第163話 王太后の悦楽
【1】
七日目の夕刻に極秘裏に近衛騎士団の北大隊長と国王陛下が王太后の離宮に呼び集められていた。
今後の対応を検討するという名目であるが、実際は王太后の勘気を宥める為だ。
王太后は一週間もの間ヨハネス・ゴルゴンゾーラ卿の監視の下で軟禁されたことに不快を覚えている。
しかしそれよりも、王妃殿下の離宮において自分の意向が一切無視された事への憤りが非常に大きかった。
これ迄諸侯も官吏も王太后に逆らうものなど皆無だったのだ。
それが上級貴族から下級貴族の武官までが躊躇なく自分に反旗を翻した。それも全員が一介の学生である。
従ったのはただ一人、縁戚にあるマルコ・モン・ドールだけだった。
それだけでは無い。
奴らが共闘して脅しにかかってきたのだ。アジアーゴを焼け野原にする、国を割ってでも従わないと。
それも学生たちがである。
何よりそれを許しているのがあのマリエル王妃の息子ジョン・ラップランドであり、唆しているのはあろう事か一介の子爵令嬢であるセイラ・カンボゾーラと言う小娘なのだ。
そもそも高位貴族やましてや王族に対して異論を唱えるなど王太后の常識では考えられない事である。
何より唆している子爵令嬢の意を受けて高位貴族が従っていること自体が我慢ならない。
あの不遜な娘は去り際に王太后の命まで脅かすような発言をしているのだ。
「こんな不敬がまかり通るというのか! 今すぐにあ奴らの首を取って参れ! わらわに家畜のエサを食わせたのだぞ! ヨハネス・ゴルゴンゾーラの首をここに差し出せとゴルゴンゾーラ公爵家に告げよ!」
「しかしヨハネスの主張は母上の健康回復の為という事だ。事実あの食品は病人食としてロックフォール家侯爵家でも販売されて下級貴族の間でも…」
「黙れ! 燕麦やライ麦は家畜のエサじゃ! わらわの食する物ではないわ!」
「しかしだからと言って王宮治癒術師団が崩壊していた間その責務を代わったと言われれば反論できぬ。なにより母上もご存じのように自治権をもつ北西部にその程度の事で手は出せないのだ」
「ならばあのセイラ・カンボゾーラとか言う小娘の首を持ってこい。北部の子爵家など其方らでどうとでも成ろうが」
「あの娘はそう一筋縄で行く者では無いので御座います。元々セイラ・カンボゾーラはカマンベール男爵家の娘とゴルゴンゾーラ公爵家の四男の嫡女で爵位もままならなかった者。それが己が悪運と属性、なにより謀略でライオス伯爵家を陥れてその領地を奪って爵位迄もぎ取ったので御座います」
「まさか…カマンベール男爵家の縁戚と申すか」
「ええ、カマンベール男爵領…今は子爵となっておりますが、かつてのデュポン子爵領を今はカンボゾーラ子爵家と分け合う形で…」
「それなら尚更あの娘を押さえねばならぬではないか。光の聖女なのであろう、何故大聖堂で取り込まなかった!」
「あ奴はボードレール枢機卿の手駒で南部で秘匿されておった様で、成人前に取り込もうとした結果が逆にポワトー枢機卿様を人質に取られ、挙句に孫娘のカロリーヌに伯爵位まで簒奪される結果に」
「あの自信はその為か、ますます放置できぬではないか」
「しかし今は王妃の信任が厚く、簡単には手が出せぬ。春の北海の騒乱の時のアジアーゴの封鎖にも一枚噛んでおるようだしな」
「なんと、あのポワトー
「やるでしょうな、ポワトー伯爵家は。セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢が商船団を握っているようですからな」
「何より母上、今回の事は王妃暗殺未遂として皆に知れ渡っておる。毒だけならどうにかなったかも知れんが、毒を盛った犯人が王妃の寝所で誅殺されておる。その上死骸が王宮の皆の前に晒されておるのだ。誰がやったか判る者には分かる」
「なぜこんな事になった! 不手際にもほどが有るわ!」
「盛った毒の量も普通なら確実に死ぬ量であったと思われます。ましてあの男がああも簡単に反撃もせずに討ち取られるなど想像もつきません」
「しかし、毒殺は失敗しあ奴の持つ毒物も暗器も全て押収された上死体は張り付けられて晒されたのであろう」
「それも多分セイラ・カンボゾーラ子爵令嬢が噛んでいるかと」
「ああ、何か王妃に解毒するものを飲ませたようじゃ。それにジギタリスの毒を知っておっただけでなく、対処方法も持っておる様じゃ。ベラドンナやトリカブトの知識もあるようじゃった」
「危険ですな。己で毒を盛って光の聖魔法で癒す。やりかねんでしょう」
「殺せ! 王妃もジョンもじゃが、セイラ・カンボゾーラは危険じゃ」
「王太后殿下のご期待に添える様に…」
【2】
大量に蝋燭を立てられた食卓の上は異様に明るかった。
蝋燭の熱で部屋の温度が上がっているのが解るが、王太后は温度に関する感覚も鈍っている様だ。
食卓の上には王太后も知らぬ料理とワインがなみなみと注がれたグラスが置いてある。
木のバケツの中にはデキャンタ―に移し替えられたワインが冷やされている。
王太后は満足げにワインを楽しみながら料理を見た。
「この料理はなんじゃ?」
「王都で評判のハバリー亭という高級店のレシピを入手いたしました」
「ほう、レシピをか。よくぞ手に入れたのう」
「ええ、王妃の離宮にポワトー伯爵家より少々頭の弱いお人好しのメイドが手伝いに来ておりましてな。サン・ピエール侯爵家が買ったというレシピをアレンジした物を融通してくれました」
「そうなのか。まさかケダモノのレシピでは…」
「いえ、ハバリー亭はファナ・ロックフォール侯爵家の人属の筆頭料理人が考案したレシピを元に調理しておるようです。そのレシピをサン・ピエール侯爵家でアレンジしたとか」
「これがそうか?」
「牛肉をチーズで挟んで衣をつけて揚げたカツレツと言うものをハバリーサラダと共にデニッシュと言うパンで挟んだカツサンドとか申す物です。こちらは揚げた鶏もも肉の甘酢かけで、タルタルソースとか言う物をたっぷりかけて食べるそうです。ドルチェはドーナツと申して卵と砂糖とバターをふんだんに使った生地を油で揚げて粉砂糖を振った上生クリームとフルーツをあしらっております」
「うんうん、このドーナツは気に入った。朝食や昼食の代わりにもなりそうじゃ。もっと所望じゃ。早う持ってまいれ。久しぶりにこの離宮に帰って来たので体も楽じゃし気分も良い。そちらに置いてあるものはなんだ?」
「こちらはハバリー亭で購入できるマドレーヌと申す菓子で御座います」
「うん、これも旨いな。砂糖とミルクをたっぷり入れた茶を持ってまいれ」
お人好しのメイドのお陰で以前より満足のゆく食生活を手に入れた王太后はご満悦であった。
何か食べている時は嫌な事も忘れられる。
特に甘未は気分を高揚させるのだ。酒毒の害はよく知っているので酒にはのめり込まぬ様にしているが、甘味は別だ。
デニッシュとか言うパンもすこぶる旨い。
今まで知らなかった事が悔やまれてならない。
こうして一旦復調しかけた王太后の体調は又悪化し続ける。
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