第155話 疫病禍
【1】
こちらに着いてから三日が立った。
私は関所の隔離キャンプと領主館の対策本部を往復しながら、物資の手配や人員の配置・作業指示・患者の看護と葬儀の手配と忙しく走り回っていた。
この際金に糸目はつけられない。幸いカマンベール男爵領で買い付けた食料や織物は豊富にあるので倉庫に有る物はすべて放出する。
これで滋養の有る麦粥やスープが供給できて患者たちの体力も戻ってきている。
それでもライオル伯爵領での仕打ちが酷かったのだろう。
患者のうち一割近くが死亡し、更に三割以上が重体になっている。
成人の患者に重篤なものが多いが、本来重篤化しにくい幼児も栄養失調気味で熱が下がらない子供たちがかなり居る。
ライオル伯爵領は税も高く農村はかなり貧困で食糧事情も悪いそうだ。
そもそもライオル伯爵領で麻疹患者が大量に発生したのも領主の失政せいじゃないか。その責任に目をつぶり教導派を後ろ盾にして患者を追放するなど以ての外じゃあないか。
何より減った労働力をどうするつもりなんだろう。聞けば刈り入れに必要だと言う理由で発症していない大人は引き離されて村に監禁されたそうだ。
その為発症した子供たちの多くが両親と引き離されていた。
さすがに乳児は追放は免れたそうだが、多分領内ではひどい状態に置かれている事だろう。
領境の向こうでは追いかけてきた親たちや反対に領地から逃げ出そうとする者たちを領兵が追い払っていると聞く。
今でも毎日数人の重症患者が村から逃げ出して領境の関所を越えてくることでライオル伯爵領内の情報が流れてくるからだ。
関所を越えようとする領民を強引に捕縛して連行している領兵も、重症の麻疹患者は遠巻きにして捕まえる事はしない。
どうもライオル伯爵領内での麻疹の猛威は収束しておらず、教導派は癒しの魔法を使える聖職者を動員して防疫に当たらせているようだが芳しくない。
そんな事も有って快癒した子供達を簡単に村に帰す訳にも行かない。
子供達も微妙なようで、親には会いたいが三食美味しい食事が(ライオル伯爵領基準で…)食べられる今の状況を捨ててまで帰ろうと言う気にもならないようだ。
現金なものである。
取り敢えずは回復した子供たちは隔離キャンプの中に聖教会教室の出張所を作って勉強させよう。
回復したら工房も作って簡単な仕事をさせて給料を払ってやれば、その内ライオル伯爵領に戻る時の助けにもなるだろうし。
【2】
「愚かな事だ。疫病を患った役立たずどもを抱えて施しを与えておるそうではないか。貧乏な領地の癖をして要らぬ慈悲心など起こすから抜け出す事が出来ぬようになったようだな」
「ええその様で御座いますね。疫病患者に施すために領民へのしわ寄せが出てくれば、村々の不満も募るでしょうし領民にも感染者が出れば不満が爆発する事は必定。大した領兵も持たぬカマンベール男爵家は対処も出来ないでしょう」
ライオル伯爵とヘレナ・ギボン女司祭との会話は続く。
「なんでも噂ではカマンベール男爵家の一同が総出で看病にあたっているとの事。感染の危険が有る者もいると言うのに愚かな事です。村人ならともかく家族や家臣の騎士達まで感染すれば貴族としての役目も果たせていない証左となるでしょう」
「私はそれよりも清貧派の聖教会が聖職者を疫病患者の看病に駆り出している事の方が問題でしょう。聖女ジャンヌがカマンベール男爵領に向かているとの連絡も入っております。ジャンヌに男爵領内に入られて混ぜ返されても面倒ですね」
「聖女一人に何が出来ると言うのだ。悪疫が蔓延ったカマンベール男爵家は聖女に対する礼金も払う事が出来ぬであろうよ」
「まあそうなのですが、ジャンヌは若輩ながら弁の立つお方。周辺の諸州の貴族や聖教会関係者に要らぬことを吹き込まれるのも煩わしい事です」
「それならばリール州に入ったなら直ぐに確保してライオル伯爵領の治癒と検疫にあたらせてはどうなのだ。まさか聖女の癖に拒否などせんであろう。まあ拒否すればそれで偽聖女として喧伝する事も出来るしな」
「ええ、それはそうなのですが。もし迂回して南よりカマンベール領に入られると厄介なのです。北西部アヴァロン州も清貧派の牙城になりつつありますのでそちらの聖職者を引き連れて入領されると些か手に余ります」
「ウーム、それは…。ギボン司祭殿何とかならぬだろうか」
「ええ、これはシェブリ伯爵家に、いえシェブリ大司祭様におすがりしてみましょう。うまく行けば聖女ジャンヌの権威を落とす事も出来るかも知れませんから」
【3】
事件が起こってから十二日過ぎた。
隔離キャンプの患者たちの容態は収束に向かっている。
それでも全体の一割近くの死者が発生している。
患者は死の前の懺悔や祝福もままならないまま息を引き取って行く。
人数が多すぎて全身の清めや死化粧もままならず棺桶も間に合わない。
聖導女たちが聖水を振り撒いて簡易の清めを行い寝ていたシーツに包まれて遺体の安置所に運ばれて行く。
重篤者テントではいつまでも聖導女たちの嗚咽の声が絶える事は無い。
遺体は三か所ある隔離キャンプから沼沢地の近くに造られた臨時の礼拝堂…と言う名前の大きな掘立小屋仮安置されている。
死者は沼沢地の外れに聖教会が臨時の無縁墓地を作り順次埋葬が行われている。
埋葬作業には派遣されてきたアヴァロン州の州兵と修道士たちが当たっていた。
疫病で死んだ死体は出来れば火葬が望ましいと聖導女ジャンヌの疫病予防の手引き書にも記されているが、北部聖教会の教義上火葬は異教徒の風習として咎められるのが慣習となっている。
その為聖職者にも信徒にも抵抗が有り、全て土葬にされて行く。
それも均等に掘られた穴に一人ずつシーツに包まれて放り込まれ、その上に聖教会教室の子供たちが摘んできた聖花が入れられる。
聖導師が聖油をかけて香を焚き埋葬の儀式が済むと州兵と修道士が墓穴を埋め戻して行く。
老人や大人の遺体が多いが子供たちの遺体もかなりある。
作業にあたる人々は自身の家族て照らして憤りと悲嘆に苛まれつつ作業にあたる。
聖職者はさすがに口には出さないが、作業にあたる州兵たちは口々に教導派とライオル伯爵への罵声を口にする。
黙っていてはやって行けないのだ。
そんな折隔離キャンプにいる私の所に不吉な知らせが届いた。
領主館の聖教会教室に通う子供の間に発熱した子が二人出たとの事だ。
連絡を受けた修道士が発生した家庭に駆けつけて、子供を聖教会に隔離するとともにライトスミス商会のメイドが発生者宅の消毒に向かったそうだ。
発症が子供達だけなら大きな問題にはならないのだけれど、年嵩の子供や大人まで罹患すればライオル伯爵領の二の前になる。
とても嫌な予感が私の背筋を走った。
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