第137話 王宮治癒術士団(2)

【3】

「どうぞ御随意に。その時は国を割る御覚悟を持ってこの首を御召上げ下さい」

 その捨て台詞を残してセイラ・カンボゾーが部屋を抜けて行く。

 視力が殆んど無く夜の燭台の灯りでは何も見えないが、自分の命令に逆らって走り出したらしい一団の気配は王太后にも分った。


「待て! 待たぬか、この小娘が」

 叫ぶ彼女を無視してドタドタと騒々しい足音が部屋の外へ去って行き、部屋の外に消えた。


 マルコ・モン・ドールがその後を追いかけようとする。

「マルコ! お前はいい。ここに残れ!」

 ジョン王子の声が響いた。

「なぜ! 俺も近衛騎士だ!」

「ならここに居る賓客を護衛しろ! 女伯爵カウンテスや上級貴族令嬢、何より他国の王族が居るのだ!」

「グッ…」

 マルコは反論しかけたが言葉を飲み、王太后の横に立った。


「ジョン! あのふざけた娘は何だ! 何なのだ! 直ぐにここに連れて参れ、許さぬぞ」

 王太后は怒りと興奮でその顔も真っ赤になっている。

「お婆様、興奮なさるとお身体に障りますぞ」

「うるさい! この不敬者が! 孫の分際でよう申したな」

 もう王太后は怒りでブルブルと震えている。


「マルコ・モンドールよ。あのセイラとか言う小娘は何者だ? たかが子爵令嬢であろう。何よりカンボゾーラなどと言う家名聞いた事が無い」

「はい、王太后様。ゴルゴンゾーラ公爵家の縁者で一昨年陞爵したばかりの新興貴族です」

「何?! それでゴルゴンゾーラ公爵家の力を笠に着てあの口か。ならめにもの見せてやらねばのう」

「しかし、あの者は姑息に裏で色々と動き回る謀略家、一筋縄ではまいりませんよ」

「フン、たかが子爵家の小娘ではないか。わらわに歯向かうならそれ迄じゃ」


「王太后殿下、一言申しておきます。もしセイラ・カンボゾーラ様にもしやの事が有ればこのカロリーヌ・ポワトーそれなりの報復は致します。少なくともアジアーゴの港が焼け野原になる事はお覚悟くださいませ」

 それ迄黙していたポワトー女伯爵カウンテスが口を開き言い放った。


「なんと申した! 其方、ポワトー伯爵家の者であろうが! わらわを誰だと思っておる!」

「なんと申されても我が家も引くつもりは御座いません。当然王妃殿下もお許しに成らないでしょう。我がポワチエ州挙げて諍わせて頂きます」

「あの娘が国を割ると言ったけれど南部は全面的にセイラに付くのだわ。当然北西部も追随するのだわ。だってゴルゴンゾーラ公爵家は身内を切り捨てる様な事はきっとその矜持が許さないのだわ」


「そんな事は当然であろう。このヨハネス・フォン・ゴルゴンゾーラが従妹を見殺しにするわけが無かろう」

 そこへ突然割り込んできたのはゴルゴンゾーラ公爵家の治癒術士を引き連れた御曹司、ヨハネス・フォン・ゴルゴンゾーラ公爵令息であった。


【4】

「無礼な! 無礼な! 無礼な! おのれら!」

 王太后は極度の興奮で呼吸も荒く、肩で息をしている。

 その太った体は怒りで震え、顔も紅潮し声もかすれて出てこない。


 そんな状況を無視してヨハネス・フォン・ゴルゴンゾーラ卿はジョン王子の前に片膝をついて臣下の礼をとった。

「ここに参るまでにあらかたの状況は聞いております。部屋に入る前にもメイド達からも詳細は聞いております。ご立派になられましたな」

「ヨハネス殿にその様に申して頂けるとは思わなかった。いつも叱られて罵られてばかりであったからな」


 ゴルゴンゾーラ公爵家の者が王家の者に臣下の礼をとる事は稀である。

 そもそもゴルゴンゾーラ公爵家は今のラップランド王家に王位を簒奪されたという意識が強いからだ。

 室内の王宮治癒術士たちがざわめきだした。

 その次期当主が臣下の礼を示したという事は、それはゴルゴンゾーラ公爵家がジョン王子を認めての後ろ盾に着いたと宣言したようなものなのだから。


 そのヨハネスが立ち上がりジョン王子に耳打ちする。

「どうもセイラのメイドの話では王妃殿下の毒見役が饗宴の途中で姿をくらました様ですぞ。王太后殿下の到着した直後にアントルメとフルーツを持ってこちらに赴きそのまま帰ってこなかったと」

「やはりか。饗宴に関わった者は全て邸内に留め置いて警備の近衛兵に警戒させてはおるのだが、一部を割いて邸内と屋外を探させよう。多分どこかで死骸になっておるような気がする」

 そう小声で言うと周りに向きなおした。


「これにて散会と致す。すまぬがメイドやサーヴァントたちはしばらく事情徴収をさせていただく。この部屋に残られた皆様方は王宮で馬車を仕立てた。王立学校の諸氏は悪いが先に二台の馬車で乗り合わせて帰寮して頂きたい」

「それならば私も寮に戻りましょう。なら男女四人づつの乗り合わせで余計な馬車もいらぬでしょう」

 ジョン王子の言葉にカロリーヌが答える。


「かたじけない女伯爵カウンテス

「待ってくれ。俺は…」

「マルコ、其の方もだ。近衛の警備の使命を果たせ」

「くっ! 何が警備だ実質騎士ばかり四人だぞ…」

 マルコ・モン・ドールは俯いて吐き捨てる様に言うと先に部屋を出た七人に続いて部屋を出て行った。


「なぜじゃ! 何が起こっておる! くそっ!」

 それ肩で息をしていた王太后の呼吸が更に荒くなった。

 体を前に倒すと胸を押さえてハアハアと息をしている。


「ジョン王子殿下、王太后の御様子がおかしいのでは?」

 そうヨハネスに言われてジョン王子も王太后の方を振り返った。そして王太后の様子を見たジョン王子が怒鳴る。

「おい! サーヴァント! 王太后の御様子が変だぞ。如何するのだ!」

 王太后の車椅子についている三人の随員が揃って王太后を見た。


 王太后は前のめりになって胸を押さえて荒い息をしている。何よりその顔は茹で上がった様に真っ赤になっている。

「おい、王宮治癒術士団長。王太后殿下は大丈夫なのか?」

 ジョン王子のその言葉に慌てて立ち上がった王宮治癒術士団長が王太后の方に向かう。


「良い! 不快じゃ、不快極まりない! 帰る…離宮に…帰る」

 王太后は王宮治癒術士団長の手を振り払うと随員に命じ左手で胸を押さえたまま右手で窓の外を指さした。


 随員が車椅子を押し進みかけた途端その右手がゆっくりと下がると左手で胸を掻き毟る様に動かして、前のめりにゆっくりと崩れ落ちて行った。

 そしてどさりと大きな音を立てて車いすから床に倒れ込んだ。


 支えようと手を伸ばしていた王宮治癒術士団長は王太后を抱えきれず、一緒に床の上に倒れ伏してしまった。


 三人の随員が慌てて駆けより王太后を抱え起こす。

 王太后はハアハアと荒い息をして胸を両手で掻き毟っている。


「王太后殿下を直ぐに母上を寝かせていたソファーに!」

 ジョン王子の怒鳴り声が響いた。

 起き上り呆然とする王宮治癒術士団長に向かい更にジョン王子が怒鳴る。

「王宮治癒術士団長! さっさと処置をせぬか!」

 その言葉に慌てて立ち上がった王宮治癒術士団長は急いで王太后のもとに走る。

 その後に王宮治癒術士たちが続いて駆けだして行った。

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