第109話 婚約と宮廷工作
【1】
王妃殿下の行動は早かった。
国王陛下のもとにその日のうちに怒鳴り込んだそうだ。
エヴェレット王女殿下からそれが国同士の安寧に必要と言うならば受けてもよいと申し出を受けて、初めて聞いたと言って。
こんな大事なことを重臣や高位貴族はもとより本人がこの国に居るにもかかわらずエヴェレット王女にすら明かさずに勝手に進めていたことを攻め立てた。
弁明に窮する国王に対して、破談にすれば国賓格の王女の顔を潰すことになり、ひいては外交関係にも支障をきたすからと言う理由で王妃殿下が折れる形で了承させた。
「早々に内示を出して関係方面、国務卿や内務卿、特に宰相閣下については貴方が対処するように! 国務省関係から文句が来てもわたくしは知りませんからね!」
それだけ言い残して帰ったと後日ナデタから聞いた。
翌々日にはエヴァン王子とエヴェレット王女のもとに儀杖官付きの馬車がやってきて二人を王宮に運んで行った。
謁見室に案内されると国王陛下と王妃殿下、そしてリチャード第一王子と寵妃殿下の並ぶ中、国王より第一王子との婚姻を打診されたと言う。
承諾を告げると、宰相閣下より国務卿と内務卿に指示が飛び内示として各省庁にこのことが告げられた。
当然廷臣や役人の口から主要貴族達へその連絡が走ったのだ。
その結果ラスカル王国の宮廷にはその事実が知れ渡った上に、国王陛下と内密に話を進めていたハウザー王国のジョージ第一王子の頭越しにエヴェレット王女殿下の婚約は進められることになった。
【2】
各地の領主は今回の婚約の内示に混乱したが、教皇派の北部貴族たちの反発は大きかった。
国王に抗議に向かった席に突如現れた王妃殿下がまた吠えた。
北部諸州で下らぬ獣人属への迫害が発生したために国王陛下が勝手位に進めたいた婚約を追認せねばならなくなった事に対して怒りを込めてだ。
寵妃殿下は至って満足そうに微笑んでいるだけである。
当然だろう。
婚約相手は南部の大国の第四位の継承権を持つ王女であり、第二継承権を持つ王子の双子の妹なのだ。
家格で言うならばヨアンナよりも上である。
そしてこれまでリチャード王子の立太子に対し強硬な反対派であった南部や一部の清貧派の西部領主の賛同が得やすくなる。
南部国境の安寧を考えるならこの婚約は英断と言えるのではないか。
寵妃殿下の頭の中ではそういった妄想がすでに出来上がっている。
「しかし…、これは教皇庁が黙っておりませんぞ。婚礼に際して教皇猊下の祝福を得る事が叶わないというのは如何なものでしょうか」
「黙れ! そもそも其方らが蒔いた種であろうが! 王太子に就任する為に教皇ごときの祝福が必要と申すならジョンとヨアンナの婚姻の席で闇の聖女と光の神子と共に教皇猊下が祝福を成せと申したい! そこまでするならわたくしも口を聞いてやる! 本来継承権一位のジョンを蔑ろにしたのも教皇庁ならば婚約の席にも使いも寄越さなかったのも教皇庁であったぞ! 教皇猊下が獣人属の王女殿下に祝福を施すならばわたくしもジョンもヨアンナも継承権を譲ってやってもよいわ!」
要は今後教皇庁が教皇の祝福無しに行われた婚姻を盾にジョン王子の立太子を阻むならリチャード王子も同じ立場にしてやると宣言しているのと同じである。
どう考えても教皇庁が獣人属に教皇自ら祝福を行うなど考えられないのだ。
ならばもうこの婚約に際して教皇庁の威光は通らない。今から破談にすれば対外的にも印象が悪く、完全にリチャード王子即位の芽は潰れる。
北部領主たちはイライラとしている怒り心頭の王妃殿下の前でそれ以上の口を挟めなくなった。
【3】
僅か一週間ほどで事態は急激に変化した。
アントワネットの声明に賛同しかけていた教導派領主たちは一斉に領内での獣人属への襲撃行為に目を光らせ始めた。
少なくともアントワネットの声明の噂が流れるよりも領主たちの行動の方が早かったためオーブラック州以外では事態は収束を始めていた。
「本当に王妃殿下は役者でいらっしゃいますわ、オホホホホ」
王立学校の講義室でエヴェレット王女殿下の席の横に座るメアリー・エポワス伯爵令嬢の笑い声が響く。
彼女は北部教皇派貴族が国王に抗議に上がった際に紛れ込んで同席していたそうだ。
図々しいと言うか大胆と言うか、さすがあの伯爵の娘である。
「エヴェレット王女殿下は王妃殿下に請われたのでしょう? それくらい状況を考えればすぐに気づきますわ。それをあたかも全て国王陛下と北部のバカ貴族の不手際のように印象付けて、教皇庁の横槍も入れられぬ状況を作ってしまわれるとは、さすが王妃殿下」
「いや、メアリー嬢。それは僕の母国との相談事で決まった事で、王妃殿下にはご迷惑をおかけし、ジョン王子の立太子の邪魔をしたただけに心苦しいのだよ」
「あら、そんな事殿下が気に病む事は御座いませんわ。まあどちらが立太子あそばされてもエヴェレット殿下はこれでラスカル王国でも王族。王妃殿下に次ぐ家格をお持ちになる事は間違い御座いませんもの。伴侶が残念王子でも、王妃殿下もあのように毅然と国政を握られているのですからエヴェレット殿下ならその上を行く事は間違い御座いませんわ」
この女鋭いな。
エポワス伯爵から何か情報でも得ているのか、そうだとしても核心を突いて来る。
そもそもこいつの親父が要らぬ事をしなければ事態はここまで悪化していなかっただろうに。
「あら、嵩上げ伯爵令嬢様はエヴェレット王女殿下に取り入って何かまた悪巧みでも?」
「何かしら? チビ助子爵令嬢が何やらほざいているけれど、エヴェレット殿下はもう妃殿下でただの王女殿下では無いのよ」
「あなた今までヨアンナ妃殿下って言った事無いでしょうが。それを何で今からエヴェレット王女殿下は妃殿下扱いなの!」
「このチビ助子爵令嬢は頭も耳も悪い様ね。家格が違うって申し上げなかったかしら? ヨアンナ様は王家に連なる公爵家でもエヴェレット妃殿下は今でもハウザー王女、同じ王家に嫁いでもこれは覆らないのよ。おわかり?」
この女口の減らない。
「そもそもあなたの親父が要らぬ事しなければもっと自体は簡単に収まったのよ! 少しは自覚しなさいよね」
「はー? 何ですか? なんで私があの加齢臭親父の尻拭いしなけりゃいけないのかしら? そんな事言われてもはなはだ迷惑なんですけど」
いやいや、あの伯爵が頑張って稼ごうとしている一旦はあんたの贅沢のせいでしょうが!
「父親の金に頼って嵩上げ靴買いあさっている癖によくそんな事が言えるものね。さっさとあの禿加齢臭親父とヨアンナ様に謝れ!」
「あなたね人の家庭に口を挟まないでくれません! あなたこそ従姉妹に託けてヨアンナ様を顎で使ってるでしょうが!」
「あんた達! いい加減にするかしら! 夏至祭も近づいて準備も忙しいのに教皇派閥の生徒は軒並み出てきていないかしら。そんな時に下らぬケンカで手を止めたら本当に怒るかしら!」
「そうよセイラちゃん。今年の夏至祭のファッションショーは特別なんだからふざけてないで気合を入れて準備して欲しいわ。西部航路の物品調達はセイラちゃんの仕事なんだからね!」
今年はエマ姉の目つきが違う。
自分のせいでエヴェレット王女を犠牲にしたと言う思いが有るのだろう。
この嵩上げ伯爵令嬢とケンカしてる場合じゃないのだ。…でもこいつはいつか殴る。
【4】
リチャード王子の婚約のドタバタから明けて、主要貴族を集めての国王陛下からの内示の場が設けられた。
ハウザー王国からはエヴェレット王女殿下と兄のエヴァン王子殿下。そして後見人のヴェロニク・サンペドロ辺境伯令嬢。
護衛のエライジャ・クレイグ伯爵令息とエズラ・ブルックス伯爵令息の五人。
ラスカル王属はリチャード王子は当然としてジョン王子と婚約者のヨアンナも列席している。
高位貴族は各公爵家と侯爵家の当主が参加していた。
ペスカトーレ枢機卿の苦虫を嚙み潰したような顔が印象的であった。
そして末席に私とジャンヌが居る。
まず間違いなく教皇の祝福など得られない現状で闇の聖女と光の神子の祝福は必須なのだ。
私は内示の席上で不快そうな顔で祝福を承諾した。
内示の内容はこの後高位貴族の口から関係の深い上級貴族達へ、そしてさらに下級貴族たちに流れて行く。
何より関係者の多くが王立学校生なのだからその口を…私たちの口を通して直ぐに学内に広がるだろう。
この婚約は一刻も早く既成事実化して国内に広める必要が有るのだから。
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