第138話 王宮治癒術士団(3)

【5】

 先程まで王妃殿下が置かれていたような状況が、今度は王太后によって図らずも再現されてしまった。

 ヨハネス・フォン・ゴルゴンゾーラ卿はすぐに後ろに控える治癒術士たちに視線を送ると、目線で処置を行うように促す。

 それを受けてゴルゴンゾーラ公爵家の治癒術士たちが動き出した。


「来るな! これは我らの仕事だ。部外者は立ち入らないで貰おう。貴様ら異端者に手を触れられるなど当然王太后殿下もお許しにならんだろう」

 宮廷治癒術士団長が吠える。

 これまでセイラ・カンボゾーラやジョン王子に散々顔を潰され続けたのだ。意地でもこの場を譲るつもりはないのだろう。


「宜しいのか、ジョン王子? あの者の言い分に任せて王太后殿下にもしもの事が有っても。あ奴らの技量では心もとないのだが」

 ヨハネス卿の言葉に王宮治癒術士団長は歯噛みしながら睨みつける。

「あの者も申す通り、王太后殿下も良しとせぬだろう。奴らに任せる他あるまい」

 ジョン王子も一瞬顔を曇らせたが直ぐに王宮治癒術士団長と王太后たちに冷たい視線を送った。


「なんとでも申されよ。貴族しか学べぬ教皇庁の治癒術士団で学び特級治癒術士の地位を持つ私を侮るな! 下級貴族では絶対になり得ぬ地位なのだぞ。それを子爵家の小娘に馬鹿にされてたまるか!」

 彼らにはその言葉が治癒士の実力以外の忖度によって得られた地位である事の矛盾にすら気付かないのだろう。


「愚かな事だ。ならばその実力を示してみるが良い」

 ヨハネス卿が呆れたように吐き捨てた。

「分っておるわ! 皆の者持ち場について各々の治癒魔力を王太后殿下に送るのだ」

「団長殿、先ほどあの娘と行った風魔法による呼吸補助が出来るのでは無いでしょうか」

「黙れ! 其の方異端の治癒術を我らに使えと言うのか! その資格はく奪されたいのか?」

「いえ、その様なわけでは…」

 王妃殿下が倒れた直後にセイラを手伝っていた風属性の治癒術士の提案は団長により一蹴された。


「ヨハネス様、あのような治療では…、呼吸補助と心臓のマッサージを」

「あれでは無理か?」

「いえ、そうとまでは申しません。心臓は止まっておりませんし呼吸もあるようですが、あの状態では又すぐに同じ状態になりかねません。それに心臓が止まれば彼らに処置の方法はないと存じます」


「ヨハネス殿、その獣人属の少女が治癒術士なのですか」

「そうだ、幼いが優秀な修道女だ。聖女ジャンヌに薫陶を受けセイラ・カンボゾーラにも指導を受けている。何より土属性の治癒術に長け、数年前からは風属性も顕現しおる。この娘に助けられた命は数知れぬ。我がゴルゴンゾーラ公爵家治癒術士の誇りだ」

 そう紹介されて少し照れながら頭を下げる修道女を見ながらジョン王子も口を開く。


「ヨハネス殿、その修道女…」

「いかんぞ。この娘は王宮には貸しだせぬ。なにしろヨアンナのお気に入りだからな。何より我が家もこの娘が居なくては色々と困る。なにしろ聖霊歌合唱団の指導者でもあるのでな」

「はあ、ヨアンナの…そうですか」

 そう言って王太后殿下の方を振り返る。

 

「おお、意識が戻られたぞ」

「王太后殿下、お気をたしかに」

「ああ、治癒術士団長か…。なんだこの不快な臭いは…。気分が優れぬ。今すぐ帰りたい」

 先程王妃殿下が吐いた後がそのまま残っているのだ。臭いが悪いのはしかたない。


「王太后殿下立てますかな?」

 随員と王宮治癒術士団長が王太后の両脇を抱きかかえて引き起こそうとする。

「「「あっ! 無理に立たせては…」」」

「黙れ! 口を挟むな」

 ゴルゴンゾーラ家の治癒術士から一斉に上がった声を撥ねつけて王宮治癒術士団長は無理に王太后を引き起こした。


「さあ離宮に戻りましょう」

「ああ…うう…うん」

「王太后殿下、御気分が優れなければこちらの水を」

 銀のゴブレットに注がれた水を王太后の口元に持って行く。


「あっ、いけない!」

 獣人属の治癒修道女が止めるのと間を置かず、王太后はゴブレットの水をグッと飲み込むと同時に激しく咳き込んでしまった。

 急に水を飲んで咽たのだろう。

 大量の嘔吐を伴なった激しく咳き込みで、又立ち眩みが起きた王太后は吐瀉物を喉に詰めた様でまた激しく崩れ落ちた。


「いかん! 呼吸が止まっておる!」

 俯けに倒れる王太后を治癒術士たちが揺する。

「揺すってはダメ! 吐瀉物を掻き出して気道を確保して!」

「そんな事は分かっておる!」

 焦りを交えた王宮治癒術士団長が怒鳴りながら王太后の背中を叩く。

 飛び出して行こうとするゴルゴンゾーラ家治癒士たちの前に、随員が二人両手を広げて立ち塞がる。


「体面を考えている暇は無いのだぞ! お婆様の命がかかっているのだぞ!」

「うるさい! これは私たちの仕事だ!」

「団長様、先ほど王妃殿下に施した風魔法を…」

「仕方ないやってみよ」

「ダメです! 先に気道の確保を!」

「黙れ! さっさと始めよ」

 王宮治癒術士の風術士が肺に空気を送り始めた。


「ゲボッガボガボ」

 更に王太后の嘔吐が続く。

 不慣れな王宮術士たちの救命処置は更に状況を悪化させた。

「王太后殿下! 王太后殿下! 王太后殿下の呼吸がーーーあ」


「ヨハネス様、ジョン王子殿下何卒私に。このままでは助かる者も助かりません」

「うるさい! 黙れ! 私たち王宮治癒術士団に口出しするな! 指図をするな! この下民が!」

「王太后殿下! 王太后殿下! ああああ! 心臓が! 心臓が止まってしまった!」

「王太后殿下がご崩御された! ああ! 王太后殿下の心臓が止まった!」

 王宮治癒術士たちの叫び声がこだました。

 さすがのジョン王子も呆然とした面持ちで立ち尽くす。


「ジョン王子殿下、俺が責任を持つので差し出口を挟ませて頂く。メイド達、あの者らを即刻排除せよ」

 治癒術士たちに付き従って来たゴルゴンゾーラ公爵家の獣人属メイドが躍り込むと次々と随員を含む王宮治癒術士たちを引き剥がして行った。


 その間隙を縫ってゴルゴンゾーラ公爵家の治癒術士が王太后に駆け寄る。

「患者を横に向けて気道の確保!」

「「「はい!」」」

「心拍は? 呼吸は?」

「どちらも有りません!」

 的確に指示を出しつつ小柄な獣人属の修道女は王太后のドレスを裂いて胸に両手をあてた。


「誰か邪魔なコルセットは断ち切って! 着衣が締め付けている部位は全部断ち切って下さい」

 治癒修道士の一人がテーブルのナイフでドレスを断ち切って行く。

「心肺蘇生を施します!」

 そう言うと仰向けに寝かされた王太后の腹の上に馬乗りになり胸と口元に掌を置いて魔力を流し始めた。


「何をするか! 死者を冒涜するのか!」

「死した王太后を更に辱めるのか!」

 王宮治癒術士たちがメイド達に押さえ付けられながら叫んでいる。


「誰か、セイラ様に! セイラ様に来ていただいて! 一刻を争います。セイラ様を連れて来て!」

 獣人属修道女の声が響いた。

 それを聞いた離宮のサーヴァントたちが数人外に走り出る。

 そしたジョン王子もその後に続いた。

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