第116話 捕囚(2)
【3】
いったいどれくらい時間が経過したのだろう。
例の指揮官に揺り起こされて目を覚ました。
「いったいどういう事だ? 何が起こった!」
「いきなりそんな事を言われても解る訳ないじゃない」
眠い目をこすり起き上がると、馬車の中で指揮官が脱いだ鎧やチェインメイルを積み上げて、その横で兵士に水を被らせて貰っている。
その前で兜を取った兵士が二人蒼い顔で瘧のように震えている。
「いった何を考えているの? こんなに乗って速度が落ちるじゃないの! あなたもその鎧を捨てなさいよ」
「馬鹿者、由緒ある家宝だ! 捨てられるものか」
「なら家宝を抱いて死ぬ事ね」
「くっ、下賤な小娘が」
外は明るいがどれくらい時間が過ぎたのだろう。
「今何時ころなの?」
「四の鐘を過ぎたあたりでありますかな」
なんとあの襲撃から鐘二つと半分は過ぎている。
時間的に考えて領境は越えて州境に近づいているはずだ。
「領境はすんなりと越えられたの? 州境までの追跡は?」
「貴様、そんな事よりこの…」
「うるさい! 黙れ! 状況を説明しなさい」
一喝で指揮官を黙らせると兵士に問いかけた。
「はい! 領境はその御者殿が光の神子が人質になっているので追うなと指示なされて問題なく通過できました。追手もついておりません」
そんな訳はないだろう。
どうせ遠巻きにして追跡しているんだろうが、州境をどちらに抜けるかが問題だ。
どの州の教導騎士団か知らないが東に向かって走っている以上教皇派の騎士団であろう。
州境を南に抜けるならヨンヌ州になるがこんな暴挙を犯した騎士団の通過はさすがにエポワス伯爵が容認しないだろう。
そう考えるならヨンヌ州の東に位置するモン・ドール侯爵家は除外される。
順当に考えてオーブラック州に抜けるルートを取るだろうが、その先はどこに逃げるのかが問題だ。
「おい! どうなんだ? この二人はいったいどうなっている?」
不安げな指揮官の問いかけで思考が中断されてしまった。
「誰なのこれは?」
そう言いながら二人の足元を見ると片足の靴が脱がされて包帯が巻かれている。
「誰も何も貴様のメイドがハサミで刺した兵士だ!」
そう言われて馬車の外を見渡すと傭兵の二人が見当たらない。
「傭兵の姿が無いわね?」
「そんな者はどうでも良い! この二人だ!」
こいつらあの傭兵二人を見捨ててきやがったな。
「知らないわよ、そんな事。私が何かしたわけじゃないんだから」
そういえばリオニーが戦闘の時に”ベアトリスさんは何でもよく知っている”って褒めていたっけ。
「黙れ! 知らぬわけが無かろう! 十一人だ! 十一人が死んだか死にかけておる。どうしてくれる」
「あなたたちは別邸のサーヴァントや警備兵を何人手にかけたの? どうせ領地でも大勢殺してきたのでしょう。たかだか十一人程度で騒ぐことでもないでしょう」
…もうすぐ一人増えるけどな。
「貴様! ケダモノや平民とワシらを一緒にするつもりか! ワシらは貴族だぞ、愚弄するのか!」
「ハン、貴族も平民も、獣人属も人属も刺されれば血も流れるし同じように痛いのよ。ああ、高貴なあなた方なら平民よりは痛みも感じないかもしれないわね」
人の心が無い奴らは痛みなんで感じないのだろう。
「ぶっ、無礼な! 貴様も貴族であろう。聖典の道理も解らぬのか!」
「少なくとも貴方よりは高貴な家系に生まれついた自覚はあるは、でも聖典には命は等しく平等と書かれているようだけれど」
まあ家柄は戸籍ロンダリングだけどもな…。
【4】
「貴様、聖女であろう! 光の神子ならばサッサと癒してみろ」
夏至が間近で日が高いと言っても、通常夕食は三の鐘の頃。更にそれより鐘一つ以上過ぎている。
「お腹が空いたわ。何かないの? クリームコロッケか白身魚のフライが良いわね。ああ、エビフライも捨てがたい。タルタルソースをタップリつけて持って来てちょうだい。大丈夫、贅沢な物じゃないわ。シャピならちょっとお高めの庶民の味よ。しらないの? ならあなた達でも食べられるライ麦パンでも干し肉でも良いわよ」
「ふざけるな! 食い物など有るか!」
「あらまあ、北東部の諸州は困窮してるって聞いていたけれどライ麦パンも食べられないなんて可哀そう」
「黙れ! 我がダッレーヴォ州は困窮などしておらんわ!」
なんてこった。こいつらアジアーゴ大聖堂の教導騎士団だ。ペスカトーレ侯爵家のお膝元じゃないか。
「一つ言っておくわ。なぜ私がこんなに眠っていたか解る? 囚われの身でいつ殺されるかもわからない状況で…」
「図太いだけであろうが!」
いや、否定はせんけどそこの騎士も頷くな。殺すぞ!
「失礼な言い草ね。魔力を使い過ぎたからよ。魔力も無しに治癒など出来ないわ。ポワトー枢機卿様の施術を終えた途端にあなた達が来たのよ。その上デルフィーナの回復を行ったのだから魔力など残るはずも無いじゃない。食事くらい採れなければ魔力は戻らないわよ」
「下らぬケダモノに治癒など施すからだ」
「そうね。そうで無ければあなたを燃やし尽くせたのに」
指揮官はその言葉に一瞬で顔色を変えた。
実際には火魔法で広範囲に温度を上げる事は難しい。
一点集中するなら三百度超えるまで上げられるが、普通に使えば湯を沸かすくらい迄だ。
すなわち百度程度までが限界である。
通常アドルフィーネの虱取でも五十度くらいで押さえている。
今回は口のまわりの熱傷を見ると百度近い熱風を口元に叩き込んだのだろう。彼女の怒りが知れると言うものだ。
私もこの指揮官には八十度近い熱を送り続けてやった。
熱伝導率の高い青銅の鎖のお陰でそこまで感じなかっただろうが、全身に六十度以上の熱が巡ったはずだ。
「それなら今の魔力でどこまで癒す事が出来る。貴様も治癒術士だろう癒せるところ迄癒して見せろ」
「残念ね。切り傷を塞ぐか出来ても骨折を治す程度ね。それに優秀な補助も居ないわ。出来る事など限られているわ」
「この二人は傷口を塞げば治るのか?」
「解るでしょ。何をされたか見当はついている筈よ」
「毒か、卑怯な」
「病人の闇討ちを企んで、多くの一般人を傷つけた卑怯者に言われたくないわ。治癒魔術で解毒など出来ないのは御存じでしょう。出来れば王太后殿下があんなにのさばっていないもの」
「ぐっ、ならばこの三人は?」
「何をされてかもわからないのに手の施し様なんてないわ。あの娘が何をやったのか聞いてこれたら手の施しようも有るけどね」
「貴様…、なら貴様が首の骨を折ったウィリスを、ウィリスを癒せ。これならできるだろう」
「良いわ。骨折を癒して痛みが無くなれば良いのでしょう。でもこれ以上は無理よ治癒が終わればまた寝かせて貰うからね。次に起きる時は食事の時間よ」
「食い意地の張った小娘が、それで良いから癒せ!」
私は苦痛に喘いでいるウィリスと言う士官の首に手を当てて状態を見る。
やはり頸椎骨折だ。
ゆっくりと光魔法を当てて骨の損傷個所をそのままくっ付けてゆく。
頸椎の位置を戻す事も断裂した神経を繋ぐことも無く応急的に骨折を回復するだけだ。
それでも痛みが引いて顔色が戻り寝息を立て始めた。
おお、と感嘆の声が指揮官と水魔法をかけている兵士の口から上がった。
私は手を離すとそのまま仰向けに倒れ込み目をつぶった。
別に残存魔力を使い切った訳では無いしそこまで疲れた訳でも無い。
ただのパフォーマンスだ。
魔力はまだ幾らか残っているがこいつ等をこれ以上癒してやるつもりも無ない。
ならば強制される前に死んだふりだ。
何よりもこの後におこるであろう修羅場を見るのも、巻き込まれるのも嫌なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます