第101話 シャピ大聖堂の厨房
【1】
翌日は朝から枢機卿の治療に入った。
本来夜勤の者や午後勤務の者も治癒術士は全員集合していた。
今日は昨日の治癒施術を踏まえてジャンヌの抗癌治療と私の回復治療を併用して行う。
良性か悪性かの判断はさすがにつけられないが、ジャンヌは小さな腫瘍も根気よく探り当てて細胞の破壊を行って行く。
私はその後に再生魔法をかけて行く。それも癌細胞が復活しない程度にゆっくりと少しづつだ。
「時間はかかるが、今日の治療は昨日の苦しさはなかった。これで儂の寿命は如何程伸びたのであろうかな」
「明日は今日の経過を見て、順調であれば夏至祭の前に治療を行いましょう。そうすれば夏の暑さを乗り切れると思います」
「おお、ジャンヌ殿。それではまた来ていただけるのか。すまぬ、礼を申すぞ」
「枢機卿様、これは罰とお心得下さい。カロリーヌ様をお助けするために私は、いくら貴方様が衰えて病苦に喘ごうとも、命を永らえさせます」
「その言葉、しかと心に命じよう。カロリーヌとレオンが安穏に暮らせるようになるまでは、この病に耐えきってみせよう。マルテルにも腑抜けたことは申させぬ。隠遁など絶対に許さぬわ」
「治癒術士の皆様で、もしこれからも学ぶおつもりがある方はカンボゾーラ子爵領で研鑽いたしませんか? 少しづつですが我が領の治癒修道女たちと交代で学びに来られませんか?」
もちろん清貧派への宗旨変えを促すためだ。
カンボゾーラ子爵領の聖教会で学ぶことで内外への清貧派への転向を明確にアピールできる。
「おおそれは良い。数人ずつそちらに派遣させていただきたい」
「ならばグレン・フォード大聖堂から補充の人員を送りましょう。闇属性魔法治療の補助に長けたものがおりますから」
「それも有り難いことだ。夏至祭の前に見えられる時にはジャンヌ殿に礼をせねばならぬな」
「もったいないお言葉でございます」
こうして密かにシャピ大聖堂内の聖職者の入れ替え計画が始まった。
【2】
その日の午後は私たちは厨房にいた。
戸惑う厨房の調理人を尻目に、私とジャンヌとカロリーヌ、そしてアドルフィーネとナデテとルイーズとミシェルの元セイラカフェメイドが勢ぞろいしていた。
「まずはジャンヌ様リクエストの紙包み焼きです」
水で濡らした紙に打ち塩をした物の上に、今日は塩胡椒をほどこした白身魚の切り身を乗せてゆく。
それにマッシュルームやブロッコリー、人参、玉ねぎ、セージ。バターをのせてチーズをたっぷりと振りまいたら折りたたんでオーブンに入れる。
試しに作った物をオーブンから取り出して全員で紙を開いてみる。
「ほー、オーブンに入れても端の方が少し焦げてはいるが紙が焼けぬのですな。香りも良いですぞ」
料理長が興味深げにそういう。
「今回は少し火が通り過ぎていますね。でも美味しい」
ジャンヌが切り分けて魚と野菜の味見をしながら微笑む。
「これは少し白ワインを振りかけてから焼いたほうが宜しいのでは有りませんか?」
「白ワインを使うならぁ、チーズを控えたほうがぁ良いですぅ」
アドルフィーネとナデテの意見を聞きながら料理人たちが、意見を言い合い次の試作の準備を始めている。
その間に私はバケツ一杯の牡蠣を殻から剥がしていた。
「お嬢さん、いけねえ。怪我しやすぜ」
そう言って見習いの料理人にバケツごと牡蠣を取り上げられた。
「それじゃあ、身だけ剥がしてきれいに水洗いしてちょうだい」
そう命じて小麦粉と卵を用意する。
「ルイーズ、ミシェル。パン粉を準備してー」
「はーい」
「セイラ様フライを揚げるんですか?」
「ええそうよ」
「貴族令嬢様が揚げ物なんかして又料理長に叱られませんか?」
「お嬢様、そちらのメイドの言うとおりです。油で火傷なんてされては大変なことになります。そういう仕事は私ども料理人にお任せ下さい」
「セイラ様、フライなら私たちがやりますから指示をして下さい」
「なら、ルイーズは洗った牡蠣に衣をつけてフライにしてちょうだい。ミシェルはタルタルソースを作ってちょうだいな」
「セイラ様? 牡蠣をフライにするのですか? 牡蠣は生で食べるものですわ」
カロリーヌが驚いたように声を上げる。
「生牡蠣もいただきたいけれど、こちらも美味しいわよ。それに火を通したほうが食中毒の心配も減るわ」
「それはそうでしょうが…」
身近で生牡蠣を食べ慣れているこの街の人達は、それが当たり前過ぎてカキフライの発想が出ないようだ。
ルイーズと料理長の手によって次々に揚げられてカキフライが油こしのトレイに並ぶ。
私はたまらず、揚げたてのカキフライを皿に乗せてミシェルの作ったタルタルソースをたっぷりと振りかけて口に放り込んだ。
「熱つっ、でもおいふぃー」
「あーーー!」
私の声に包み焼きに集中していたジャンヌが声を上げた。
「ずるいですよ! セイラさん、私も食べたいです。牡蠣フライのタルタルソース! それ、絶対美味しいやつですよ」
そのジャンヌの声を聞いて、他のみんなも集まってきた。
「これは…。これは美味しいですわ。牡蠣をこんなふうに食べるのは初めてですけれど、これなら生牡蠣が嫌いの人でも食べますわね」
カロリーヌも満足げに牡蠣フライを頬張りながらうなずいている。
バケツ一杯分の牡蠣はフライに揚げられて、メイドたちも美味しそうに食べている。
「私ぃ、生で食べるのが気味悪くてぇ、昨日は食べられなかったんですぅ。でもぉ、これは美味しいですぅ。後で生も食べてみますぅ」
「私は昨日始めて生牡蠣をいただきましたが、旨味はこちらのほうが上だと思いますわ」
アドルフィーネもナデテも気に入ったようだ。
ルイーズとミシェルはもう無言で牡蠣フライを方ばっている。
その夜の晩餐には鮭の紙包み焼きと牡蠣フライがメニューに加わった。
鮭の紙包み焼きは胃を痛めているポワトー大司祭に気に入られたようで、この先大司祭用の定番料理になるのではないだろうか。
牡蠣フライは生パン粉とタルタルソースのレシピを秘密にしているので当面は簡単に食べられないが、おかげでカロリーヌの母上からセイラカフェのの早期開店の要請を受けることと成った。
場所も領主城内に有る市庁舎の一部を、提供してもらえることに成った。
もちろん聖教会教室も直ぐ開校してセイラカフェと連携して動き出すことになる。
その下準備としてアヴァロン商会からの川船の乗り入れの許可をもらい、来週にはライトスミス商会の商会員を乗せて川船がやってくる手はずも整った。
春からはこの街は大きく変わるだろう。
夏休みまでには救貧院を廃止して聖教会工房の立ち上げを目指したい。
そのためには一度エマ姉を連れてもう一度この街に乗り込む必要があるかな、この街で利権を握る商会関係者のタマを握りつぶしてもらうために…。
そしてカンボゾーラ子爵領でも綿生地の大型自動織機工場を早急に立ち上げる必要も生じてきた。
この街に有る綿製品の未開発大市場を握るために。
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