閑話12 ベアトリスのメイド修行(3)
☆★★★★★
ポスッ、ポスッ。
麦わらを束ねた藁苞にフォークが刺さる。
「良いですね。アッ、ナイフはそのフォームよりもこうアンダースローで投げたほうが良いですね」
リオニーの声が響く。
明日の継承式のために派遣されるメイドの人選に来たリオニーが、ベアトリスに稽古をつけてくれているのだ。
…頼みもしないのに。
「投げる物の種類やバランスによって投げ方を変えること。同じナイフでもバランスによってフォームは変わってきます。ペティナイフとキッチンナイフでは自ずと投擲フォームが違うことはわかるでしょう。同じカトラリーナイフでもテーブルナイフとフルーツナイフでも投げ方は変わります」
そもそもカトラリーナイフは投げるものなんだろうか。
そんな根本的な疑問は脇にのけてベアトリスはリオニーに質問する。
「フィッシュナイフやバターナイフは使い道はあるのでしょうか」
「良い質問ですね。ほらこういったバターナイフでも目を狙えば目潰し代わりに使えるのですよ。チーズナイフやステーキナイフは首筋の動脈を狙えば確実に仕留められる使い方もできるのですよ」
確実に仕留めるのは猟師に任せればよいだろう。カトラリーで獲物を狩る必要がどこにあるというんだろう。
そういったツッコミを全て飲み込んで、ペティナイフの投擲練習を続ける。
「筋が良いですね。ベアトリスさんは武術の心得があるのですか?」
「はい、父がサン・ピエール候爵家の騎士団に居ますもので。子供の頃から武具は身近にあったのですが、父はあまり武芸とは係わりの無い人でしたけれどね」
「やはり血は争えないということですね。お父上も鼻が高いでしょうね」
いや、父上は花嫁修業のためにメイド見習いに出した娘が、暗殺技術を磨いていると知ったら頭を抱えると思う。
「はい…、ありがとうございます」
「もう、そんな他人行儀な。敬語なんていいですよ、それじゃあ次は盆の使い方をお教えしましょう。盆で受けるときは正面ではなく角度をつけて受け流し、力の方向を変えてやることが大切です。受け流し、これは防御の基本だとよく心得てください」
そもそも盆は攻撃を受けるための物ではなく、物を運ぶためのものだと思うのだけれど。
「そうそう、その角度がいいですね。その角度なら受け流したあとに直ぐに投擲に移れます。盆はこう回転をつけて横に投げると威力が増します。相手の鼻っ柱や口元、後は喉元や目を狙うのもいいでしょう」
盆ってそんな凶悪な道具だったのか? 盆をそんな凶悪な方法で使いたくないし、そんな場面に遭遇したくもない。
…突っ込んだら負け。…考えたら負け。今はこの状況を受け止めろ。
去年、王立学校でのファッションショーの時に大人しくしてて良かった。
リオニーとナデテは気さくで話しやすそうだったから何度か話はしたが、あの時マウントを取りに行ってたら今頃悲惨な目にあっていただろう。
マウントを取りに行って反対に
「リオニーさんこれからもご指導宜しくおねがいしますね」
「もう、ベアトリスさん。リオニーって呼び捨てで構わないですよ。同じ王立学校のメイドじゃないですか」
「でも、セイラカフェの先輩ですし、さん付けはケジメなんで」
「そうですかぁ。やはり貴族家出身の方は礼儀正しいですね。私なんてお針子の娘ですから、気なんて使わなくて良いのに」
お針子の娘であろうが公爵令嬢であろうが、そんなものは関係ない。
絶対機嫌を損ねたら悲惨なことになると本能が告げている。
リオニー自身は気さくで陽気な子なんだろうが、彼女を慕う他のメイドが黙っちゃいないだろう。
長く貴族家で準貴族の世界に身をおいていると、こういうササクレた感情の機微に敏感になるのだ。
伊達に予科から含めて二年もカロリーヌの側付きをしてきたわけではない。
「また、何かあったら何でも相談してくださいね。気軽に声をかけていただければいいですから」
そう言ってリオニーは帰っていった。
「ベアトリスさん、凄いです。リオニーお姉様から直接ご指導いただけるなんて。私も頑張って早くベアトリスさんみたいになりたいな」
イメルダが目を輝かせてベアトリスに訴える。
こんな精神を削られるような指導、できればイメルダに代わって欲しかったと心の中で思う。
「いえ、私なんていつもリオニーさんに教えてもらうことばかりで少しも役に立たないわ。イメルダのほうがずっと優秀よ」
「ああ、そういうのがリオニーお姉様が仰ってた貴族家出身者の配慮っていうのですね。私も見習います」
リオニーとベアトリスのやり取りを遠巻きにして熱心に聞いていた他の見習いメイドたちも一様に頷いている。
年下のメイド見習いにこういう視線を向けられては、逃げられないじゃない。ああ、これまでのぐうたらメイド生活が恋しいよー。
引きつった笑みを浮かべながらこの先の自分の生活を想像し戦慄するベアトリスであった。
★★★★★★
「ほらねぇ、イブリンさぁん。ああいう場合も心の裏側をよむんですよぉ」
「でも、リオニーさんは普通に話してるみた〜い」
「リオニーは一本気であまり裏表が無いんですぅ。ここでのポイントはベアトリスさんですねぇ」
「う〜ん、ベアトリスめっちゃ焦ってますねえ。なんでだろう?」
「普段のベアトリスさんってぇ、どんな風なんですかぁ」
「あの娘はツッコミ体質ですね。なんでやね〜んってツッコミを入れないと我慢できないタイプ〜…。あっそうか!」
「何かぁ、気が付きましたかぁ?」
「きっと、ツッコミが入れられないんだ〜♪。でもなんで突っ込まないんだろう?」
「それはぁきっとぉ、リオニーに怯えてるからですぅ。横でナイフをポンポン投げる女なんてぇ、誰でも怖いですからぁ」
「そうなんですか~? ナイフなんて自分の方に飛んでこなければ気にする事無いと思いますけど〜♬」
「そこはぁベアトリスさんのぉ気持ちになって見るんですぅ」
「ベアトリスの気持ちですか〜あ。う〜ん、ペティーナイフは投げるもんじゃないでしょう! 仕留めるのは猟師に任せればいいでしょう! こんな感じですか〜ねえ」
「バッチリですよぉ、イブリンさん。そのツッコミ入れてぇリオニーのぉ機嫌を損ねないかぁ気にしてるんですぅ」
「わっかりました~♩ それが裏側を読むってことですね。これなら何とか出来そうで〜す」
「イブリンさんこういうお仕事向いてそうですねぇ。才能有りますよぉ。それじゃぁ続けてイメルダちゃんの裏側も読んでみましょうかぁ」
伝声管を通して二階でこんな会話が繰り広げられていることをベアトリスは知らない。
「イブリンさんは諜報や欺瞞工作のお仕事向いてそうですねぇ」
「ベアトリスは〜どうなんですか?」
「ベアトリスさんはぁ、身も軽いしぃ身体能力もたかいしぃ、何より毒物への造詣が深いですからぁ、身辺警護ぉ? いえ、暗殺や対人戦闘に向いているようですねぇ」
「そうなんですか〜」
「リオニーはぁ、こと戦闘技術に対してはぁ滅多なことで褒めたりしないですぅ。技術が無い娘がぁ、勘違いして手を出すとぉ怪我で済まない事をぉよく心得てますからぁ」
「それじゃあベアトリスは本当に才能があるんだ〜あ。凄いなあ〜」
「何より毒物に対する知識は秀でてますぅ。素質十分ですぅ」
こうして本人の居ない所でベアトリスの進路は決定づけられつつあった。
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