第119話 アルハズ州の惨状

【1】

 州都マンステールの城壁を遠めに見ながら馬車は北へ向かう。

 城門の前に丸太の杭が何本も立てられて人が縛られているようだ。動く様子もないので死体なのだろう。

 そして城門の周りにテントとも呼べない小屋掛けがされて難民と思しき人々が多数座り込んでいる。


 馬車の中を見ると先ほどの関所で補給を受けた食糧が転がっている。

 葡萄酒の瓶に白パン、燻製肉やソーセージその上スグリやイチゴやネクタリンまで差し入れられている。

 外の惨状を見ながらそれがさも当たり前のような顔で食べている教導騎士たちの顔が忌々しい。


 更に馬車が進んで行くと朝日に照らされた田園地帯が見えてくる。秋撒きのライ麦が刈り取られた後なのだろうが、農地のあちこちで雑草が生えて手入れをされていない農地が目立つ。


 それだけでは無い。

 路肩に放置されている死体が目立ち始めた。

 当然王都でも行倒れの死体は見る事が有る。豊かな北西部や南部でも数は多くないがそういう事は往々にしてあるし、目にする事もない訳では無い。

 それでも野晒しでこうして放置されている事は有り得ない。


 王都でも清貧派の地域でも聖教会や役所が収容して埋葬する。

 この地ように野晒しで腐敗したままで放置される事など無い。

 しかしこの地ではその死体はどんどんと路肩に増えて行き蠅がたかり野良犬が食い漁っている。

 路肩の死骸が増えて行くにつれて街道端に粗末な家屋が見え始めたが人が住んでいる様子は見られない。


 更にその先には集落らしき一群の家屋の集まりが見え、その前にはやせ細った人々が肩を寄せ合って、虚ろな瞳で街道を見つめている。

 私は堪らずに馬車に転がっていたネクタリンを握ると路肩の農民に向かって投げた。

 気付いた農民が一斉にネクタリンに集まって行く。


 手当たり次第に馬車転がる食料を次々と投げて行く。

「おい! お前、それは俺たちの食いもの」

「あんたは充分に食べたでしょう! あそこに飢えた人々がいるのにあんたは何も思わないのか!」

「しかし奴らはタダの農民で…」

「うるさい! 黙れ」


 言い争っているうちに村の前を通り過ぎて行く。

 その後を飢えた農民たちが追いかけてくる。少しでも何かを貰えると思った農民たちが追いすがって来るのを教導騎士達が蹴散らし始めた。

 そこに州兵が割って入って農民を引き上げさせ始めている。

 私は自分の不甲斐なさに声をあげて泣きたい気分になったが現実はそんな事すら許しはしなかった。


 街道筋には次々に打ち捨てられた死骸が続く。

 そして大量の死骸が積み上げられているその先には聖教会が建っていた。

 なんという事だろう葬儀と埋葬を司るはずの聖教会の前に腐臭を放つ死体が山のように積み上げられ、聖教会のすぐ前に立てた二本の丸太の柱に渡した梁の様な丸太に無数の農民が吊るされている。

 そしてその前には教導騎士と思しき男たちが槍を持って所在なげに佇んでいるのだ。


「あんた達、ここでいったいなのが起こっているの。なぜ聖教会の前にあんなに人が吊るされて…」

「反逆者だ、背教者だ。ジョアンナの顕彰などとほざいてこの領に暴れ込んだヤカラや、領主に反抗し徴用を拒否した犯罪者だ」

「それってアントワネット派と言われる農民じゃないの! あなた達が焚き付けた農民たちじゃないの」


「そんな事俺たちは知らない。この州の者が勝手にやった事だ。俺たちはアジアーゴの教導騎士団だ」

「くっ…、ユリシア・マンスール。アントワネット・シェブリ。絶対許さないからね」

 今の私にはこうやって歯噛みする以外に方法はない。

 教皇ペスカトーレ・クラウディス一世、私の手で引導を渡してやる。


【2】

 食事をする気のもならず昼も食べずに過ごした。…まあ食べようにもあった物すべて私が農民たちに投げてしまったのだけれど。

 結局夕刻までその惨状は続いていた。

 夏の北国の日は長い。この惨状をこのまま見続けなければいけないのは辛い。


「セイラ様、もうすぐ州境です」

 ルイーズの声に救われたように思えた。

 この先州境を越えればすぐにアジアーゴの街に着く。

 ペスカトーレ侯爵領内に入れば完全に敵地だが、それでも今だけは救われた気持ちになってしまった。

 無力感と虚無感がとめどなく私の身体を苛んで行くようだ。


 教導騎士団には本当に安堵した空気が流れている。

 馬車のまわりを教導騎士の騎馬が取り囲んで州境を越えて行く。

 その周りをアルハズ州の州都騎士団が更に取り巻いていたが、その内の一人が私に洋ナシを放ってよこした。


「食いな。…俺もこの州の農民出だ。あんたの気持ち、分るぜ」

 そう一言言って馬首をかえると去って行った。

 多分農民出身者が多い州兵や州都騎士団の者にとってはこの騒乱は辛いものがあるのだろう。

 そう思いながら洋ナシに食らいついた。

 まだ若い洋ナシは酸味がきついが水分は多くのどを潤す。


 苦酸っぱい洋ナシを齧っていると、芯が抜いて有りそこに何か詰まっている事に気づいた。

 真ん中まで齧って詰め物を引っ張り出すと何かの手紙のようだ。

 急いで袖口に隠すとルイーズに声をかける。


「ルイーズ、もう敵地よ。御者台を変わって私の側に居らっしゃい。この先は何をされるか分からないから」

「そんな事はせん。我らアジアーゴ大聖堂教導騎士団は信義は守る」

「どうだか。平気で他州で枢機卿の暗殺を謀る輩の親玉をどうすれば信じられるというの」


「ぐっ…」

 一緒に居た騎士は言葉に詰まりながら御者台に上がって行く。

 入れ替わりにルイーズが降りてきた。

 私はルイーズの肩を抱いて馬車の隅に座り込んだ。


 馬車は少し先に進むと騎士の詰め所と思しき建物の前で止まり、そこの管理をしているらしい教導騎士に報告を始めている。

 一般の兵卒ばかりで状況が見えない詰所の騎士は怒りの声を上げた。

「指揮官はいないのか? 士官でも良い! まともに報告をできる者はおらんのか!」


「指揮官殿と士官二人は負傷して馬車の中に…」

「たるんどる! 負傷ごときで馬車に籠るとは、状況を何と考えておるのだ!」

 そう叫ぶと幌を下ろしている私たちの馬車に乗り込んできた。


「いったい何だこれは?」

「屍よ」

 乗り込んできて硬直する騎士に私は言い放った。

「バカを申すな! まだ息があるではないか」

「気にしなくてもあすには死ぬわ。そうなれば路肩に捨てて犬に食わせればいい」

「騎士に対してなんてことを言う!」


「あなたたちはアルハズ州で散々やっていたじゃない。北部では死体の扱いをああするものだと思ったけれど違うの?」

「貴様は騎士と農民を一緒にするつもりか!」

「ああ、騎士なら犬ではなくて豚に食わせるのかしら?」

 乗り込んできた騎士は私の悪態に激高して剣の柄に手をかけた。


「やっ…やべでおげ…。そっ、そいづは光のみごだ。だいぢなひどぢじだ」

「おっお前はウィルス騎士長! いったいどうして…」

「ぞのみごにやだれだ。足もうごがん…うまぐ喋れん…」


「貴様…ウィルス騎士長に何をした」

「そこの指揮官に言われた通り骨折を直しただけよ。それ以外余計なことはしていないわ」

「貴様…こんなことをして、その責めはアジアーゴの大聖堂に着けば負って貰うからな!」

「あなたたちがヨンヌ州やオーブラック州でやったことの責めを負うならね」

「黙れ! 捕囚の分際で軽口を叩くな」

 騎士はそう言い残して馬車を下りて行った。


 そして暫くすると馬車から七人の負傷者が降ろされて、私とルイーズを積んだ馬車はアジアーゴ大聖堂へと向かっていった。

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