第117話 熱傷面積
【1】
夢うつつでルイーズの声を聴いていた。
『光の神子、セイラ・カンボゾーラ様が人質となっております。悔しいですが今はお引き下さい。光の神子はアジアーゴ教導騎士団の人質にされております。オーブラック州との州境を東に抜けますのでの越境をお認め下さい』
どうもポワチエ州とヨンヌ州の州境でポワチエ州の州兵が多数展開し閉鎖していたようだ。
襲撃者はそもそも騎馬で駆け抜ける予定だったのだろう。何よりも正規兵に戦闘不能者が出る事自体を想定していなかったのだろう。
まあ一人二人なら騎馬に二人乗りで何とかなるだろうが、人質は想定外のはずだ。
そして人質の私を馬に乗せる選択肢も無い。馬上で何をするか分からないからだ。
こう言っては何だが私の人質としての価値は高い。
逃げ切れれば殺すという選択肢は取れない上、私が協力しなければ逃走すらままならないのだ。
なにせ私はあの悪名高きセイラ・カンボゾーラ子爵令嬢なのだから。
結局私と重症者を馬車に放り込んで、その上全身熱傷の指揮官と水を掛ける為の水属性持ちの兵士迄の乗せる事になってしまった。
そんな馬車では速度は出ない。
人質を強調して追手を牽制しながら逃げきるしか方法がない。
勝手に御者をしているルイーズの機転でこうして逃げて来れている様なので彼女を下す事も出来ないのだろう。
しかし州境を越えるこんな場所でルイーズが勝手に騎士団の所属や行き先を―多分馬車の中での兵士たちの会話に聞き耳を立てていたのだろう―ベラベラと喋らせて何故咎め立てもしないのだろう。
不信に思い暗がりで周りを見渡すと指揮官がうめき声をあげて転がっていた。
そういう事なのだ。
士官が全て重症状態なのだ。指揮系統が機能せずルイーズが勝手に馬車を駆りながら指揮を執っている状態になっているという事だ。
ルイーズは敵の拠点であるオーブラック州を通らずヨンヌ州からダッレーヴォ州の州都アジアーゴに向かって勝手に進むつもりのようだ。
「なあ、おいあんた」
私が目を覚ました事に気づいた水かけ役の兵士が私に声をかけてきた。
「起きてんだろう。これは、司令官は一体どうなってるんだ? あんたが眠ってからだんだんおかしくなり始めてもう話も出来ない」
そう言われてランタンの灯りで司令官を見ると全身の皮がボロボロと剥がれ始めている。
発熱もしている様だが、呼吸もままならない様でヒューヒューと嫌な音を立てて呼吸をしている。
意識も混濁している様で時々訳の分からない事を叫んでいる。
多臓器不全の症状が出ているのだろう。
当然だ軽度熱傷ではあるが、体表面をかなり広範囲に熱傷が広がっているのだから。
九の法則(熱傷の面積を簡易的に算定する方法)を当てはめてみれば体表面の七割はいっているだろう。
最後の一パーセントは確認するつもりは無いが…。
(九の法則・一パーセントで検索してみてください)
「火傷の影響で内臓や色々と障害が出ているようね。でもゴメンおなかが減り過ぎて魔力が殆んど回復していないの」
『ポワチエ州の州兵の皆さん! 光の神子様が空腹で衰弱されております。補給をお願い致します』
ルイーズがこんなに地獄耳だったとは知らなかった。
それにポワチエ州の州兵が馬車の北側、すなわち州境側を並走し牽制しているようだ。
一応今のところ国王陛下側であり中立の立場のエポワス伯爵のお膝元でこちらから戦闘を仕掛けるのは不味いが、ヨンヌ州の州兵も私たちには協力的なようだ。
「セイラ様、多分馬を駆りながらの補給となりますので大したものは食べられないと思いますがご勘弁ください」
ルイーズが律儀に声をかけてくれるが、彼女はずっと御者台座りっきりだ。
「ルイーズ、あなたこそ大丈夫なの? 私は充分休んだわ適当に切り上げてその辺りの兵隊と交代しなさい。あなたが休んでいる間は私が指示を出すわ」
「わかりました。補給が終わりましたなら交代いたします。オイ! そこの騎兵、中の騎士と交代して御者台に着きなさい」
完全にルイーズの制御下に置かれてしまっている様だ。
直ぐに走って来た騎馬の鞍上から騎士が乗り込んできて、さっきまで水かけ係だった騎士が代わりに鞍上に移った。
御者台から騎士と入れ替わりにルイーズが大きな革袋を持って降りてきた。
私はルイーズが持ち込んだ大きな革袋を受け取ると開いて覗き込んだ。ライ麦パンにチーズとベーコンそれに葡萄酒が入っている。
私がライ麦パンにナイフを入れてベーコンとチーズを挟んでいる間にルイーズが話し出す。
「セイラ様、状況を」
「待って、腹ごしらえが先よ」
私はそう言ってパンごとベーコンとチーズを火魔法で炙る。
「セイラ様、この馬車の騎士たちはどうなんでしょう?」
「どう? 容態の事を言っているならハッキリ言って運次第ね。でも治療も何も受けていないもの。その指揮官とアドルフィーネにやられた三人は長く持たないわ。リオニーの毒はどこまで効いているのか判らないけど傭兵二人がダメだったならこの二人も駄目でしょうね。命が助かるのはその首を折った士官くらいだけど」
「でも…首が曲がったままですが」
「首がどちらを向こうが私の知った事ではないわ。命は長らえるのだもの。体がマヒしようが言葉に障害が出ようが生きていればいい事も有るでしょう」
ルイーズは肩をすくめて周りを見渡してからポツリと”自業自得ね”と呟いて話を続けた。
「奴らはオーブラック州の傭兵団を装って襲撃をかけてポワトー枢機卿を殺害するつもりだったようです」
「えらくお粗末な方法で、強硬手段に出たものね」
私たちはライ麦パンのベーコンチーズサンドを頬張りながら話し合う。
「でも成功しかけましたよ。お姉さまたちやセイラ様が居なければ」
それはそうだ。
あまりに海路に気を取られ過ぎていた。
交易の商隊に化けて侵入したのだろう。隊商の移動が激しいポワチエ州は関所の警備は左程厳しくない。
そして最近はオーブラック州からヨンヌ州へ抜ける軍用道路は、物資輸送の為にポワチエ州のカロライナ迄通じているのだ。
州内に入ってカロライナ迄はあっと言う間に駆け抜ける事が出来る。
ルイーズの言う通り私たちが治療に赴いていなければこの襲撃は成功していただろう。
ルイーズは襲撃に失敗し不安と狼狽でいらぬ事を口走る騎士たちの言動に聞き耳を立てていたという。
特にリオニーにやられた傭兵二人が脱落し、騎士の二人も馬車に放り込まれた時の騎士たちの動揺は凄まじく、後悔やら愚痴やら懺悔の言葉やらと共に言ってはいけない事を色々と口走ってくれたようだ。
オーブラック州のアリゴやルーション砦の近郊には隣のアルハズ州はもとよりアジアーゴ大聖堂やシェブリ伯爵領のロワール大聖堂からも多数の教導騎士団が送り込まれており海軍に対して臨戦態勢を敷いているという。
アントワネットはデ・コース伯爵の名を使って、今回の襲撃を皮切りに一気にルーション砦を落としにかかる腹積もりなのだ。
オーブラック州とポワチエ州に係争を仕掛けて内乱で両者を疲弊させるのが狙いで、わざわざアジアーゴで暗殺隊を編成させてヨンヌ州経由で送り込んできたのだ。
ただオーブラック州の騒乱を煽るためにアリゴ聖堂に赴いているアントワネットの代わりにこれを指揮したのがジョバンニ・ペスカトーレだった事が裏目に出た。
気位の高いアジアーゴの教導騎士団が傭兵の格好をする事を厭ったのだ。
ジョバンニは襲撃犯の教導騎士がアジアーゴ教導騎士団の黒字に白い鷺の紋章が入ったプレートメイルの着用を許してしまった。
そもそも教導騎士の死者や重症者を想定していなかったので、ナデテが落とした三人の兵士の鎧を見ればペスカトーレ家の関与は知れる。
本来はオーブラック州の州内に逃げ込みそこからアントワネットと合流するはずだった部隊はこの先、アルハズ州マンステールの近郊から北に抜けてアジアーゴに向かう事に決定した…と言うよりルイーズに誘導されたのだ。
そこ迄話すとルイーズは自分が受け取った袋の中から葡萄酒の瓶を取り出すとそれを指揮官の鎧でたたき割った。
そしてその中から油紙に包まれた書簡を取り出した。
ルイーズは、同乗している騎士達を麻袋程度にしか認識していないようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます