閑話5 教導派の憂鬱(2)

★★

 十二月一日、毎年恒例の教皇猊下の臨席による年末礼拝がラスカル王国王都の王都大聖堂で執り行われた。

 朝の礼拝、と言っても怠惰な上級聖職者がそんな朝早く集う訳もなく、実際には昼前からの礼拝である。


 そして日の暮れる前から信徒と懇談会と言う名目で教導派の上級貴族を交えた乱痴気騒ぎが、平然と王都の大聖堂で行われるのである。

 酒や獣肉は当然で、王都の高級娼館より多数の娼婦が呼ばれてハッスル神聖国の教皇庁から来た教皇をはじめとした枢機卿や大司祭に侍っている。


 そしてその聖職者たちは日が暮れる頃には、酒食に飽きて三々五々割り当てられた部屋に帰って行く。

 当然娼婦たちも聖職者たちと共に居なくなってしまった。


 招待客もそれに合わせたように帰って行き、部屋には主催者側の数人の教皇派幹部だけが残っている。


「まったく、買い付けの使いすらまともに出来ぬとは見下げ果てた奴だ」

「待ってくれ兄上。鹿革は一枚だが間に合ったじゃないか。教導大聖堂騎士団の団長殿も大層お喜びだったし」

 モン・ドール侯爵の前で、リューク・モン・ドール教導騎士団長の叱責が飛ぶ。

「だから間抜けと言うんだ! あちらの騎士団長はこれからもあの鹿革が手に入ると思っているのだぞ! 今回一回限りの取引では意味がない事は知っておるだろう。これからの取引、お前どうするつもりなんだ!」


「そっそれは当然、鹿革を取り仕切っている王都のシュナイダー商店に話を通して…、そうなのだ! シュナイダー商店は今大量の鹿革を持っているはずなんだ。その上代表はエマ・シュナイダーと言う小娘だ。脅しつければどうとでも…」

「呆れたよ。お前はエマ・シュナイダーが何者か知らんのか? 手下のオーブラック商会の小娘にすら後れを取るお前が、エマ・シュナイダーと渡り合えると本気で思っているのか!」

 長兄の前で殊更ケルペス・モン・ドール中隊長の不手際をあげつらう事で、自分の落ち度をウヤムヤにしようと言う意図が見え隠れする。


「もうよい。今更蒸し返しても詮無きことだ。それにオーブラック商会を切って捨てたのはこの私だ。州内での通商権を剥奪した以上、今更私が呼び出す訳にも行かぬのでこいつを使ったまでだ」

「そう仰いますが兄上。そもそも懐柔策を取ればどうにかなったかも知れんものを…。昨年の春の時もそうだ。もう少し頭を使え、その頭は飾りか!」

「止めておけと言ったぞ、リューク! 罵り合う暇が有れば対策を講じる事を考えろ。何より肝要なのはハスラー聖公国と王妃一派に気づかれぬ様に、秘密裏にシャピでの鹿革の入札に参加して出来るだけ確保する事だ」


「分かりました。出来れば商船団をペスカトーレ侯爵領にあるアジアーゴに引っ張って来れれば良いのですが」

「そうだな。当家で商船団を組織してポワトー伯爵家の新規航路を取り上げられればそれに越した事は無い。そすれば清貧派にもハスラーの犬どもにも一泡吹かせる事が出来る。何よりゴルゴンゾーラ公爵家の芽は叩き潰さねばな」


 ★★★

 宴の翌日、早々に教皇一行はハスラー神聖国に向けて出立する。

 昼に王都を発った四頭立ての豪華な馬車の車列はノロノロと中央街道を東に向かい国境へ向かう。

 これから東部諸州を抜けてハスラー聖公国の首都に向かうのだ。

 一日に鐘二つ分程度の馬車旅で泊まる先々で、接待と供物を受け取りながらノロノロと十日掛けてハスラー聖公国の首都に入るのだ。


 教皇の出身のペスカトーレ侯爵領には大きな港がある。ハッスル神聖国も北海の外洋に面した国なのだが、彼らが船を使う事は無い。

 馬車を連ねてハスラー聖公国北部を経由してラスカル王国に入って来る。そして

 自領であるペスカトーレ侯爵領には絶対立ち寄らない。


 要するにハッスル神聖国の聖職者たちの収奪行事であるが、彼ら一行が通る領地の領主はたまったものでは無い。

 そんな事はお構いなしに馬車の車列は進んで行く。


「教皇猊下モン・ドール卿から鹿革の貢物を頂きました。教導大聖堂騎士団長に役立てて欲しいと申しておりました」

「ああ、その事か。なんでも儂にシュールコーを申しておった。それにラスカル王国ではチャップスと言う乗馬装具が流行っておる様で、それも作れそうだが。いったい何が望みなのかのう」


「多分神聖国の縫製技術を試しておるのでしょう。良い物が出来れば教導大聖堂騎士団で採用して頂きたいと申しておりましたから」

「この儂を試すと申すのか? 不遜な事だな。たかがラスカルの教導騎士団長風情が…。まあ良いわ。わが国では皮鞣しなどと言う不浄な仕事はやっておらぬのでな。鹿革が安く手に入るなら、それを加工してラスカル王国に卸す事も可能ではないか?」


「しかしそれならばハスラー聖公国に一日の長が御座いますが」

「それでハスラー聖公国に加工させて、我らが買うのか? 折角こうして得た利益をハスラー商人に暮れてやると申すのか? あのハスラー聖大公の事だ。また法外の値段を吹っ掛けてくるに決まっておるではないか」

「ああ、あの聖大公にも困った物で御座いますな。人の足元を見て利に聡く機を見るに敏なお方ですからな」


「だからモン・ドール卿はハスラー大公の裏をかきたいのであろうよ。リネンも綿花もハスラー聖公国に押さえられておるので、何か起死回生の策をとでも思ったのではないか」

「それで直接閣下に提供してきたと言う事ですな。しかしハスラー商人共に気取られずに上手くやれるでしょうか?」


「それはどうであろうか。先代のモンドール侯爵ならばいざ知らず、モン・ドール卿もその兄のモン・ドール侯爵もまだまだその器で無かろうよ。まあ我らは彼奴等の策に乗って、わが国で加工してラスカル王国に売り付ければ良いのだよ。買取の保証はモン・ドール卿と教導騎士団がやってくれるだろ」


 ハッスル神聖国は宗教国家である。

 各国から選ばれる教皇庁枢機卿三人の中から選出された教皇と教皇庁枢機卿二人の合議態勢で運営されている。

 神聖国は教皇庁大聖堂を中心とする宗教施設群と、それを取り巻く巨大な関係者の住む都市。

 そしてその周辺に都市の消費を賄うための耕作地とそれを耕す農奴の集落から構成される小さな国である。


 収入はほぼ周辺国からの喜捨と、教皇庁が出す聖霊品と呼ばれるお札や聖珠ロザリオ首からかける帯ストラ肩掛けカズラを、法外な値段で売り付ける事だ。

 ただそれらを作る職人は豊富にいる。

 宝飾工房や刺繍工房、服飾工房など多彩な工房が多く存在しているのだ。

 まあ大聖堂や宗教施設の補修や装飾に関わる職人も石工から大工、絵画工房に至るまで在住しているので、技術的な下地はハスラー聖公国以上に持っている。


 ただ量産が効かないのだ。

 しかしこの鹿革製品は需要が知れている。高級品でその供給も不安定な上希少だからだ。

「これならば、数をこなさなくても多くの利益を上げる事が出来るのではないか? 鹿革の供給元さえ押さえられればハスラー大公に利益を掠め取られる事も有るまいよ。当代のモンドール侯爵家が何処迄手腕が有るのかによるがね」

 そんな思惑を乗せ乍ら馬車の車列は一路東へ向かって行く。

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