第164話 変革の予兆

【1】

 夏休みは結局逃げ遅れて領地に帰るのは二週間以上遅れてしまった。

 おかげで成人式や聖年式には参加できなかったが、例の聖教会の治癒術の一件で出された通達に従って聖年式の喜捨も銅貨一枚から受け付ける事に変更した事で多くの参加者が集まったそうだ。

 聖年式後は領主城のホールを開放して、領主家主催のセレモニーが開かれ軽食や飲み物が供された。


 以前の様な過度な饗宴や多額の喜捨行わなくともよいとの判断から、農村からの参加者も多数詰めかけてきた。

 おかげでフィリポの宿屋は大盛況である。


 そもそも領主城のホールはライオル家統治中は舞踏会などに使われていた大広間を開放したものだが、今は多目的ホールとして商人たちの展示即売会や紡織機などの展示会、高等学問所や治癒院の学術発表会、最近では治癒院主催の出産や育児教育会、新生児や乳幼児の集団検診も行われている。

 おかげで領主城の周辺は人の出入りが大きく、その職種や滞在期間も千差万別である。


 周辺には富裕層向けの高級宿だけでなく一般のビジネス関係者対象の宿や、農村から出て来る子連れの集団対象の宿、長期滞在者向けの自炊宿などが溢れ、それがどこも賑わっている。

 フィリポの町もだが領内全体が昨年よりずっと活気づいているように感じられる。


【2】

 義父母にはまず王宮の状況の報告を済ませた。

 二人とも王太后の名を聞くだけで形相が変わる。

 北西部の領主貴族にとってその名は前国王以上に憎悪の対象なのだ。

「今回の件ではっきりしたな。お爺様はあの女の手による暗殺で間違いないだろう。先王もしかりだ。その上王妃殿下まで手にかけようとは。あの女の手にかかって何人の王族や貴族が命を落としたか…」


「私はヨハネス様がジョン王子殿下に臣下の礼を取ったのが驚きです。こう申しては何ですがセイラさんからはジョン王子の悪口しか聞かないものだからてっきり」

「まあセイラの男の評価は辛らつだからな。セイラは評価に値しない奴は名前すら口にしないぞ。話題に挙げるという事は良いか悪いかはともかくただ者ではないという事ではあるな」

 フィリップ義父上の話はほぼ間違いではない。好きか嫌いか、敵か味方はともかく

 侮れない相手しか話には上げない。…じゃ何でイヴァンの事は話に挙げてたんだろう?


「この先ジョン王子の身辺も危なくなるだろうな。リチャード王子はセイラ目線では評価に値しないようだし、ラスカル王国の南部と西部の国境寄りの州はほぼジョン王子派閥になるだろう。北の交通の要衝サン・ピエール侯爵家は国王派閥に敵対するつもりのようだしな」

「カロリーヌ様やファナ様は王太后殿下に対して私に味方すると言い切ってくれた事は、後で聞いて涙が出るほどうれしかったわ」

「東部もハスラー聖公国国境周辺の州は宰相閣下について国王に反旗を翻すかもな。継承争いになれば王都周辺と北部、東部のハッスル神聖国国境辺から中央寄りの貴族、そして西部の教導派領地がリチャード殿下につくか…。そう考えればジョン王子の命が一番危ないだろう」


「そっ…それって!」

「考えても見ろ。王妃殿下が狙われたんだ。その混乱を全て仕切って乗り切ったのはジョン王子だ。王妃殿下がジョン王子の後ろ盾だと思われていたのが王妃以上の指導力を発揮したんだ。リチャード王子派は脅威だろう」

「そうよね。どうしよう…うちからもサーヴァントたちを」

「そんな事は王妃殿下も本人も分かっているだろうさ。何よりゴルゴンゾーラ公爵家が既に護衛を送っているだろが。お前は首を突っ込み過ぎだ! 文句を言いながら自分から足を突っ込んでいるんじゃないのか」

 ああ、返す言葉もない。


「それよりもセイラさん。あなたの方が気を付けなければ。あの執念深い王太后の事ですから忘れないと思いますよ。我が家は子爵家、王太后は我が家の実力など気付いていないでしょうから直接手を下しに来るかもしれないわ」

「ああ、そちらの方が危ないな。なあセイラ、お前メイドを増やす方が良いぞ」

 そうかも知れない。しかしそうなればメイドを危険に晒す事にも…


「セイラ様、セイラカフェメイドを侮っていらっしゃいませんか? セイラ様が鍛えられたメイド達は自分が何のために居るか心得ておりますよ。何人か見繕ってリオニーとナデテを引き上げてセイラ様につけるように致しましょう」

 アドルフィーネがお茶を注ぎつつ私に告げる。

 …ある意味この三人がつけば無敵だけれどウルヴァがプレッシャーで胃に穴を開けそうな気がする。

 もう既に私の横でウルヴァが固まっているじゃないの。


「それは良い案じゃないか。身辺警護なら打って付けだろう。後は毒だな。王太后の得意とするのは毒だろう。その対策は必ず必要になるぞ」

「こればかりは…、ナデテはそう言った知識は有りますがそれでも一般的に知られている毒物知識の範疇でしか知り得ないでしょうし」

「ねえ、ウルヴァ。しばらくポワトー伯爵家に修行に出てみない? ベアトリスに就いてあの娘の知識を教えて貰ってこれないかしら」

「それは名案ですね。あの娘の知識は卓越しておりますから」


「でも…セイラ様のお側を離れるのは」

「しばらく修行するだけよ。ベアトリスなら大人しいし、聞けば何でも教えてくれると思うわ。自己評価が低いのは難点だけれど、あの娘の知識は代えがたいものがあるもの」

「セイラ様のお役に立つなら、解りました」

「でもイブリンに染まっては絶対ダメよ。あの娘は人当たりは良いけれど一番の猛毒だから近づいても駄目だからね」


【3】

「それで、ハスラー聖公国との関係はどうにか維持できそうよ。少なくとも聖大公の手駒の貴族は綿花貿易や紡織工場に対する対策を立てているわ。この秋から冬を乗り切って来年から黒字に転換できるだけの対策はとれていると思うの。聖大公はこの機に教導派貴族の大幅な粛清と排除を考えているようね」


「カンボゾーラ子爵領も農業共有組合や信用組合が機能しだして棒爵工場も稼働を始めた。北西部や西部一帯の紡織工場も統合できて分業体制も確立したから一気に周辺国にも綿や毛織物の生地を供給する。教導派領地は軒並み崩壊するのだからかなり混乱が起きるが、一年後には国王もリチャード王子も権力基盤はもとより財産も失う事になるぞ」


「そのせいかな? フィリポ好景気のようだけれど凄く人が増えているよね。商人だけじゃなく、農民や他領からの避難民もいるみたいだけれど」


「事実領内の人口は増えてるんだ。北東部や西部の教導派の領地から流民が多く詰めかけている。うちやカマンベール子爵領は特に多いが、北西部のや北部の清貧派領地はどこも似たような感じだぞ。流れてくる商人からの話しじゃあ西部諸州は農民の移動が凄まじいらしい」


 フィリップ義父上の話しでは西部は亜麻の生産から転換できなかった領地から、転換して三圃法やノーフォーク農法を始めた領地へ農民の流入が著しいそうだ。カブやキャベツ、大豆などの組み合わせへの転作や牛の放牧も盛んになり始めている。


 北部の教導派領地が小麦に固執する状態が続く中、同じ北部でも西部山岳部よりの清貧派領地では小麦に変わり燕麦やライ麦や大豆に転換して牧羊と併せた農法を模索しだして成功している領地が増えだした。

 南部で押し麦加工やオートミールが普及しだして忌避感が無くなってきたのも大きく寄与している。

 寒冷地に向く燕麦は北部清貧派領地の農村を豊かにしているのだ。


 私個人としては亜麻リネンから苧麻ラミーへの転作も奨励したいが、今はハスラー聖公国や東部諸州との棲み分けも考えて普及は進めないつもりでいる。


「それにな、出稼ぎの労働者も増えているんだ。運河の土木工事や紡織工場の建設それに小作農の定住も未聖年者の農家での雇い入れも認めていないから農繁期の季節労働者の出入りも大きいな」


 思ったよりもはやい速度で農業改革の成果が表れだしている様だ。

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