第68話 亜麻(1)

【1】

 そんな喧騒の中エマ姉のお父さんのシュナイダー氏が訪ねてきた。

ハウザー王国との取引でリネンの生地も扱ってくれないかと言う依頼だ。


 ラスカル王国の北西部諸州はリネンの産地が多い。リネンの布の多くはハスラー聖公国に輸出されているのだが、ハスラーの商人に買い叩かれているのでゴッダードを通してハウザー王国への輸出を図りたいと服飾業であるシュナイダー商店に相談があったようなのだ。


 ライトスイス商会の取扱商品が増えるのなら、もちろん断る理由も無い。

 シュナイダー商店にカーテンやクロスのサンプルを依頼して展示する事でリネンの売り込みも始めた。


 請け負ったリネンの生地はあっと言う間に売れた。それも請け負った提示価格の二倍以上で。

 それだけでは無い。綿の生地も有れば買うと打診されたのだ。それも綿花を売りに来ているハウザーの商人からだ。

 どうもハウザーでは紡織技術が未発達なため良い生地が紡げないそうだ。その為上質の綿製品はハスラー聖公国の商人を通して取引がされているのだが、品薄の上価格も高いと言う。

 ハウザーの商人は入荷すれば連絡をくれと言い残して帰って行ったが、どうも釈然としないので事情を調べる事にした。


 そもそもゴッダードの綿花市で綿花を買い付けに来るのは主に東部諸州の商人たちだ。東部諸州は紡織が盛んな地域なのだ。

 西部や北部の諸州で作られる亜麻も東部に送られてリネンの生地に仕立てられる。

 シュナイダー氏の話によるとそれらはほぼ全てがハスラーの商人の手によって聖公国に売られて行き、その一部がラスカル王国に回って来るそうだ。それもハスラー商人の手によって。


 今回のリネン生地は最近西部のいくつかの村で中古の紡織機を購入して織られた物だそうだ。東部の商人を通してハスラー商人に売ろうとしたところ安値で買い叩かれそうになったのでシュナイダー氏に購入の打診が来たとの事だった。

 そもそもシュナイダー商店でも綿の生地はハスラー商人から購入しているとの事で、東部諸州の商人はリネン生地は卸すがコットンは扱っていない。そのリネン生地も一般庶民向けの物で貴族や王都の市民たちの需要が高い高級品は全てハスラー聖公国を通して輸入されたものだ。


 シュナイダー氏曰くはリネン生地の染めやデザインはともかく生地自体の品質はハスラー産もラスカル産も大きな違いは無いと言う。シュナイダー商店は高級素材を扱う服飾と装飾の専門店なので国内商人とは余り取引が無いらしいのだが、一般庶民向けの生地はみな染色も北部や西部の諸州で行われて主に東部商人を通して販売されていると言う。


 なぜこんな歪な構造になっているのだろうか。

 シュナイダー氏に質問してみたが明確な回答は得られなかった。そもそも昔からそうで、特に疑問にも思わなかったらしい。

 今回の話は西部で付き合いの在る伯爵家を通してその領の商人からの相談であったらしい。リネン生地についてはシュナイダー氏を通して西部のその村で織られたものはすべて買い取ると言う事で話をつける事にした。

 何よりこれでライトスミス商会の扱う品目が生産地ごと一つ抑えられたのだから。


 お母様や父ちゃんにもリネンの生地について聞いてみたが、専門外でもあり目新しい情報は得られなかった。私の伝手でこれ以上情報を得られる場所は聖教会しかない。あまり気乗りはしないが聖教会に出向いて聞いてみる事にした。


【2】

 アニエス修道女見習いとフィデス修道女見習いはお茶を入れると一礼して帰って行った。

「実はリネンの流通について何かご存じないかと思い参りました」

「リネン…っで御座いますか?」

「確かヘッケル司祭様は西部のご出身と伺って、西部と言えば亜麻の産地なのでもしやと思いまして」

「ええ、わたくしの生まれた地域でも亜麻の農家は沢山御座いました。」


 ヘッケル修道士は懐かしそうに話し出した。

「小麦や豆の作付けの合間で、畑を変えて植え付けるのですよ。春に種を蒔くと夏の初めには収穫出来るのですが、一度植えると五年は次の作付けが出来ません。ですので畑を入れ代わり立ち代わり移動して、それは手間のかかる物でした」

「西部の村ではその亜麻を糸にして東部に出荷しているのですか?」

「ええ、糸にして紡いで。出荷先の要望に応じては染色糸を出荷する事も御座いましたね」

「……染色糸。糸を染める事も村々で行っていたのですか?」

「村にもよりますが、染織工房のある村も多く御座いました。色とりどりの染色糸が天日で干されている情景はそれは美しいものでしたよ」

「そこが疑問なのです。そこまで出来て何故? 何故、生地までせずに東部に出荷するのでしょうか?」


 ヘッケル司祭は私の疑問を聞いて破顔した。

「ハハハ、そうですか。それが疑問でしたか。簡単な事なのです。織機が無いのですよ。残念な事にちゃんとしたリネン生地が織れるような織機は東部にしかないのですよ」

 更に疑問が増した。

「何故なのですか? 東部にあるなら西部の村々は東部から織機を買い付けるなり導入する事は出来ないのでしょうか? 村の中で生地まで賄えるようになれば西部の村はもっと豊かになれるのに」

「それはそうで御座いますが、でもそうすると東部の織機工房が立ち行かなくなるのではありませんか?」

 アグニア修道女が私の問いに疑問を投げかける。


「そうかもしれませんが、リネン生地の価格に対して糸の売値は非常に安い物に成っています。輸送経費が下がるだけでも価格はだいぶ下がると思うのですよ」

「そう申されればそうで御座いますねえ。西部の村々もそう豊かでは御座いませんから生地まで作って売れれば少しは生活も良くなるでしょうに。織機が高価で買う事が出来ないのでしょうか」

「それなら領主貴族の方々が自領に導入するだけでも領内で仕事も増えて税収も上がると思うのですが‥‥」

 何やら釈然としない疑問だけが残り解決につながる答えは見つからなかった。

 ただ問題は紡織機であることは理解できた。

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