第154話 聖女ジャンヌ

【1】

 ジャンヌは報告を聞いて怒りに震えていた。

 自領内で発生した疫病患者を連行して他領に追放するなどと言う人の道に外れたやり方もそれを是認した教導派聖教会も許しがたいと思った。

 今すぐにでも現地に乗り込んで止めさせなければと考えたが、もう既に事件が起こってから八日過ぎている。

 少しでも早く現地に向かう為にマリボー領での農村の生活支援講習をお付きの聖導女に任せて領主館の街の聖教会に戻った。


 急いでグレンフォードの大聖堂に戻ろうと準備をしていると第二報が入ってきた。

 疫病は麻疹で、放逐された患者は隣のカマンベール領が受け入れて治療にあたっているとの事だ。

 カマンベール男爵領の事はよく覚えている。

 三年前に生活指導に赴いたとき温かく迎えてくれて、考えていた農業改善策を受け入れてくれて、思い切った政策を領全体で実行に移してくれた。

 領主一族は質素で真面目。領民の教育に熱心で領内のすべての村に聖教会教室と工房が有った。

 洗礼式を終えた十歳未満の子供は全員聖教会教室に行く事を義務付けられていた。そしてそこでは平民も準貴族も領主の子弟も一緒に学んでいたのだ。

 一月間の滞在の間、男爵家の家族たちとの交流はこの世界に生まれてから初めて味わった自由で暖かいものだった。


 あの領が病魔に蝕まれる前に、感染者が発症する前に少しでも早く到着しなければ。

 どうにかして食い止めなければあの優しい領地が地獄になってしまう。

 麻疹は免疫が有れば二度と罹らない。そして幼児期に感染すれば体力が有れば重症化する事は無い。

 けれど感染力がとても強く、免疫が無い人が感染すれば必ず発症する。

 おまけに空気感染するので手洗いや消毒、マスクなどでは防ぎきる事は出来ない。

 そして何より怖いのは治療方法が無い事。麻疹ウィルスに効く薬は無いのだ。


 麻疹の潜伏期間は十日から二週間、発症から五日ほどで発疹が出て高熱が続くこの頃が一番危険な時期だ。

 高熱が続くこの時期には合併症も発症しやすく、重篤化して死に至る事もしばしばである。

 かつてラスカル王国で大流行した時にはその致死率は三割を超えたと言われている。

 その前に到着できれば自分の聖属性の力で麻疹の病原を殺して減らす事が、合併症を起こす菌を殺して防ぐ事が出来る。

 死を司る闇の聖魔力を持つ聖女なのだから。


 一旦ゴッダードやグレンフォードに戻って船に乗るのは戻る時間がロスになる。それに上りの船では馬車で陸路を行くのとあまり時間は変わらない。

 一刻でも早くカマンベール領に着くためにこのままマリボー男爵領を立って中央街道を進む方が早く着く。

 マリボーの聖教会からグレンフォードの大聖堂に使いを出して手伝いの人員や物資を手配して送ってもらえるように手紙を託した。


 そしてお付きの聖導女と二人の修道女を伴って馬車で南部諸州を北上して行った。

 護衛の依頼も大聖堂にお願いしていたが、三日後南部を抜けて西部の中央平原にかかる頃にゴッダードの聖教会からジャックたち三人のメンバーが駆け付けた。


「アルビドのおっさんと母ちゃんは他の奴らとクエストに出ている最中なんで俺たちだけ先行して来てやったぜ」

「偉そうにぬかすな。そのクエストはお前が未熟だってメンバーから外されたんだろうが。冒険者ギルドがベテランを集めた護衛クエストだってアルビドさんが言ってたぞ」

「それでヘッケル司祭様に了解を頂いて先に参りました。ヘッケル司祭様もゴッダードで救援物資の手配がつき次第合流する予定です。それまで馬車の護衛は俺たち三人が付きますんで宜しくお願いします」


 ジャンヌは三人の顔を見ただけで今日までの緊張が和らぐのが分かった。

 そろそろ発症者が出始める頃だ。あと五日で西部平原から東部街道を抜けてリール州に入てやる。

 この三人が護衛ならきっと間に合うと根拠も無く思えてしまう。

 何と言うかこの三人と話していると前向きで楽天的な気分になれる。


「ひどい話だなあ。俺の両親や弟妹がそんな目にあわされたらと思うと我慢できないなあ」

 聖堂騎士のポールは兄弟が多いのでまだ幼い弟妹と重ねたのだろう。いつもは温厚な彼が怒りの表情を露わにしている。

「私は何よりもそんな愚行を聖教会が追認しているのが理解できませんよ。聖職者がそんな事をして許されるのですか」

 いつもジャンヌに対してはかしこまった口調で話すピエール修道士は、最近一人称も私に変えている。ヘッケル司祭の影響だろう。

「そんな奴ら俺が全員ぶん殴ってやる。覚悟してやがれ!」

「そんなことしても解決にはならないんだよ!」

「絶対やめろよな。お前がバカな事をするとジャンヌ様に迷惑がかかるんだから!」

 冒険者のジャックが息巻いて二人にたしなめられるのはいつもの事だ。


「教導派の教えでは健康な平民を守るために疫病の患者を切り捨てる事を認めています。それが悪行であるとは説いていないのですよ。特に貴賓にあたる人々を守るためならば仕方が無いと説かれています。ただライオル領で教導派が主張している疫病患者は神の怒りに触れたなどとは聞いたことが有りません。私が行ってそんな主張は叩き潰してやります」

 小娘でしかないジャンヌが一人でどれだけできるかは未知数だが、論戦で言い負ける気は毛頭ない。

 信じているかいないかはともかく聖典や関連する哲学書はしっかりと読みこんで修得している。

 どちらが正しいか市民の前で問いただしてやる。


「その意気だぜ聖女様! 四の五の言うやつは俺がぶん殴って…」

「それがダメだってさっきから言ってるだろうが馬鹿野郎」

「ジャンヌ様及ばずながら私もお手伝いいたします。癒しの魔法もヘッケル司祭に習って少しは習得いたしました」

「お願いします、皆様。どうか力になって下さい。到着までの五日の間ですが、癒しの法は私が教えます。ピエール修道士も他の修道女たちと一緒に癒しの魔法の精度を上げる練習をお願い致します」


 旅は順調に進んでいる。

 そろそろ東部州から街道の分岐点に入る。

 此処から北西部に入りそこから北上するかこのまま東部高原から北部リール州に入りカマンベール領に抜けるか。

 安全を優先するならば北西部のアルゴイ州を抜けアヴァロン州を北上するべきだろう。確実に三日で到着できる。

 しかしリール州を抜けるなら最短でなら明日の昼にはカマンベール男爵領との州境に到着できる。但しその場合はライオル伯爵領を抜ける事となる。

 多分ライオル伯爵領でイザコザが発生するだろうし、ライオル伯爵領にもまだ多くの患者がいるのでその治療も必要だろう。

 そうなれば数日の足止めを覚悟しなければいけない。ジャンヌとしては薄情かもしれないがカマンベール男爵領の治療を優先させたい。


 ライオル伯爵領を叩いて一気に解決を図るか、カマンベール男爵領に入ってそちらの救済を優先させるか悩ましいところである。

 リール州のモルビエ子爵領からカマンベール領に入るにしても明後日の夜半になってしまう。動けるのは三日後だ。

 何よりリール州自体がシェブリ伯爵家とシェブリ大司祭が支配する危険地帯だ。何かの足止めを画策をされることは間違えない。


 仕方がない。

 確実に行ける北西部のアルゴイ州から入ってアヴァロン州抜けるルートでカマンベール男爵領に入ろう。明日の朝は日の出とともに出発して少しでも早くの到着を目指そう。

 そう決断して東部の州境にある小さな村の聖教会に入り宿泊をすることにした。

 頭を持ち上げてくる不安を押し殺し、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせながら翌朝を迎える事になる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る