり興味が無いようね」

「お父様とは仲が良さそうだけれども」

「性格が似ているからかしら、会えばよく一緒に飲んでるし、気さくな方だから父ちゃんもあまり遠慮は無いようだけどね。ただ頭は切れるし腹の内は全部は明かさない。商人としては父ちゃんには及ばないけれど、貴族だけ有って政治的な勘所はキッチリ抑えに来るし遠慮が無いよ。この点では私の知っている貴族中では一二だよ。ボードレール大司祭以上かもしれないね」

「それじゃあ最後に、貴女が最後にあった時ルーシーはゴルゴンゾーラ卿の事を何て呼んでたか覚えているかしら」

「ええ、それはゴルゴンゾーラ卿と…!」

 じゃあいつからフィリップ様呼びになったんだ!?

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