第118話 逃避行

【1】

 ルイーズが手早く油紙をほどいて中の書簡を広げた。

「それはいったい…?」

「多分お姉さまたちからの書簡でしょう。打った手と状況が書いてあります」

 そういって渡された書簡にカンテラの明かりで目を通す。


 リオニー達からの書簡だった。

 アドルフィーネはさすがに魔力の使い過ぎで直ぐには動けなかったそうだが、リオニーは応援の州兵が到着したと同時に馬を駆って後を追いかけて来たようだ。

 逐次逃亡教導騎士達を牽制しながら並走していた州兵と連携をとりつつ、対策を進めていると書いてある。


 オーブラック州へ通じる州境は完全にポワチエ州の州兵で固めて有るそうで、ヨンヌ州にも応援を要請していると書かれている。

 多分今州境の内側を並走しているのも差し入れを入れてきたのもヨンヌ州の州兵だろう。


 更に情報としてアントワネットはオーブラック州のアリゴに居ると思われるので、シャピから州都騎士団を送りルーション砦から攻勢に出てアリゴに釘付けにする。

 サン・ピエール侯爵家に要請して州都プリーニより州都騎士団と州兵を派遣して貰うように要請済みだ。


 そして私たちへの指示は、アルハズ州の州都マンステールをかすめて北上し州境から一気にダッレーヴォ州の州都アジアーゴに入れと言うものだった。


 ナデテが王宮で仕込んできた情報からペスカトーレ教皇がどうも病気のようで、王宮治癒術士を通して私の事を探っていたらしい。

 その治癒を盾に安全を担保しアジアーゴで粘ってくれと言う。

 最後に必ず助けに向かうので、その算段が出来る迄耐えて欲しいと締め括っていた。


 ルイーズと二人その書簡を無言で読むと、私は油紙ごと両手で握り火魔法を発動する。

 私の手の中で書簡は全て燃え尽きて灰となった。ルイーズが驚いて目を瞠る。

 火種を付ける訳では無い、瞬時に髪を燃え尽きさせるにはかなりの魔力量がいるのだ。


「私はもう大丈夫。あなたは少し眠りなさい。マンステール付近の州境になればあなたを起こすから。それ迄は私が様子を見ているわ」

 ルイーズは素直に身を横たえて私の膝枕で直ぐに眠りについた。

 休息できるときには躊躇なく休息する。

 セイラカフェで叩き込まれるサバイバル術の一つだそうだ。…カフェメイドが何故サバイバル術?


 ルイーズもシッカリしているがそれでも成人前の子供だ。前世なら中学生の少女である。

 静かに寝息を立てるルイーズの頭をなでながら、私は神経を耳に集中させ周りの状態を伺い続けた。


【2】

 途中で馬を変えて更に鐘二つほど走ると空が白み始めてきた。

 私は手早く朝食のベーコンチーズサンドを作ってルイーズを揺り起こす。

 ヨンヌ州の州兵が馬車の前方を塞ぎ始めたという事はマンステールが近いのだ。直進してダッレーヴォ州に入れさせない為の牽制だろう。


 その様子に首の折れた士官も目覚めて気付いていた様だ。

「きっ…きしゃま…おっ、おでの首は」

 言語にも障害が出ている様だ。

「悪いわね。命は助かるわ。けど首は諦めて」


「きっ、きしゃま…、おっおでの手が、足が動かん」

 辛うじて左手は動いている様だが両足も右手も上手く動かせないようだ。

「そこに転がってる奴らよりマシでしょう。もう痛みもあまりないはずよ」


 私は朝食を齧りながらそう答えた。

 ルイーズは目を覚まして朝日に照らされて馬車内の凄惨の状況に少し驚いている様だ。

 そして私の指摘でその状況に気づいた士官も顔から血の気が引いている。


「にゃんだ、きょれは…」

 リオニーに刺された二人は口から泡を吹いて、顔のまわりは吐瀉物で汚れている。そして呼吸も不安定なようだ。


 アドルフィーネにやられた三人は一晩のたうち回っていたが体力も尽き果てて、苦痛で眠る事も出来ず消耗して殺してくれと呟き続けていた。

 そして指揮官は爛れて皮膚が膿み始めて蠅がたかり始めている。そして本人はガタガタと震えながら時折痙攣をおこしていた。

 何か合併症を起こしているのだろう。


「あちらの二人はもう長く持たないかもね。こちらの四人は後一日か二日くらいは持つかもしれないわ。この状態ではね」

「よきゅ…平気で…治癒できにゃいのきゃ」

「なぜ私がそんな事をしなければいけないの?」

「けりゃもにょを治癒しておいて、我りゃはきじょくだぞ」

「あなたたちはその獣人属を何人殺してきたの? 農民を何人殺したの? その怨嗟の分だけ報いを受けるべきでしょう」

「我りゃはきじょくだ」

「ええ、貴族ならその状態でこれから先も頑張って生きながらえてちょうだい。意地汚く生きるのを期待しているわ」


 それを聞いて涙を流す士官を何の感慨も無く見ていた。

 デルフィーナの姿を思い出すとこいつ等に対する慈悲心など湧いてこなかった。

 カロライナの別邸に散らばっていたサーヴァントや警備兵を思い出すとどんどんと心が冷えて行くのがわかる。

 これまでも色々と修羅場は見て来たけれど死に対してこれほど冷徹に見えた事は無かったのだが。


「セイラ様、私は御者台に戻ります。なにかあれば手筈通りに」

 そう言うとルイーズは御者台に移って行った。

 入れ替わりで戻って来た御者の兵士が、朝日に照らされた馬車内を見てヒッと声を上げて息をのむ。


「これは…いったい」

「今更驚く事でもないでしょう。あなた達なら領地や派遣先でこれ以上に悲惨な光景をたくさん見ているでしょうに」

「しかい…あれはケダモノや農民で…」

「それとこいつらと何が違うというの! あなた達に惨殺された獣人属や農民よりはこいつらは生きているだけましじゃないの!」

 私の憤りの声に兵士は黙って床に腰を下ろした。


『ここよりアルハズ州の州境に入る。関所を空けられよ!』

 外で教導騎士と関所の衛兵の会話が聞こえる。

 アルハズ州に入る事になったようだ。

 横に座る兵士が明らかに安堵したようで、ホッと息を吐いた。


『ここよりは我らアルハズ州州都騎士団が周辺警備にあたる! 厄介ごとはごめんだ! 疾く州内を抜けてアジアーゴに入られよ!』

『なぜ州都騎士団が?』

 外で何か揉めているようだ。


「いったいどういう事だ? なぜ教導騎士団が来ていない?」

 私の横に座る兵士も困惑気味に呟く。

 多分ナデテが打った手だろう。ヨンヌ州の州都騎士団を使って教導騎士団や領主のマンスール伯爵家の頭越しに州都騎士団に指令を出させたのだろう。

 領主に無許可でも今の法律ならばそれが可能だからだ。


『食料の補給と馬の交換を行う! 州内に入ればダッレーヴォ州に入るまで休みは無い! さっさと用意をしろ』

 同盟州で一息つけると思っていた兵士たちは今の言葉でさらに疲労を感じたようだ。

『待ってくれ。州内に入れば少し休息の時間を』

『ならん! 他州の揉め事を持ち込まれても我らがたまらん! 厄介ごとは当事者同士でしてくれ』


『同じ教導派領地ではないか! ならば聖教会で休息させろ!』

『領内の治安維持は我ら州都騎士団と州兵の管轄だ! 聖教会の私兵などに四の五の指図される謂れはない! さっさと指示通りに動け』

 指揮官も士官も不在のこの状態で彼らにこれ以上反論する事も出来なかったようで教導騎士たちは言われるままに馬の交換や食料の補充を受けるとすごすごとアルハズ州の州内に駒を進めた。

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